第8話
結局、私はお持ち帰りされることもなく、割としっかりした足取りで、むしろ椰潮君の手を引くような形で家路についている。椰潮君はお酒なんて一滴も飲んでいないのに、泥酔でもしているかのようなよたつきぶりだ。タクシーを拾って近くのコンビニで降りて水を買い、お互いの家まであと数メートルである。
「ちょっともー椰潮君、しっかりしてよ」
「も、申し訳ありません」
「ていうかね、あれくらいでこんな動揺してたら、私達いつまでもその先に進めないわよ?」
「そ、その先とは」
「えっ? ――ぅあっ、ちょっ」
彼がよたよたと歩くのに合わせてえっちらおっちらと引っ張っていたその大きな身体が、ぴたりと止まる。こうなると私の力だけでは絶対に無理だ。帰宅を断固拒否する大型犬のようである。夜宵を呼んだ方がいいかしら。ああでも、まだ帰って来てないかもしれないわね。
「もう、急に止まらないでよ」
「弥栄さん、その先があると期待してもよろしいのでしょうか?!」
「そりゃ、そうでしょ。だって、私達、『恋人』なんですもの」
「ええと、その、それはそうなんですけども。だって、まだ、お試しで」
「あともう何日もないじゃない」
「そうですけど。だって、まだ弥栄さんは」
俺のこと、好きになってないですよね、と再び、しゅんと背中を丸める。いつだって自信満々に伸びているその背を丸められるのは私だけなのだと、そこにも少しだけ優越感を覚える。
「大丈夫、何か一気に好きになった」
「え」
「だって、『運命の人』ってそういうものじゃない?」
「え、いや、え?」
「始まりこそ立候補だったけど、うん、さすがは運命だわ。やっぱり然るべきタイミングでビビッと来るものなのね」
腕を組み、うんうん、と一人納得していると、丸まっていた椰潮君の背中が徐々に定位置に戻っていく。萎れていた花が水を得て元気になるかの如く、しゃっきりと伸びる。そして。
「弥栄さん!」
「うわぁ!」
わずかな距離を一気に詰められ、真正面から強く抱き締められた。わぁ、大胸筋がふっかふかだわ。筋肉ってもっと硬いと思ってたけど違うのね。
「弥栄さん、好きです!」
「もう何度も聞いてるってば」
「何度でも言います! 好きです! 大好きです!」
「はいはい、わかったって」
「毎時間毎分毎秒好きです!」
「もう一捻りほしいわね」
「考えておきます!」
「よろしい」
時刻は二十二時を少し回ったところだ。
一応声のトーンは落としているものの、静かな住宅街でこんなことをしていれば、まぁ誰かの耳には入る。誰かの、というか、私の帰りを家の前でずっと待っていたらしい可愛い弟の耳にはしっかり届いていたらしい。矢萩君とは本当にちょっと会っただけのようだ。たぶん彼も自分の家にいるのだろう。
「椰潮さん、お姉ちゃんに何をしてるんですか!」
遠目では椰潮君が私に襲い掛かっているように見えたらしい、血相を変えて走って来るのが、また最高に可愛い。ああもう姉想いの弟、一生推せる!
「大丈夫よ、夜宵。お姉ちゃん、思った以上に何もされてないから」
「そ、そうなの……?」
「安心しろ夜宵! 俺は結婚までは清い交際を続けるつもりだ!」
私から離れ、その立派な大胸筋を、ぽん、と叩く。漫画でよく見るベタな仕草だ。これ、本当にやる人いるんだ。
――じゃなくて。
「えっ、そうなの?!」
それなら良かった、と胸を撫で下ろしている夜宵の隣で、思わずその言葉が口を突いて出る。
「嘘でしょ、椰潮君」
「何がです?」
「あなた本当に何もしない気?」
「何も……っていうのは」
「だっていま結婚までは清い交際って」
「もちろんです」
「さっき家に帰したくないとか何とか言ってたじゃない! 家に帰さずに何するつもりだったのよ!」
「えっ、夜通し語らったりですとか、枕を並べて一緒に寝たりですとか」
「学生の修学旅行じゃないんだから!」
一緒に寝るっていうのも絶対、本来の意味のやつだし! これ枕投げまでやるやつでしょ!? トークテーマは何? 恋バナ!?
「キスくらいはするでしょうよ!」
「ちょっ、お姉ちゃん?!」
「そ、それくらいは、まぁ、その、大目に見ていただいて、はい」
「椰潮さんまで?!」
「私達良い年した大人なのに、キスで済むと思ってんの?!」
「いやそこは鋼の自制心でどうにか」
「ちょ、ちょっと二人共! 落ち着いて! あの、ここ、外だから! い、一旦帰りましょ?! あの、どちらかの家に、ね? あの、僕、邪魔なら席外しますし」
私と椰潮君の間に入って、あわあわと帰宅を促す夜宵に従い、この話し合いはまた改めて、ということにして各々の家に帰る。
何か色々吹っ切れた様子の椰潮君は最後まで「好きです」を連呼し、そのドストレートな愛情表現に私じゃなく夜宵の方が赤面していた。その真っ赤な顔を冷ますように、ぱたぱたと手を扇いで風を送りつつ、夜宵が、ふっ、と笑う。
「良かったね、お姉ちゃん」
その言葉に、「何が?」と首を傾げながら結っていた髪を解く。
「椰潮さんとちゃんとお付き合いするんでしょ?」
「あ――、うん。なんかね」
そんな感じになっちゃったわね、と苦笑すると、夜宵はとてもホッとした顔をした。
「仕事から帰って来た時のお姉ちゃん、ものすごく悩んでたし何か元気なかったからさ。心配だったんだ。だけど、いますごく嬉しそう」
「そう?」
「二人共、とてもお似合いだと思う」
「かもね。なんか思った以上にしっくりきてる」
「お姉ちゃんが嬉しいと僕も嬉しい。だから、まぁ、ないとは思うけど、もし、椰潮さんに泣かされたりしたら、絶対言ってね」
「わかった。でも、夜宵勝てる? あのムキムキに」
「僕だって、大切な人のことは守るよ。絶対に負けないから」
そんなことを言って、確実に彼のものよりも細い腕を捲って、ぐっと力を込めて見せる。腕力では絶対に勝てそうにはないけれど、その頼もしい言葉に、お姉ちゃん涙が出そう。
まぁ、なんやかんやあったけれども、こうして私と、お隣に住む幼馴染みとの交際はお試し期間を経て本格的にスタートした。たまに――いや、割と頻繁に暑苦しいと思うし、ドストレートすぎる愛情表現に噎せそうになることもあるけど、そういうのも、案外嫌いじゃないみたい。
ちなみに、彼は律儀にも『如何に私のことが好きか』というテーマで論文――というよりは作文かしら――のような長い長いメッセージを送って来た。良かった、顔だけじゃないのね、とホッとしたものである。
「これ、職場の先輩に見せてもいいかしら」
と許可を得た上で(『全世界に発信してくださっても大丈夫です!』という力強い返事が来た)そのメッセージを本宮さんに見せたところ、彼女は「あの業務連絡みたいなメッセージを送って来た彼と同一人物?」とかなり驚きつつも、「めちゃくちゃ愛されてるわね」と苦笑いだった。
なんやかんやで? ~長子チームの交際はこのようにして始まった~ 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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