最終話 ずーっと、ずっと
目を開けたとき、何もかもが白かった。自分が倒れて、空の方を向いていると気づくまでに時間がかかった。夜が明けていた。空には一面、もやのような雲がかかっていた。
体を起こす。刺さったままの矢がその動きに揺れ、傷口が焼けるように痛んだ。体は重く、汗に濡れた服が冷たかった。脈が打つごとに頭がひどく痛む。
辺りには濃い霧が立ち込めていた。雲の上にいるのかとさえ思ってしまった。
立ち上がる。人の気配はない。ひどく濃い血の匂いがした。歩き出したとき、何か柔らかいものを踏んだ。見れば、腕が落ちていた。槍を握ったまま、ひじの辺りで斬り落とされた人の腕。
風が吹き、霧がわずかに流れた。それでようやく辺りが見えた。
周りには一面、傭兵たちの死体が転がっていた。いずれも手ひどく斬られ、誰の足がどこに行ったのかも分からない有様だった。地面は血を吸って赤茶けた色になっていた。一角獣の団長も、目を見開いたまま胸を刺されて死んでいた。口から流れた血で、あごひげは赤茶色に染まっていた。
「よゥ」
後ろから聞こえた声に振り向く。力ない声だったが、忘れるはずのない声。
何重にも積み重なった死体に腰かけ、リバーロがそこにいた。肩に背に、腕に脚に矢が突き立ち、剣や槍に裂かれた傷が全身にいくつも口を開けていた。そこからは今も赤黒い血がこぼれている。顔も体も、絵の具を塗りたくったように赤茶色に染まっていた。返り血と本人の血だろう。衣服も同じ色に染まり、斬り裂かれて原型を留めていない。地面へ突き立てた太刀には血がこびりつき、切っ先から鍔元まで刃こぼれしていた。刀身は中ほどから、不自然に後ろへ曲がっていた。
ジョサイアは口を開けたが、言葉は出なかった。
リバーロは疲れきったような、しかし満足げな顔で、薄く笑った。
風が吹いた。
ジョサイアはようやく言う。
「なぜ……俺を斬らなかった」
リバーロは変わらず微笑む。
ジョサイアは声を上げた。
「なぜ斬らなかった。助けた、のか」
リバーロは鼻で息をつく。
「あァ、助けた。見捨てることも斬ることもできた、だが助けた」
そして口の両端を吊り上げた。目を大きく見開き、白い歯を見せ、ぬたり、と笑う。
「助けたンだ、俺が。あの時と同じただの気まぐれで、だ」
おかしくてたまらないというように鼻から息を吹き出す。肩を震わせ、喉の奥で笑い声を上げる。体中に突き立った矢がそれに合わせて震えた。
「いいか、俺がだ! 守ったのは俺だ! あんたが言った、あいつとやらじゃねェんだよ! ずーっと守られてる? 何がだ! 俺が守らなきゃあんたは死んでた」
ジョサイアは何も言えなかった。頭の中が軋むように痛んだ。
リバーロが太刀を杖に立ち上がる。腕も脚も、今にもくずおれそうに震えていた。それでも笑う。
「命は無くなる、すべて無くなる。いつか必ず消えていく。『ずーっと』守られてるってあんたの命も! それでどこに『ずーっと』がある? どこにそいつが残るんだ? 何も無い、意味も無い」
ジョサイアは歯を食いしばる。それでも頭に痛みが渦巻く。頭蓋がひび割れていくような痛み。腕と脚から力が抜け、その場にひざをついた。
「違う……違、う」
「違わんさ。俺ですらも、正直……そろそろ、だ」
リバーロは背を向けた。太刀を杖に、脚を引きずりながら歩く。
ジョサイアの体からさらに力が抜ける。右手をリバーロに向けて伸ばし、左手で土をつかんでいた。
「待て……! お前は斬る、必ず、俺が――」
リバーロは肩越しに振り向く。
「俺は死だ。死は斬れんさ。……楽しかったぜ」
言い終わると同時、リバーロの目が見開かれ、瞳が焦点を失う。開いた口から霧のように、赤黒い血を吐いた。その場で肩を上下させ、強く息を吐いた後。また太刀を杖に歩き出す。振り向かず、血に濡れた手を肩越しに振った。
ジョサイアは目をつむり、額を地面に叩きつける。自分が歯をかみ鳴らす音を最後に聞いた。
その後。血の匂いに気づいた町の者に発見され、ジョサイアは町に運ばれた。
半日の後、意識を取り戻したジョサイアはそこで起こったことを語った。死神がひどく傷を負っていると聞き、領主は直ちにすべての兵を向かわせる。
だが、兵はリバーロを見つけられなかった。彼らが見たのは傭兵らの大量の死体、それに、その場を離れるように続く血の跡だった。血痕は大きく、まるでコップから血をこぼして歩いたようだった。
