地獄の門の鍵

大隅 スミヲ

地獄の門の鍵

 時は平安。京の都に小野おののたかむらというものありけり。


 篁は、昼間は朝廷で官吏かんりを、夜間は冥府めいふにて閻魔えんま大王だいおうの裁判補佐をおこなっているともっぱらの噂であった。

 冥府との扉は、六道ろくどう珍皇寺ちんのうじと福正寺にあるとされ、その扉となっていたのは寺内にある井戸とされている。


 ある日、朝廷の仕事を終えた篁が昼寝をしていると、どこからか聞こえてくる声によって起こされた。


「これ、篁よ」


 寝ぼけ眼で起き上がった篁は、得体の知れぬ気配に枕元の刀を引き寄せた。

 声はすれど、姿は見えぬ。これは現世うつしよの者ではないな。

 篁が刀を抜こうとした時、ぬっと目の前に偉丈夫が姿を現した。


「寝ぼけるな、わしじゃ。閻魔じゃ」


 よく目を開けてみると、そこには見知った赤い顔の大男が立っていた。

 こんな偉丈夫は、見間違いようもない。紛れもなく、閻魔大王であった。


「このような時間に何用かな、閻魔様。まだ日も暮れておりませぬぞ」

「ちと、お主に頼みがあってな」

「面倒ごとは、嫌ですぞ」


 篁は眉間に皺を寄せるようにしていう。


「そう言うな、篁。お主を見込んでの頼みじゃ」

「閻魔様からの頼み事では、断れるわけがなかろう」


 笑いながら篁は言うと、閻魔には気づかれないように小さくため息をつき、言葉を続けた。


「して、頼み事とは」

「鍵を探してほしいのじゃ」

「鍵と?」

「ああ、地獄の門の鍵じゃ。鍵が掛けられなくては、現世に地獄からの魑魅魍魎どもがあふれかえることとなるぞ」

「脅すつもりか」


 笑っていた先ほどとは打って変わって、真剣な顔をして篁が言う。


「いや、本当じゃ」

「では、いまはどうしている」

「鍵は開いたままじゃ。昼間であれば魑魅魍魎どもも、現世に出てくることはかなわん」

「あまり時間がないということか」

「そういうことじゃ」

「わかった。鍵を見つけよう」

「頼んだぞ、篁」


 そういうと閻魔は、すっと姿を消した。


 面倒くさい仕事を引き受けてしまったものだ。

 篁は安請け合いしてしまったことを後悔していた。だが、後悔してもはじまらない。現世のためにも、急ぎ地獄の門の鍵を探さねばならなかった。


 最初に向かったのは、六道珍皇寺だった。現世と地獄を行き来する場所といえば、ここと福正寺のどちらかとなる。

 篁は六道珍皇寺の寺務所で小僧に最近奇妙なことはなかったかと問うた。

 すると小僧は首を傾げながらも、奇妙な話をしはじめた。


 一昨晩のことだった。

 夜中に小便がしたくて目を覚ました小僧は、側屋かわやへ向かおうと寝床を出た。

 小僧が側屋へと向かっている途中、闇の中にある井戸が目に入った。いつもならば、気にならないのだが、その日はなぜか井戸が気になったそうだ。

 よく目を凝らして見ていると、井戸の中から鬼が姿を現した。

 驚いた小僧は急いで寝所へと戻って僧たちを起こしたが、寝ぼけているだけだといって誰ひとりとして取り合わなかった。


「なるほど、それは奇妙な話だ」


 顎に手を当てながら篁はそう言うと、小僧に問いかけた。


「その鬼とやらが出てきたのは、あの井戸からかな」


 篁の問いに、小僧がこくんとうなずく。

 なるほど。篁はひとりで納得した。


 六道珍皇寺の井戸こそが地獄への門であった。普段は鍵がかかっており、鬼も人も自由に出入りを行うことはできない。

 鬼が出てこれた理由。それは閻魔が言っていた地獄の門の鍵が関係しているのだろう。

 これは厄介なことになってきたぞ。


 篁は小僧に礼を言って別れると、井戸の周りをぐるりと見てみた。

 鬼というのは、独特な臭いを放っている。それが体臭なのかはわからないが、とにかく独特な臭いを発するのだ。

 一昨晩のことなので、臭いはかなり薄れてきていたが、まだかすかに鬼の臭いは残っていた。


 その臭いを辿っていくと、竹やぶへとたどりついた。

 鬱蒼うっそうとした竹やぶは、日の光も届かず、どこかじめついている。

 竹やぶへと足を踏み入れた篁は腰の刀をすらりと抜いた。

 血の匂いがしたのだ。

 竹やぶの奥へと入っていくと、そこには大きな背中が見えた。色は赤黒く、牛のように大きな肉体。額の少し上からは二本の小さな角が生えている。

 間違いない。鬼だ。

 篁にとって鬼は地獄で仕事をしている時は、同僚もしくは部下だった。

 だが現世では、人に危害を加えるでしかない。

 色の白い女の足が見えた。すでに血で汚れていることから、駆けつけるのが一歩遅かったようだ。


「おい」


 篁は鬼に声をかけるのと同時に、斬りかかっていた。

 突然斬りつけられた鬼は、慌てて右腕で顔を守ろうとする。

 篁の刀は名刀と呼ばれるようなものではなかったが、なまくらでもなかった。

 鬼の叫ぶ声が竹林に響き渡った。

 右腕を斬り落とされた鬼は、必死に命乞いをする。


「地獄の門の鍵を盗み出したのは、なんじか?」


 篁の問いに鬼は首を横に振る。しかし、その首には紐につけられた地獄の門の鍵がぶら下がっていた。

 鬼というのは、平気で嘘をつくものだ。

 篁は刀で鬼の首を斬り落とし、地獄の門の鍵を取り返したのだった。

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