BBAの怨返し
@mitsune
第1話 ちょうどいいソルト
なるほどね、まーた裏切られたわ。一体何処行った? さっきまでの胸のドキドキ感。こんな話の展開って、もうほんとドロボーよ。
私としちゃあ、物語は幸せな結末が好きだ。まあ、だらーっと平平凡でも可。だし、つまらなくってもいちいち気を悪くしたりしない。
いんや、言うなれば、わざわざ本読んだ後に、ちーんと鬱っぽくなるヤツじゃなきゃ大概よし。私には山なりに上がる感情が必要だ。
作中にね、銃を出すならば必ず撃てとか、偉い文人が言ってたけど、そんなこたーない、日本ではさ。人に銃口向けるなら、翻って自分に撃て。命は何より重いって当たり前の道徳でしょ。
「引きを狙ってシリアスに振るのはあきあきなんよ。ブンガクもミステリもホラーも」
まま、その人のシュミ、シュギ、シソウの身がわりなんだって、物語に出て来る人たちは。んなもん分かってるわ。
「でもね、一度私が掛けた情さ、好き勝手弄ばないでおくんなまし」
そうは言いつつ、ぐぅ~ってこの腹の鳴り。もうじき一時間くらいかも、風呂に浸かりながら文庫読んでるの。でも、これが静かでいいわけ。だからこの頃は専ら短編、汗かきの半身浴にはうってつけ。
「あー夏は暑い」
風呂上がり、牛乳じゃなく水道水を牛飲、銀の蛇口に口つけて。ふぅ、人肌が身に染みるわ。汗水の染みた文庫は脱衣場に放置。いや、これは借り物だったか不味い、おっちゃん細かいからなー。
まあ、下着のままだとアレだから軽く身だしなみして、軽くってほんと言葉通りだ、部屋着、外着、寝間着、三食ご飯をいただく時も格好は同じ紫陽花色のワンピース。
開け広げた窓には一面知恵熱が溜まってる。文庫本はとりま日向に置いとこ。西日でもすぐ乾くでしょ、この日差しだし。しかし、日が傾いてもほんとあっついわ。
この盛夏っていうのに部屋の扇風機は慰め程度、何故ならエアコンがうんともすんとも言わなくなったから。いつからかサボりがちになって、この夏働くのやめた。
でも、働く意味も分かんない仕事なんてさ、やってて馬鹿馬鹿しい。私もそう、私がこんなだから人にも物にも怒んない。しっかし、こーも暑いと自分を調子づけるもんが必要だわ。
シガレッツ&アルコールに乗せて、ベランダ出て煙草吸う、ちょっと気怠い感じ。それでビア缶をぷしゅっとな。空きっ腹に沁みるわね。まま、今日も今日とてよ、夕飯はそうめんにかぎる。
「お、今日もやってるやってるー」
まーた、阿呆やってるわ。ほんっと、毎日毎日飽きずに精が出ますわね。笑いに次いで怒号が立ちのぼる。下の公園でオバハンと野球小僧どものすったもんだが始まった。ちなみに、ここ団地の三階。
「こらお前ー! この前車にぶつけたろ! ボールをバットでしばくな言ったろうが!」
「オバハーン、毎回うっせんだわ。お尻ぺ〜ん」
「こんの、いたずら小僧がァッ!」
「おい、これ動画回しとけよ。ユーしゅーぶに上げるべ」
山田のオバハンをけしかけて、わーわーと騒ぐ小僧どもは、ちょっと大概にしとけーって感じ。あいつらわざとだろ。ほら、他の子供らは遊びをやめて、その鬼ごっこに皆注目。
もう五十近いのにオバハンも何してますの、笑けるわ。まったく、盛りの蝉より五月蝿いんだから。でも、一ト月前は塞ぎ込んでたオバハンもなんだかんだ元気が戻ったようでなにより。風呂入ってからぜーんぶいつもの日常風景だわ。
「もう茜時の夕飯時、よい子はお家に帰りゃんせ」
はい、今日のそうめんは宜保の糸〜。お鍋にたっぷりの水を入れて火に掛ける。最近はめんつゆも飽きちゃって、ごま油まわしーの塩かけたりなんかしてちょっと粋な食べ方してる。肝心の塩は欧州産まれのゲランドやアルペンザルツ、モティアもいいわね。
「ちょい、たんま、靴紐解けたって」「今日は向こうも万全。気合い見せんか!」「応答願う、三階まででリターンせよ」とかなんとか。
団地の長い廊下に慌ただしく声が反響し、ドタバタがこっちへやって来る。いやいや、あの小僧ども。オバハンも敢えて付き合ってやってるのかしらん? でも、うちの階に賑やかしはいらんのよ。
「お久ーごめん。お邪魔ー」
その掛け声と共に勢いよく玄関の戸が開き、私んちへ勝手に入って来たのは小僧どものひとり。「ちょっとかくまって」と息を切らして汗びっしょりで膝に手をついてる。「ああ? もう追手を巻けたか?」
そんな小僧を見てるこっちが暑くなるし、湯気もくもくのお鍋の火は一旦切っておくか、まったく。弱きを挫く奴らには喝だ。悪いもんの清めにはこれがうってつけ。私はビニルに詰めた八幡の塩を握って、玄関めがけて腕を振る。
「うわ、何すんだ。ペっペっ。しょっぱいや」
「もう夕飯よ、ハローグッバイ」
手早く小僧の首根っこ掴んで玄関の戸を開け放り出す。そこへオバハンが廊下を駆けて来て、小僧の五分刈りから額までも青ざめる。ちょうど出番に間に合った模様、好きにやっちゃって。