血は街道の方へは向かっていなかった。反対側、崖に行き当たって途切れていた。底を川が流れる深い崖。そばには刃こぼれしきった太刀が転がっていた。
道を誤ったか、傷の苦しみに自害したのか。いずれにせよ死神は死んだ。
町の者の喜びは尋常ではなく、ほとんど祭り騒ぎとなった。人々は医師の制止もを振り切り、包帯を巻かれてベッドに横たわる英雄のもとへと押しかけた。
「ふざけるな。ふざけるな、ふざけるなふざけるな!」
砕くかのような勢いで壁を殴り、ジョサイアは言った。あれしきで奴が死ぬものか。奴は死だ、死は死なん、と。顔を歪め、震えるほどに拳を握っていた。
騒ぎに加わっていた兵が言う。血が続いていた崖は深く、落ちて助かる高さではない。反対側に飛び移ることも、縄もなしに降りることもできない。それにあの出血なら、逃げ延びていても助かるまい、と。
ジョサイアは歯をかみしめて首を振る。お前たちは死を知らない、と。
「俺の剣をよこせ。奴は必ず俺が斬る、必ず、必ず必ず必ず必ず」
ふらつく足で立ち上がり、ひったくるように剣を取る。服を着込み、荷物をかつぐ。
止めようとする医師を殴り倒す。つかみかかった兵を、剣を抜き放ちざま斬った。血が飛び散り、人々が悲鳴を上げる。温かく、生臭い。鉄のような匂い。
ジョサイアの頬にも血が散った。ジョサイアの表情は変わらなかった。人々をかき分け、外へ駆け出す。
サリアは俺と共にいる、俺はサリアに守られている。ずーっと、ずっと。
サリアを殺した、奴を許せん。サリアを否定した、奴を許さん。ずーっと、ずっと。
奴を斬る、今度こそ。更なる鍛錬を積んで。達人を斬るには達人にならねばならぬ。死を斬るには、死にならねばならぬ。今度は、今度こそ今度こそ、今度こそ今度こそ。
ジョサイアは焦点の合わない目を見開き、そうつぶやいていた。居合わせた多くの人がそのように語ったという。
ジョサイア・ロンドについて、以降の記録は見つかっていない。
さて、死神の話である。その後、死神は再び現れた。死神は女子供は斬らなかった。武器を持った男、ことに兵士や騎士の類を好んで斬ったという。もっぱら夜に現れたため、顔を見たものはいない。ただ、武器は太刀でなく剣だったということである。
このような話が伝わっている。行商人の夫婦の話だ。夫婦は馬車で旅する商人であったが、急ぎの用で夜に峠を越えることとなった。そこで死神と出くわした。
妻を荷台に乗せ、夫は手綱を取って馬を駆けさせていた。と、道端から何かが飛び出してくる。獣か鳥か、と思う間に、それは馬に跳びかかった。鈍く光るものが一筋、馬の首元を横切る。転げるように馬の首が落ちた。馬の体は血しぶきを上げながら数歩走り、崩れ落ちた。馬車の荷台が大きく揺らぎ、音を立てて横倒しになる。
道に放り出された夫がどうにか顔を上げたとき。そこには男がいた。男はたくましい腕に抜き身の長剣を持ち、月を背にして、ぬたり、と笑う。逆光になっているせいで顔はそれ以上見えなかったが、髪はくすんだ金色をしていた。
夫は護身用の剣を腰に帯びていたが、こわばって震える手では抜けなかった。鍔と鞘がかち合って音を立てるばかりだった。抜いたところで噂の死神に勝てるとも思えなかった。
死神がゆっくりと剣を掲げる。
そのとき、妻が駆け寄った。片手で夫の腕を握り、もう片方の手で包丁を握っていた。激しく震えるそれを死神に向ける。目は死神をにらんでいた。
夫は妻の顔を見、それから妻の手を離させた。腰の剣をゆっくりと抜く。目は死神を見すえていた。
死神の声がした。
「夫婦、か」
意外な言葉に間が空いたが、夫婦は一緒にうなずいた。
「行け」
死神は背を向け、剣を納めた。
「行け、と言っている。共に生きるがいい、死が二人を分かつまでは。……分かたれたとしても、ずっと。ずーっと、だ」
そう言い残すときびすを返し、月の下を歩み去ったという。
その後の死神について確たる記録はない。人斬りが行なわれたという話は散見されるが、死神の最期を語るものはない。ただ、峠道で手をつないでいく夫婦者を、金髪の男が物陰から眺める姿が時折見られた、という話が残っている。
(了)
斬聖リバーロ 木下望太郎 @bt-k
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