桜とアスファルトと月

北緒りお

桜とアスファルトと月

 満開にはまだ早い。

 マスクを外して深呼吸をすると、つい一月ほど前の冷たく張り詰めた空気とはまったく変わっていて、鼻の奥に柔らかく、けれどもまだひんやりとした緊張が残る空気が流れ込んでくる。

 桜の幹に寄りかかり、満月を眺める。

 よく晴れた空にまん丸に浮かび、春と言い切るにはまだ早いかと思わせる夜、明るく満月に照らされた桜の木の枝、大木の枝々から物静かに伸びている新芽の存在をがよく見え、近所の公園なのに特別な場所に居るようだった。

 珍しく早めに帰宅して家のことでもやろうか、と考えていたのだが、マフラーやらコートやらの重装備もいらなくなったという身軽さが目的のない夜の散歩へと駆り立てたのだった。

 人の居るところに行くのも気分でなったので、コンビニで数本の酒を買い、駅から少し離れたところにある大きめの公園に狙いを付け歩いた。

 満月だからなのか、それとも少し暖かくなったからなのか、夜道が明るく感じ、そして変に楽しい。

 コロナが広まって数年経たないうちに物価上昇に押されて世の中に不景気風が吹き始めたらしい。それがドミノ倒しのスタートだったらしく、村役場や市役所の破産や支払い滞りなんてのがニュースを騒がせるようになった。それが俺が高校生ぐらいの話で、働き始めて数年もしないうちに水道以外ほぼ機能しなくなってしまい、歩道のアスファルトは剥がれたりゆがんだりしていてもそのままになっているのだった。

 小さい頃、ベビーカーに乗せられている頃の写真を見ても、周りの大人はマスク姿で、今の俺もマスクを着けるようになっている。小さい頃はマスクを着けるのは大人のまねで楽しかったような気がするが、いつの間にやら防寒やら花粉対策やらで実用として使うようになっていった。

 公園へ続く道は駅から十分ほど歩き、車の行き来が絶えることがない国道を渡り、さらに公園入り口という神社の参道みたいに伸びた道を五分ほど歩くとたどり着く。

 国道はアスファルトがめくれてるなんてことはないが、公園に続く道に入ると道がぼろくなり、アスファルトが波打ったりめくれたりしている。そのせいなのか、通る車は少なく、歩いて行くのには都合がいい。

 桜の並木は昔に整備されたっきりで、その根がアスファルトを持ち上げ、道を波打たせている。

 その盛り上がったり割れたりしているところも満月の光がやんわりと照らし、なにやらきれいな物のように見えてくるから不思議だ。

 この公園とは付き合いが長く、幼稚園の頃に遠足できたような記憶があるが、その頃はこんなにぼろくなかったような気がするが、道のことなんてのはほとんど覚えていない。覚えているとしたら、一緒に歩いた友達や弁当、それに芝や草花をいじったなんて記憶ぐらいだ。

 園児ぐらいだと、視点が地面に近い分地面のことに興味を持つのだろう。そう考えると、この道は園児たちを惹(ひ)きつけて止まないぐらいに、起伏がありヒビがあり、割れやめくれなんてのもある。

 月は高くから照らしてくる。スマホを見るとグループチャットに投稿が少しだけあり、柄にもなく夜の散歩で高揚している恥ずかしさから〔月で酒〕と満月の写真とともに投稿してみた。

 急ぐ必要もないのもあって、冷蔵庫の冷たさから夜風の冷たさぐらいになった発泡酒を開け、少し口に含んでゆっくりと流し込んではのろのろと歩いていく。

 高校を出てから仕事をして、気付いたら数年があっという間に経っていた。中学や高校の頃みたいに毎年のように強制的に何かが変わっていくこと、ということはなく、あてがわれた仕事をこなし、そうするうちに少しずつ自分がやっていることの内容がわかってきて、それでも上司に注意をされたりをして、と進歩しているのかどうかわからない。

 満月に目をやる。

 照らす光は柔らかく、主張もしなければ否定もしない。ただ、明るいだけだ。

 足下のアスファルトが盛り上がり、なにやら峰みたいになっているところを、面白半分に伝って歩いていると、腕時計に通知が届く。ポケットの奥で寝ているスマホに着信があったのだろう。

 着信は近所に住む柴田だった。

 電話で話すのもめんどくさかったので、腕時計から[なにか用でも?]のステッカーを送る。そのステッカーは人を小馬鹿にしたような表情のウサギが耳に片手を添えてこちらを見ているという物で、いまのいいかげんな気分で人と接するのにちょうどいい感じに思えた。