廊下から小僧を叱咤するオバハンの声。それで玄関の戸の隙間から、やーいと私が舌出しすると、小僧はそれに応じて顰め面。で、それを見咎められてまた雷。まだ説教の半ばなんだからちゃんと反省なさいよ。
「アラァ、三上ちゃん。この頃リッコがお世話になってるみたいで、ありがとねえ」
小僧はオバハンがこっちに気を取られた瞬間、もう脱兎のよう駆けてった。あらま、私の所為。オバハンに分からせられた小僧どもは、向こう一週間下の公園での野球も休みだろーな。
「おばちゃんもご苦労ですね。んでも、とってもいい教育者じゃありませんか」
「マァ。でも夏休みといえガッコの部活は毎日ないらしいし、センセも大変だが子供らもそうよ」
ちょいと右に傾げてほくほく笑うオバハン。肩ら辺に手を回して何やら気にしてる。やっぱりそうだ、まーた厄が顔を出してるわ。「おばちゃん、ちょいたんま」ひとつ聞きたいことがある。
「ねぇね、今日の晩ごはんは?」
「ウウン? いきなり何よォ。えーと、確か今日の献立は…」
まったく、あんなドえらい目に合わされたのにオバハン、まだ信心が抜けてないのかしら? 兎に角清めじゃ、清め。東南西北――。私はオバハンに向かいパパッと塩を撒く。ここでまたお出まし、八幡の塩。
「いや、何しますの!」
「おばちゃん、駄目よ駄目。まだ悪いのが憑いてますよん」
ふふん、私には丸々お見通しだからね。先の私の一言が予想外だったか、驚くオバハンはスーパーで半値引きの刺身盛りを見るような目。憑きものにも善し悪しがあるけど、今憑いてたのは駄目ね。まーだ、‘‘烏の森 ’’にたぶらかされてるのん?
「もうあの宗教とは縁切りしたって言うたじゃない」
あの時――私が憑きものを祓った際は暴れまくりだったオバハンも、今は目の前で伏目がちにだんまりを極め込む。ああ、忌々しい彼奴の名は、なんとか御大とか言ってたっけ…?
何か知らないけど私にも言えない事があるのね。夕日の最後の一盛りがオバハンの右頬を焼くと、色味も形も伊予柑っぽい。…じゃなくて、その表情はどこかさびしそう。
「おばちゃん、わたしはいっちょ噛みは嫌なんで。また、後日話を聞きに行きますからァ」
私がそう言い放つとオバハンはこくりと頷く。最初はドつきあいから始まったこの付き合いも、随分といいご近所同士になったもんよ。
「ただいまー」「あー、お久お帰りー」「で、リッコあんたいつからそこにいた?」「ううん? まあ、鬼の居ぬ間にねー」。
それから、今日もお世話になりやすって、聞き飽きたわその文言。家に帰ったらこれだ、寝子を飼ったつもりもないんだけど。
長いブロンドにヤンクスの野球帽。ほんと色気のないTシャツと短パンで寝転がってマンガ読んでるこいつは律子。山田のオバハンの姪っ子で、いつからか我がもの顔で私んちに入り浸ってる、宿借りのぷー太郎。
前からこの団地で顔は知ってるけど挨拶も交わした事なかった間柄なのに、‘‘烏の森’’の件以来こうだ。こいつははじめっから人の懐に入るのが上手くて、気づけば悪いものに憑かれてた山田のオバハンの御祓いをしてた。私が。
リッコが言うにはうちらなかよし。可愛い奴? うーんどうだろ、にーいちになってもフラフラしてるから親に家叩き出されたわけだしね。産みの親より里の親のが情け深いともいうが、甘やかしはよくない。
「あんたは食っちゃ寝が基本でしょ? そんなで仕事になるん?」
「へーきへーき。あー腹減ったわ。お久、今日はなにー?」
「毎日毎日変わらん繰り言ね。だ〜か〜ら〜、そうめんだってば」
「ええッ、それだけ? なんなんだよーおかずないじゃん」
豆腐食え馬鹿たれが。はたはたと団扇扇いで最早義務と化したそうめんを二人前茹でる。沸騰したらお鍋の火を止めて蓋してささっと蒸すように、これが上手く麺にこしを作る要点とな。
「そーなん? おっと、もうナイターの中継始まってるゾ」
リッコはテレビをつけてプロ野球見出した。さっきまで寝っ転がって漫画読んでたのに、野球見る時はテレビの前で正座。そうかと思えば何の早業か勝手に冷蔵庫からビア缶取っててぷしゅっとやってる。
私はそれを横目に見ながらそうめんを上げ氷水で丹念にしめる。水切りしたらガラス皿に盛り付け、つゆ入れたそば猪口に薬味ねぎで一丁上がり。ほら、風鈴が凛と鳴れば少しは暑気も引いていく。
「しっかし、まじででけーテレビだよな、金なしなのに。なんぼほどあるん?」
「うるせ。前にね仕事の報酬が入ってふんぱつしたのよ。インチはごーごー」
「うわっ、ゴジラサイズじゃん。やば。って、うっそビッグフライ。今日は幸先よく点入ってるし、ちゅうんち」
かっとばすな、鳴り物鳴らすな。こいつはほんと一度見始めたら人の話を聞かないんだから。まずご飯の前に、酒でふにゃふにゃになる前に、風呂に入るのがうちの流儀だ。もう七時だし、だらだらしてっと灰になる。
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