あるいは幸運なミステイク――Nov.

 俺は目の前で起きた出来事に絶句した。


臼井うすいさん、お久しぶりです」


 新年早々、神社の助職はこれで最後だと笑っていた顔が目の前にある。

 彼女の言い分によると、かけ持ちしている銭湯と居酒屋と大学図書館のバイト先に俺がたまたま現れただけ、らしい。

 だったら、今回はどう説明してくれる。大学を卒業して、就職したんじゃないのか。俺の表情を汲み取って、能天気な笑顔で説明してくる。


「わたし、不動産ここに就職したんですよ。まさか会えるなんて思いませんでしたけど、名簿に見覚えのある塾があるなぁって思ってたんです。なんて言うんだろ。すごい偶然ですよね」


 偶然を通り越して、ホラーだろ。

 癖のある髪はばっさりと肩の上まで切られてはいるが、のんびりとした調子なのによく回る口、少し垂れた目元は既視感がありすぎる。

 感じの悪い顔で聞く男に向かって、彼女は笑顔を崩さない。


「そういえば、ご用件は?」

「契約更新の書類を出しに来た」

「はい。お預かりします。軽くチェックしましょうか?」


 彼女の申し出に少し悩んでから、頷いた。二度手間になるのも何かと面倒だ。二度目があるというなら、塾長に押し付けるが。

 カウンターの迎いにあるテーブルへと案内されて、座る。すぐさま、緑茶が置かれた。

 彼女が書類に目を通している間、手持ち無沙汰になった。

 書類をめくる指はきれいに調えてはいるが、飾り気は一切なかった。毛長の短いカーディガンは腕のラインをほどよく汲み取り、野暮ったくはない。肩にかかる髪は黒よりも明るく、染めた色にしては落ち着いていた。やけに潤っているとか、痛んでいるわけでもないので地毛なのだろう。細い首にはネームがかけていたが、光の加減で見えづらい。

 一年前に名前を聞いたはずなのに、全く思い出せなかった。覚えておくつもりがなかった所を見ると、その時は奇妙な偶然が重なったと切り捨てたのだろう。

 書類から顔を上げた彼女は顔の力を抜く。


「問題ありません。通しておきますね」


 いつも通りの口調で返すわけにもいかず、かしこまった言い方をするのもおかしい気がして、軽く頭を下げて応えた。

 にこにことしていた顔が、思い出したように、あっと目と口を丸くする。

 冷たい目で見返してやると、へへと笑顔で取り繕った彼女は小首を傾けた。


「臼井さんの下の名前、お伺いしてもいいですか」


 鏡を見なくても、怪訝な顔をしていることはわかった。目をつむってたってわかる。自分の感情を我慢する気がさらさらないからだ。人差し指で太ももを叩きながら、対峙する。


「聞いてどうすんだよ」

「個人的に確認したいことがありまして。嫌なら答えなくて大丈夫です」


 裏表のない言葉をほざいて、へらりと笑う顔をじっくりと見てやった。

 やわらかい目線は外れない。わたあめみたいな見た目の割に根性があるようだ。名乗れない大した理由も思い付かないので、仕方なく口を開く。


浩太郎こうたろうだ」

「やっぱり」

「何が」

「変人扱いをされるので、これ以上は言いません」

「してないだろ」

「……何だ、コイツ、みたいな目で見てますよ」

「皆にすんだろ」


 目が落ちそうなほどの驚き顔を鼻で笑ってやった。光の加減が変わって、名札の『石崎』という文字が見える。何処かで見覚えがあるな、とは思ったが特別、珍しい名前でもない。生徒の名前とごっちゃになっているんだろうと考えるのをやめた。


「もしかして、皆さんを変人扱いしてます?」

「してねぇよ」

「よくわからないことを言ってますよ?」


 雲みたいな雰囲気のくせして、つっこむべき所はつっこんでくると言うべきか。純粋に不思議そうにする瞳が煙たく感じて説明してやる。


「面白いヤツは観察しちまうんだよ」


 音が鳴りそうなほど瞬きをしたわたあめ女は、なる、ほど?と首を反対に傾げた。幼い仕草だが、不思議と型にはまっている。わかっていないような顔で、うんと納得させるように瞼を伏せ、もったいぶるようにゆっくりと上げた。季節もあるのだろう、少しかさついた唇を開く。