 柴田からは少ししてメッセージが届き〔公園の桜のところだろ? 俺も行く〕と書いてあった。

 どうやら写真に写り込んでいた公民館への案内板を見てすぐに居場所がわかったらしい。

 暇なのかと思い、待つことまではしないが、広場の囲いのそばにある比較的目につきやすいベンチに座った。このあたりで一番大きな公園で、なおかつもう十分ほど歩くと親水公園もある。【公園入口】と書いてある道路標識から五分ほど歩き、やっと遊具のある公園の本体が見えて、その奥の方に広場があるというひたすら歩かされる配置になっている。遊具があるあたりは周りに家があり、花見をしていると注意をされたりするが、奥の方の広場ならば、少しぐらい話が弾んでもそうなることもなく、桜の季節にはいくらかの集まりがあったりする。平日の夜となると人影もなく、閑散として殺風景だ。そのなかで桜を背にして、残り少ない酒を呑んでしまうか、それとももう少し時間をかけようかと迷っていると、柴田らしき人影が近づいてくるのが見えた。背が高いのだが細身なせいで街灯でできた影が鉛筆みたいになっている。

 柴田もこちらのことが気がついたのか、軽く手を振ると、のたりのたりと歩いてくる。こっちも手を上げ、手を振ったのを気付いているというサインを出して、柴田の方を見て気付いた周りの桜をゆっくりと見渡した。

「あのさー、途中のコンビニ潰れててさー、下のコンビニいかね?」と開口一番から来た。

 手元に残っていた少しの酒を全部流し込むと、一口分にも足りないぐらいだった。

 広場から親水公園まで歩くと十分ぐらいだが、その途中にコンビニがある。

 団塊の世代と呼ばれた年寄りたちが寿命を迎え始めた数年ぐらい前から、駅前だろうが住宅街だろうが、コンビニが潰れ始め、高校生の頃には家から駅までの間にコンビニが六軒ほどあったというのに、今では一軒だけとなった。

 その一件にしても、弁当やおにぎりの大きさはだんだんと小さくなり、冷凍や介助食なんてのが棚の主役で、仕事をしていて食べようと思えるようなものは数えるほどしかない。

 それも、長く続いた〝物価高騰〟とやらで、麦ご飯の上に味のついたタレがのっているような物で、アルバイトの一時間ほどの金を取られるのだからたまった物ではない。

 酒にしても事情は同じで、金を持っている国にウイスキーやビールは買われていき、国から出られない貧乏人はジュースのアルコール割りみたいな物しか飲めない。それだって、味が改良されているらしく、酔っ払えればいいという俺みたいなのにはちょうどいいが、少しでも本物の味を知ってしまうと飲めなくなってしまう味だという。

 柴田も俺も、レモン味の炭酸割りを買う。

 好きだからと言うわけでもなく、一番安いのがこれで、レモンの味が舌の奥に残り、さらにはコンビニ菓子のようなべたっとした甘さで、つまみがいらないという強いメリットがあった。

 柴田も俺も同じ高校で、さらに互いの家に歩いて行ける範囲に住んでいるのもあって、付き合いも長い。

 なにか波長が合うと言うわけでもないが、ちょっとの隙間にぴったりと合うような熱量のない交友が続いていた。

「あそこって桜あったっけ? まあ、月見でもいいか」と柴田は勝手に決めている。

 コンビニで目的の酒を二人とも二本買い込み、夜道に出る。親水公園に向かう道を歩きながら「少し酒を買おうと思っても、これしか買えねーからなー」と一缶をトートバッグに放り込み、手元の一つは開けて飲み始めながら言う。

 一口目をすすり終わり、喉に炭酸が引っかかっているのを無理矢理飲み込むと柴田は続けて言う「昔の漫画とか見てるとさ、酒呑んで愚痴ったりってシーンがあるじゃん。あれだってやったことねーもんな」と独り言なのか、会話の話題なのかわからないことを言っている。

 それを聞いて俺は「まあ、大学に行かないと、国内の会社しかないし、外国語ができたからって海外にでも住んでない限りたいした給料でもないしなー」と返す。

 柴田と俺が通った高校は、さほど賢いというわけではなく、大学に進学したのは全体の二割ほどだ。そのうち数人は奨学金という名のローン地獄にはまった。

 柴田は「進学たって、大学行ったら一年通うのに今の俺の給料半年分ぐらい払うんだろ? よっぽど金持ちの家じゃないと無理だろ?」と言う。

 事実そんなもんで、学費を借りて通うと言ってもその先に返すことを考えたら、学費を払うために就職して、返し終えるまで洋服を買い足すこともままならないような生活になる。

 それに返すように「おまえと同じクラスだった、飯塚っていたじゃん? バスケやってたやつ。あいつも奨学金で近くの大学に行ったけど、このあたりにあるようなへんぴな大学だと仕事にありつけないって言って、配達の仕事してるってよ」と言う。知り合いから聞こえてきた近況だ。

 それに柴田は反応して「お、それじゃ飯の配達頼むときにあいつ指名したら来るんだな?」とさっそくスマホを取り出して見ている。

 いわゆる〝安定した仕事〟ってのはなくても、日銭を稼ぐ道はいくつか転がっていて、誰かに雇われなくても生きてはいける。毎日をごまかすのに事足りても、栓をしてない風呂桶に水を流し込んでいるような物で、何も残らない。

