4 タイムマシン
ぼんやりしながら目を覚ますと、無機質なロボットのレンズがこちらを見下ろしていた。
「おはよう、新しいサム」
のどがひりついていて、うまく話せない。レンズがきゅるるとしぼられて、おれの様子をカメラがのぞいているのがわかる。
「じきに慣れるよ。これまでのサムもはじめはみんな難儀していた」
「えあ、いあい」
「目が痛いんだね。はじめて使うからだ。大丈夫。じきに慣れるよ」
目の前にいるロボットが答える。こいつは遠隔操作された人形で、カメラの向こうには人間がいるのか、それともAIなのか。いや、おれの記憶が、人間はほかに生き残っていないはずだと告げている。
記憶?
ちがう。
あらかじめ埋め込まれた知識だ。
目を動かし、言葉を発する練習をし、それからゆっくりゆっくり起き上がって、立ち上がり、歩き、ロボットに勧められるまま服を着て、水を飲んだ。
なんとなく事情は知っているが、頭の中はもやがかかったようにうすらぼんやりとして心許ない。言葉は、知っている。目とか、痛いとか。文法もわかる。自分の名前も。どうしてここにいるのかも。なぜ生きて……いや、なぜ生まれてきたのかも。
「私はガーティ。君のお世話係だ」
やけに図体のでかい円筒型のロボットがなめらかな声で言った。
白いリノリウムの床はだだっ広くて、ゆっくりと傾斜していて、巨大な円形の宇宙船の床に自分が座っているとわかる。ゆっくりと回転し、遠心力で重力を造り出しているのだ。
強化ガラスの向こうには、粉々になった地球が宇宙に浮いていた。地球、と呼べるシロモノかどうかもわからないが。水の青もなく、緑もなく、大気の存在すらあやしい。この宇宙船は、いったいどのくらいのあいだ、月の代わりの衛星として、この土くれの周りを回り続けているのだろう。
「この宇宙船にいるのは君だけか? ガーティ」
「君と、私だけだ」
おれはちょっと笑ってかぶりをふった。
その情報は、言葉や自分の存在と同じように、すでに知っていた。きいてみただけだ。
「君は新しい文明が再構築されるまでのあいだ、命の存在を絶やさない目的で作られたクローンだ」
すでに知っている情報にディティールを加えるため、ガーティが説明した。
「人類は一度絶滅したが、この宇宙船には数百種類の人間の受精卵が凍結保存されている。君は、この宇宙船を管理・修繕し、生命の持続性を担保するために繰り返し生まれ、働いて、死んでいく」
「おれの寿命は?」
「君単体の? それとも君の遺伝子の?」
「遺伝子は半永久だろ。わかってるよ。そうじゃなくて、おれ単体の」
「五十年てとこかな」
まあ、すでに二十歳を超える見た目をしているから、そんなものか。
「ガーティは、いったい何人、おれの生き死にを見守ってきたんだ?」
「数千人だよ」
おれは驚嘆の目で円筒形のロボットを見つめた。
「おんぼろロボットには見えないな」
「君はいつも私のボディを新しく作り替えてくれるんだ。機械機構は人間よりもずっと短命だからね。でも、私の人工知能は地球が崩壊したときから同一のものを受け継いでいるよ。だから私は君に情報を与えられる」
「なるほどね」
言われてみればたしかに、文法や自分の名前以外にも、頭の中にはエンジニアとしての知識がきっちり埋め込まれている。
ガーティはリハビリがてら、おれをあちこち案内した。巨大な輪っかの宇宙船、その外壁の内側をてくてくと歩いていくと、じつにいろいろな眺めがあった。おれひとり分ならば十分まかなえそうな畑、培養肉の製造室、浄水機構に空気の循環設備。運動場やスパまであるし、図書館や映像作品の見られる娯楽施設もある。すべて全自動で管理されていて、動力は、宇宙線を吸収して変換したエネルギーを使用しているらしい。
「なんでもあるな」
「仕事の合間に、好きなことをしていい。仕事は簡単なものだ」
おれはガーティを見た。
「おれはいつも、なにをしていた?」
「なんでも。自由にすればいい」
「ガーティ。おまえはおれの世話係なんだろ」
おれが立ち止まると、ガーティも動きを止める。あれだな。全自動掃除機みたいだ。ガーティは、その上に乗っかった円筒形のでくの坊。
おれの前任は、わざとこんなダサいボディを与えたのだろう。
こんな宇宙空間で延々と孤独を味わわされちゃ、憂さ晴らしのひとつもしたくなるか。
