06

「さぁて」

 随分と広い室内には、破損した調度品やサイズの大きな食器、天井の一部だった瓦礫が散乱している。床の上に横たわるのはこの部屋で動いている者達の数倍も大きな体躯を持つ異形。女の形をしているそれは裂かれた腹から緑色の血を流し絶命している様だ。

「邪魔なモノは片付けたし、捜し物の続きでも再開しますか?」

 目の前で起こった一連の出来事。その光景は余りにも現実離れをしすぎていて、ロカは言葉を失い固まってしまう。

『どうしてこんなことになったんだっけ?』

 ロカが覚えて居る記憶は、こんな化け物が居ない世界のことだけ。とてもつまらない、毎日が退屈なものではあったが、こんな風に命が脅かされるような事はあり得なかった。

 まるで映画を見ているような出来事。

 現実味の無い出来事が現実であると受け入れるには、まだ覚悟を決めることが出来ない。

「……………………」

「あっ。そうだ! ロカさん!」

 ロカのそんな気持ちなど知る由も無く瓦礫の上を器用に移動すると、タオが近付きこう声を掛ける。

「申し訳ないんすけど、直ぐに町に向かうのは難しいんです、実は」

 今更告げられる申し入れに困った様に垂らされる長い尻尾。居心地が悪いのだろうか。長い髭が忙しなく動き、やけに新鮮が落ち着かない。やがて諦めたように大きな溜息を吐くと、タオはゆっくりと深呼吸を繰り返した後で大きな耳を掻きながらこう続けた。

「実は、俺と旦那は此処に捜し物をしに来てるんですよ。今からそれを探すんですが、終わる時間がどれくらい掛かるのかが分からなくて……」

 この二人がこの場所に来た目的。記憶を辿れば確かに、彼らがこの部屋に現れたときに、何かを探しているという会話を耳にしたことを思い出す。

 とは言え、ロカにしてみればこの二人の事情など、どうでも良いことには違いは無い。本音を言えば一刻でも早く、こんな薄気味悪い場所から逃げ出したいとは思っている。

「それが有るかどうかを調べるスキルってのは確かにあるんですが、俺も旦那もそのスキルの保有者じゃなくてですねぇ」

 しかし、この場所がどこなのか。この世界がどういうものなのか。その情報が全く無いロカにとって、不用意に動くと言うことはとてもリスクが高い。彼らと別れて部屋の外に出たとして、横たわって絶命している怪物に襲われないという保証はどこにも無いのだ。寧ろ、その様な生物が存在している以上、抵抗する術を持たないロカのような弱者は格好の獲物になる事など考えなくとも分かってしまう。偶々出会ったのが親切な二人組だったこと、その二人が同伴者として自分の存在を受け入れてくれたこと。それを素直に喜ぶ事でしか己の生存確率を上げ、無事にここから出て町に行ける方法は無い。

「…………と言うわけなんですよねぇ」

 タオの言葉は半分以上、ロカの頭には入っていない。それでも、何も力を持たない以上、自分を優先しろとどうしても言い出せない。結局は彼らの捜し物が終わるまで大人しく待つことにし、ロカは小さく溜息を吐く。

「この世界って……本当に、何なんだろう」

 邪魔にならないように部屋の隅で、適当に身体を休められそうな場所を見つけ腰を下ろす。

「おーい、タオー! こっちの瓦礫を退けるのを手伝ってくれ!」

「ってか旦那ぁ、これって探してる物じゃないっすかねぇ?」

「あー…………いや。違うな。これじゃねぇ」

「マジッスかぁ……ちぇー……」

 二人の作業が終わるまで何もすることが無い。突然与えられた暇な時間。ロカは改めて、自分の置かれた状況を整理しようと記憶を辿り始める。

 覚えて居ることは、此処とは異なる町の風景。怪物なんてものは存在せず、命が危険になるようなことは滅多にあり得ない。その代わり、心が躍るような冒険なんてものは無いし、格好いい魔法や特別な力なんてものも無い。それらは感じる事が出来ない幻想として、その世界では存在していたため、それに触れようと思った場合は、作られた世界を元に想像力を働かせることしか出来なかった。

 それが分かっているからこそ、不可思議な力が存在する世界に強い憧れを持っては居たが、何の因果が働いたのだろうか。それが現実として目の前に現れると、常識が通じないという事がとても恐ろしく感じてしまう。

 そうで無くとも、以前の世界で一番最後に覚えて居る光景は、心配そうにこちらを覗き込む男性と女性の不安そうな顔。その向こうに広がるのはオレンジの混ざり始めた青空で、己が吐き出した赤が少しずつ視界を不穏な色に染めていく。

「……そう言えば……」

 そこで思い出したのは、真っ暗な空間のことだった。

 完全に意識を失った後、気が付けば自分は何も見えない闇の中に居た。足元だけが光るその不思議な空間が、一体どういう場所だったのかは分からない。だが、そこで何かを手に入れた気がして無意識にズボンを触る。

