孕ませ番長

猫浪漫

第1話 自慰空間モデル

 わたしの父は、北海道の網走近郊の片田舎の農家の子として生まれました。


 小学生のときから雪の溶け出す頃になると、地主の娘であった梢恵こずえを自転車の後ろに乗せて、登校していたのだというのです。


 梢恵は美しい少女だったといいます。


 父は、「黒目の大きな瞳が印象的な」と――マスコミの文章から文体を覚えてきたオッサンのような表現で、彼女の可愛らしさを示しました。


 梢恵の家は地主であり、美女を家系に組み込んでいく意志を持ち、美容の遺伝子を一族に引き込むことに成功していたのだといいます。



 ですが、梢恵は生まれつき足の悪い子でもありました。


 尋常なら、姫の才覚ある彼女に近づくことすら出来ない田舎の悪童連も、一つでもバカに出来る箇所があると、美少女に接する敷居が下がるものであったようです。


 彼らは足を引きずって歩く梢恵のさまを見下し、常に彼女を転ばせたりなどしていたのでした。


 父はそんな哀れな梢恵を身を挺して助けていたといいます。


 ですがイジメの部分までは真実でも、虚言が板についているわたしの父は、必ず自分に判りやすい正義の役柄を与えたがる人間なので、この部分は虚言のしわざであり、正史と呼ぶには相応しくないのでしょう。



 中学になってもいつもふたりの登校は一緒でした。雪の季節がふたりの進路を閉ざすときまで、梢恵の姿は父の自転車の後部座席にありました。


 そんな思春期に到達したばかりのあどけない性の一対を、同級生たちがカップルと呼びたくなるのも無理はありません。


 ふたりは当時の言葉でいうならば「アベック」、或いは「ペヤング」などと周囲から称され、冷やかしと羨望の渦中にあったのです。


 しかし父の弁によれば、彼は梢恵のことを恋愛的な対象としてみていた訳ではありませんでした。



「強いて言えば――オレの青春における『自慰空間』のモデルとして、彼女の出演があったことは認める。だが、梢恵はオレのオナニー史における数多くのオカズ候補のひとりであったに過ぎない」


 わたしの父は見栄のためなら、いかなる無意味な嘘をも吐く演技性丸出しの人間ですが、虚言でならした父のこの言葉も、この時ばかりは100%の精度で真相を語っているようにみえてなりませんでした。



――やがてふたりが三年生になり、網走には秋が立ち去ろうとしていたある日の朝、父はいつものように梢恵をママチャリの後ろに載せて登校していました。



「ぶしゃっ」



 学校まであと僅かの距離のところで、父は突然、背中に得体のしれない何かを投げつけられたような感触に襲われました。


 その音からみて、何か液体のようなものであるらしい。


 自転車をすぐに止めて、後ろを振り向くと身体左斜めに傾かせながら、地面に落ちていく口を抑えた体裁の梢恵の姿がみえました。


 その指先から零れた怪しい物体と水分――

 

 このとき、この童貞の背中には、女であることの宿命的な吐瀉物が吐きかけられていたのでした。

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