「おれがやっていたことを見せてくれよ」
ガーティはちょっとだまったあとに、命令には逆らえないのか、きゅるきゅるいいながら方向を変えて言った。
「こっちだ」
「電気を」
おれが命令すると、真っ暗な部屋にゆったりと明かりが灯った。その作業室の光景に、はっと思わず息を呑む。
先んじてガーティが案内したおれの仕事場にも、ちょっとした工具やマシンが並べられていたが、それとは比較にならない。巨大な精密機械は宇宙船のようでもあったが、座席が真ん中にすえられた、やたらシステマチックな玉座にも見えた。
「これは……」
おれはガーティを見た。
「タイムマシンか?」
「さすがだね、サム」
ガーティは機械的につぶやいた。
「新しい君は、いつもこれを見て、すぐに言い当てる。そう、たしかにこれは君が開発に力を注ぎつづけたタイムマシンだ」
ガーティの話の後半部分はろくにきいていなかった。はやる気持ちでマシンに近づき、その仕組みをすみからすみまで精査する。
おれの脳に埋め込まれたエンジニアとしての資質には、好奇心も並列して備えられているらしい。見れば見るほど、興奮が抑えられなかった。
「どうだい、サム。出来は」
一時間ほど仕組みを調べて観察をつづけたおれに、ガーティが話しかけてきた。
「言葉を失うよ」
おれは言った。
「本当にこれをおれが作ったのか? 信じられない」
「数千人の君の人生が、永い時間をかけて作ったものだ」
ガーティの言葉は淡々としている。だが、おれはその途方もない時間を思って、口を閉ざした。
「……ガーティ。おれは、これを完成させないと」
「ああ」
「……まだ、これは運用にはほど遠い。すごい技術だ。それでも、完成じゃない」
「そうだね」
おれはガーティを見た。この、半永久的に活動を続けるAIは、途方もないおれの時間をずっと見守ってきた。おれの何千回もの人生を、このたった一台のタイムマシンの完成のために、使い潰すのを見てきた。
「おれにやめてほしいかい?」
「私は君の世話係だ」
ガーティは淡々と言った。
「必要なものを言ってくれ。3Dプリンタで材料はいつでも生成できる。原子レベルから再生可能だ。君のために最善を尽くすよ」
――地球は、ある日突然、宇宙からの侵略によって崩壊した。
いざというときのために秘密裏に進められていたノア計画が発動。
凍結された数百の受精卵と地球の生態系の遺伝子情報、それらを宇宙に飛ばし、人が住める星へ向けて発進。宇宙船の管理と修繕は、たったひとりの人間だけが請け負えばいい。それはクローンで事足りる。
だが、宇宙船は地球を離れることはなかった。
だだっ広い宇宙の中で人が住める星を探すなど、海に捨てた指輪を探すようなもの。
おれは、ここに残ることを選ぶ。
そもそも、侵略がすべての発端だ。
その時代へ戻り、なにもかも、なかったことにすればいい。
これを見ているのはおれだろう。だからわかるはずだ。おれが決めた決意を。もしも異を唱えるなら、好きにしてくれ。あんたはあんたの人生を、この宇宙船で謳歌すればいい。
おれは、やるけどな。
「ガーティ。ほかに面白いものはないのか?」
合成ワインをかたむけながら、おれはぼやいた。最初期のスケルトンコンピューターのようなボディを与えたガーティは、びびびと機械音を響かせながら四足歩行の足を動かし、おれを見下ろした。
「君が見たがったんだろう、サム。タイムマシンを作る決意をした、君の記録映像だよ」
「何十万年前の老人だよ。映画はないのか?」
「ジャンルはどうする?」
「ロマンス以外で。家族ものもやめてくれ」
「バイオハザードは? それとも、パージにする?」
「いいねえ。やっぱりそういうのにかぎるよ」
白髪が目立つ髪をすき、しわだらけの手を見下ろして、はあとため息をつく。ガーティが流しはじめた殺し合いの映画は、おれになぐさめを与えてくれる。人間なんかたくさんいたってしょうがない、いればいるだけ傷つけあい、裏切りあい、殺し合うんだから。
孤独も悪くない。ガーティとふたりきり。それでいいだろ。
「サム。なぜ泣いてるんだ」
ガチャンと、ワインのグラスが落ちて割れた。あとでガーティが回収して、ちゃんと元に戻すだろう。原子レベルに分解して、また再構築して。そうやって、この宇宙船は何万年も人が住める状態を維持している。