「……鍵?」

 手に伝わる堅い感触。一体何だろうと取り出してみると、見た事も無い黒い鍵が一本、彼の手の中に在った。

「うーん」

 形状からしてこれが、以前住んでいた家の鍵では無い事は分かる。アンティーク調のレトロな鍵を過去に所有していた記憶は無く、これが自分のものでは無い事は明かだ。だが、持ち主が誰なのかということは、残念ながら分からない。この鍵が何を開くためのものなのか、誰の持ち物だったのか、それを示す手掛かりが一切見つけられ無いのだ。

「分からないや」

 何故? どうして? そんな謎ばかりが増え、結局この世界に来た事も、自分が何という名前だったのかも何一つ思い出すことが出来ないのだ。そこが最も重要な部分だろうと笑ってしまうが、どうしようもない状況に段々と虚しさだけが募っていく。

「この鍵が元の世界に戻るための鍵だったら良いのになぁ」

 他の世界に行きたかった。だが、願ったものと叶った結果は、必ずしも自分の求めた結果になるとは限らない。

「なーんでこうなっちゃったんだろう」

 相変わらず、この世界の住人は探し物を続けている。何も力を持たない自分は全く役に立たないどころか足手纏い。何か一つでも特別な力があれば、こんなにも惨めな思いをしなくても済んだのだろうか。

「別の世界に来たら、僕も何か特別な者になれるのかと思ってたのに……」

 伏せた瞼の内側に浮かぶ映像は、大好きだったゲームのプレイ画面だ。その中では、プレイヤーキャラクターである主人公は、自らのなりたい職業に就くことが出来る。

 世界を救う勇者、己の強さを追求するモンク、みんなを癒やす事が出来る僧侶に、様々な不思議を具象化できる魔法使い。現実ではあり得ない幻想生物を喚び出すことの出来る召喚士や、己の技量で様々なものを盗み出す盗賊。森に精通した狩人や、戦う事でしか己を証明する事が出来ない狂戦士など。どの職業にも癖はあるものの、彼らはその世界を生き抜くための必要最低限のスキルを保有している。そして彼らは運命に立ち向かい、歴史に名を刻んでいくのだ。

「異世界転生したら、転生者はそうなるっていうのがセオリーだろ…………それなのに、なんで……」

 どうしても諦めきれない。だからこそ下らないとは分かっていても意味の無い行動を繰り返してしまう。思い出せるだけの魔法を唱え、拳を突き出し、俊敏に動こうと努力する。だが、この身体はそれを嫌がるかのように直ぐ根を上げ息を上げてしまうのだ。改めて思い知らされたのは無力であるという事実だけ。何の特徴も無いノンプレイキャラクター。結局、自分に与えられた役目はそう言う者なのかも知れない。そう考えると、悔しくて涙が溢れてしまった。


 探し物を続けてどれくらい経ったのだろうか。

「ん?」

 耳の届く小さな声。それに気が付いたタオが顔を上げ辺りを見回す。

「ロカさん?」

 随分と離れた壁際。そこに投げ出されていた大きなカップ。ひっくり返されたそれに腰掛けるようにして俯いているロカの肩が小さく震えている。

「どうしたんすか!?」

 慌てて駆け寄ると、心配そうにロカの顔を覗き込んだ後でタオは言葉を失い固まってしまった。

「なっ……」

 つい数時間前にあったばかりの青年が、大粒の涙を流して嗚咽を零している。

「ど、どっか怪我でもしたんですか!?」

 動揺しながらそう問いかけると、ロカは必死に頚を振りそれを否定した。

「じゃ、じゃあ、アノ化け物に何か変なものでも食わされたとか!?」

 余りにも予想外の出来事に、タオの尻尾は見る見るうちに元気が無くなりしょぼくれる。

「旦那ぁあああ! ロカさんがっ!!」

 自分一人ではどうにも出来ないと判断したタオが情けない声を上げると、探し物に集中していたラウルが手を止め乱暴に頭を掻いた。

「何だ?」

「何だ、じゃねぇっすよ! ロカさんが大変なんです!!」

 宥めるようにロカの背を撫でながら、助けて欲しいと出すヘルプ。ラウルに頼ったところで状況が改善されるとは思えないが、タオ自身も相当混乱しているのだろう。不安げに尻尾が左右に動き、長い髭が哀しそうに下を向いている。

「男が泣き言なんて、情けねぇ……」

 面倒毎はゴメンだ。そう言いたげに近付くと、無造作に振り上げた右手。

「元気出せ! 青年!!」

 それを徐にロカの背中へと振り下ろすと、鈍い音を立てて走る衝撃によりロカが勢いよく咳き込んでしまった。

「ちょっ! 何やってんすか!! 旦那!!」

「ん? 何か間違ったことでもしたか?」

 随分と強い力で叩かれてしまったのだろう。上手く呼吸が出来ないロカが苦しそうに胸元を押さえ身悶えている。それを可哀想に思ったタオがロカを庇うように抱き留めながらラウルを睨むと、罰が悪そうに視線を逸らしながらラウルが口笛を吹いて己の行動を誤魔化した。

「何があったのかを確認する前に叩いたら駄目でしょーが! そうで無くてもアンタ、力が強すぎって怒られてんのに!」

「何があったのかを話せる状況なのかよ? コイツ、ずっと泣いてて、涙が止まんねぇように見えるぞ? 俺には」

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