「じゃあ、また会えたらお話しましょう」

「また会ったらホラーだろ」

「そこは運命って言いましょうよ」


 へいへい、と答えてやって不動産を後にした。



((((‎ ‎¯ࡇ¯ ).。oஇ



 階段を叩く音に、何となく目だけで振り返った俺は絶句した。

 癖のある明るい髪を揺らして、こぼれでた吐息のようにソイツは笑う。


「昼ぶりですね、臼井さん」


 驚いていない彼女の出現に仕事の疲れを一瞬忘れた。昼間の仕事着から、リラックスした服にもこもこの上着を羽織った姿だ。化粧っけのなくなった顔を覆うように巻かれたマフラーは不恰好を極め、余計に幼く見えた。

 しばらく、無言で見返しあって、ひとつの結論に行き着く。


「職権乱用で住居者を調べたのかよ」

「間違ってないですけど、違いますよ」


 新しい嫌がらせだろうか。何が言いたいのか、全くわからない。仕事以上の疲れが何倍にも増してどっと押し寄せてくる。疲労を訴えてくる頭で安っぽいテプラの文字を思い出すのだから、俺の脳は働きすぎだ。


「しかも、隣人かよ」

「言っておきますけど、四年以上の付き合いですからね。一度も会ったことないですけど」


 彼女の言葉は鈍器のようだ。

 重くなる頭をこれ以上落とさないために、額を手のひらで押さえる。逆算すれば、彼女の大学時代から『ご近所』だったということだ。

 億にひとつの奇跡なんじゃないか、これ。ありえんだろ。

 舌打ちをしてドアノブをひねる俺にビニール袋が差し出された。


「肉まん、食べます? ココアはないんですけど」


 リスのような瞳が覗きこんできた。

 白い息と、肉まんと、ココア。俺の頭は笑えるぐらいに出来がいいらしい。 四年前、俺はコイツに会っている・・・・・。覚えてはいないが、第一印象は悪くなかったはずだ。

 事実は小説より奇なり。よく言ったもんだよ、本当。

 差し出された袋を、犬を向けるように手で払った。

 彼女は素直に従い、おかしそうに笑う。


「運命でしょう」

「ロマンスなんて始まんねぇぞ」

「それこそ、まさかでしょう」


 白い息と共に笑い声をもらす彼女はひどく楽しげだ。

 ふわふわな髪の中心にあるつむじを眺めながら声をかける。


「おい、わたあめ」

「それってわたしのことですか」


 上がった顔は穴をのぞきこむリスのようだ。

 そうだと言う代わりに横目で睨み付けてやった。形がないようで、ちゃんとあんだろ、とは教えてやらない。


「四年前の礼だ。コーヒーを馳走してやる」


 礼なんて柄でもないが、あの時に書き上げた話が短編賞をかすったのは、自暴自棄になる自分を慰めたのは事実だ。

 視線をよそにやって、少し考えたわたあめは遠慮がちに口端を上げる。


「お砂糖四杯と、ミルクを入れてくれるなら」


 ない、と存在事態を否定しようとした口は何も言えなかった。

 期待に満ちた瞳は、生徒達を酷似していて絆されている自分に嫌でも気付かされる。ああ、面倒くせぇ。


「んなもんねぇよ。自分で持ってこい」


 はねるように彼女は自分の部屋に駆け込んでいく。

 職場と普段でえらい差だ。嫌悪感を抱くわけでもなく、むしろ面白い。やっと自分の部屋にたどり着いたが、飯も風呂も知らねぇとのたれ死ぬわけにはいかない。腹の底から空気を押し出して、上着を適当に投げる。

 鍋にミネラルウォーターを入れ、火にかけた所でインターフォンが鳴った。




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あるいは幸運なミステイク*同題異話SR短編集 かこ @kac0

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