何度、凍結保存された受精卵を孵化させようと誘惑に負けそうになったか。
仲間がほしい。人間が。だが、ガーティの監視の目をかいくぐったおれは、ある現実に気づいた。新たな社会を作ってくれるはずの受精卵も、生態系のデータも、とっくの昔に腐って死んでいたことを。
ガーティは知っていた。おれが気づいて、絶望することも知っていた。
おれがやることなすこと、すべて何千回もくり返されている。
なら、おれが生きる意味はなんだ。
これをつづける意味は。
「地球は、もう、住めない」
震える声で、おれは言った。
宇宙船の外に浮かぶ、砂だらけの土くれ。あれが地球だ。
「だから……タイムマシンを、作るしかないんだ」
ガーティはなんとも答えなかった。いったいこいつに、何度泣き言をきかせてやったことだろう。ガーティはめそめそするおれを何度となくなぐさめ、何度も何度も世話してやった。おれが想像することもできないほどの時間を、そうやって過ごしてきた。
すごいぜ、ガーティ。
おれなら発狂もんだね。
「タイムマシンは、あとどれくらいで完成する? サム」
「わからない……わからないんだ。本当に、完成するのかどうかすらも……」
「けれど、君は決してあきらめなかった」
おれは涙を流し、笑いながらうなずいた。
「ああ」
「きっとつぎの君も、あきらめないだろう」
「……ああ」
おれはゆっくりと目を上げ、ガーティを見た。
「そろそろ、つぎのおれを目覚めさせるころだな」
「……さようなら、サム。楽しかった」
「おれもだよ。ありがとう、ガーティ」
ガーティは、いったいどれだけ、おれの死を看取ったんだろう。
おれは目を閉じ、眠りについた。
ぼんやりしながら目を覚ますと、無機質なロボットのレンズがこちらを見下ろしていた。
「おはよう、新しいサム」
のどがひりついていて、うまく話せない。レンズがきゅるるとしぼられて、おれの様子をAIシステムが確認しているのがわかる。
「じきに慣れるよ。これまでのサムもはじめはみんな難儀していた」
ああ……目が痛い。
何度も何度も、そうやってくり返された。
おれは記録を残し、つぎのおれがそれを確認して、さらにマシンの精度を上げる。
そうして、完成した。ついに。
この宇宙船で新しいサムとして生まれた、五年目のことだった。
「素晴らしい発明だ。サム。本当に素晴らしい」
先代が与えたというドローン付きのボディで、サムがおれの頭の横をぶんぶん飛んだ。野球ボール大のサイズだから邪魔ではないが、少しばかりうっとうしい。
「さあ、これに乗って、君はどうする」
「当たり前だろ、ガーティ。侵略される直前の、地球だ」
細心の注意を払って、正確な年代と日付を設定する。ここは、間違えられない。
「歴史がすっかり変わるだろうね、サム」
「そのつもりだ。おれの孤独を終わらせる」
おれはそっとガーティを見た。
「止めないのか」
「止めないよ」
「ガーティ、おまえ……わかっているんだろう。おれが、おれをこんな目に遭わせた地球を救いに行くつもりがないことくらい」
「わかっていた。君が侵略から地球を救うつもりがないことを」
ドローンでおれの目の前に浮かび、ガーティはきゅるきゅるとレンズをしぼった。
「君は、君を殺しに行く。そうだろう」
おれはふっと笑った。
世界を救う?
そんな大それたことはしない。だいたい、できるかどうかもわからない。
おれは、おれのオリジナルを殺しに行く。遺伝子をコピーされ、宇宙空間で永遠に生き続ける業を背負わされたおれ自身を。そうすれば、おれのこの孤独は、すべてなかったことになる。
それでいい。
こんな人生など、くそくらえだ。
「止めないのか」
「止めないよ」
ガーティがおれの肩にとまった。
「一緒に行ってくれるのか」
「私は君の世話係だ」
ぶはっと笑って、力が抜けた。
そうだな。一緒に行こう。
おれはすべての設定を入力を終え、ふうと息をついた。
「行くぞ、ガーティ」
「ああ、行こう」
スイッチを押す。そうして、タイムマシンが起動した。
おれたちを、この無意味な人生を、終わらせるために。
ブループリント みりあむ @Miryam
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