 柴田は無言でアプリをタップしながら「てかさ、前々から思ってたんだけど店閉まるの早くねえか? 注文できる店がねーじゃん」とスマホを尻ポケットに入れる。

 「頼めたとして、それで飯塚呼び出してどうすんの?」と聞くと、あまり何も考えてなかったらしく一瞬の間を置いて「久しぶりだし、頼んだもん一緒に食べようかと、酒もあるし」とぼそぼそと話す。

 無駄話をしていると親水公園にたどりつき、どこか座れるところはないかと見渡すが、街灯は壊れていて、あかりと言えば園内の目立たないところにある公衆トイレぐらいしかない。月明かりでぼんやりと見えるベンチの影は、昔の人が洒落て造ったのであろう木製のものはあるのだが、朽ちていて折れたり枠だけが残っていたりする。腰掛けるのに良さそうなのは公園から水辺を見下ろすように造られた階段状のところで、これだって、水際の柵はさびきっていて、うかつに触ろう物ならなにか体に悪い影響があるんじゃないかってぐらいに鉄が朽ちている。

 水際の石段の中で汚れが少なそうなところを選んで腰掛ける。

 腰掛けて今まで歩いていた方向の先を見ると、水辺でなにかが動いているのが見えた。目をこらすと打ち上げられている大きな魚、たぶん俺の靴の倍ぐらいの大きさはあるだろう、にネズミがかじりついているところで、こっちの気配を察知したのか少し伸びをしてこちらを見ているらしく、縦に伸びていた。こちらが何もしなさそうなのがわかると、水辺の晩餐を続けるのに、また背を低くし魚の腹らしきところに顔を突っ込んでいるのであった。

 柴田は違う方向を見ていて気付いてないので、こちらも見てなかったことにして視線をそらす。

 満月は夜を包むようにすべてを照らし、木がそのあかりを受け取ったところは木陰のように切り取られ地面に影を作っていた。

 誰も居ないことをいいことに柴田は声のトーンをいつもと同じようにし「あー、金が降ってこねーかなー」とぼやいている。

「月見だってのに、即物的な事しか言えんのか」と冷たくあしらってみる。

 なぜか柴田は食らいついてきて「考えてみてみ、降ってくりゃ仕事に行かなくていいんじゃん」と言う、そこから続けて「金がありゃ、結婚もできるし、子供もできりゃ大学に行かせてまともな仕事をさせることもできるし、いいことばっかりじゃん。金がないとできることも限られるし、知ってることが少なくてもできることが限られるし」という。

 俺たちが生まれた令和の前、平成の時代に仕事していたじじいたちはとうに引退し、令和の頭に働き始めたのが上司たちになる。代表例は俺の上司だが、昼休みに一緒に食べているとよくする話があり、それを思い出した。食後のテーブルで聞かされるのが「AIが顔を出しはじめて、あれよあれよという間に管理職というポジションはなくなって、AIが作業を最適化しはじめて、最初は楽になるんで良かったんだけどなあ」で始まる。その続きは「AIができないことってのは、体を使う事と最適化できない事だけで、俺たちの中の頑丈なやつは体を動かして、賢いと思い込んでるやつは最適化できない作業を作るようになった」というところで、ただでさえ暗めの顔から光が消え「それでも利益が出ていた時代は良かったが、会社に〝最適化〟できない仕事がゴロゴロあるという段階で外資との競争で負け続け、会社ごと外資に買われて、日本での現地作業員のようになってな。雇われてはいるものの、昇給するわけでもなく、もちろん昇進するわけでもなく、ただただ、ずっと同じ条件で居るだけ」と、昼のひとときを台無しにする話を季節に一回は聞かされる。

 貧乏が遺伝するようになったのだった。

 大学に行っているか行っていないかで割り振られる仕事が大きく変わり、高校を卒業した段階で選べる仕事が大きく変わる。しかも、大学というのも勉強ができるからというだけでなく学費を払える家でないと入学すらできない。

 とはいえ、毎日のご飯は食べれているし、洋服だって必要なのを買うことができる。

 けれども、結婚なんていう贅沢なイベントに耐える懐具合ではなく、海外旅行だって行ったことはない。

 初代貧乏の親と、それを受け継いだ子供とで同じ世帯にすんでないと生きてはいけない。

 その結果、地元の友達はずっとつながり続けるけれども、高校を出たところから残りの人生が消化試合みたいになってしまうのだった。

 せっかく浮かれてた気分が一気に褪(さ)める。

 気分を変えようと「来週とかも桜大丈夫かね?」と柴田に話しかけてそっちを見ると、月を眺めながら酒を呑んでいた。

 柴田は無反応だったが「花見や月見が思いついたときにできるってのは、それはそれで、まあ、いいのかもねえ」とつぶやいてみいる。

 夜風は冷たいと言え、酒は少し温まり、炭酸も抜けてしまった。

 それをごまかせないかと酒を一口呑んだが、うまくない。

 持て余すように一緒に月を見ることにした。

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