終 ~死神と天使~
しっとりとした秋風がアタシの髪をさらい、いたずらに頬をくすぐります。白のワンピースがフンワリと膨れ上がって、起きたばかりの陽の光が少しだけ眩しくって、アタシは思わず目を細めました。鉄筋マンションの屋上の塀に腰を掛けているアタシの眼下、玲希さんと美百紗さんの微笑ましい光景が映っております。
「一時はどうなることかと思いましたけど……良かったですね。玲希さんと美百紗さん」
宙に投げ出した両足をブランブランと揺らしながらアタシがそう言うと、「そう、だな」すぐ隣でそぞろ立っているシレネ様がボソリとこぼしました。
「それにしても――」アタシはジトっと目を湿らせながら、シレネ様のお顔を睨み上げます。
「シレネ様。アタシの黒歴史――前世のこと……知っていたんですね」
「ああ。ラブ課長から聞いていた」
シレネ様がこともなげに言うもんだから、思わずアタシはふくれ面を披露しました。
「まったく……人が悪いですよーっ! 黙って人の過去、嗅ぎまわるなんてーっ」
「敵を欺くにはまず味方から。私の常套手段さ。……それにお前、前に私が恋愛課へ志望した理由を聞いた時、前世のことを黙っていただろう。恋愛に人生を救われた――とは言ってたが、それ以上のことは喋らなかっただろう?」
ユラリとこちらに視線を向けたシレネ様が、いやに真剣な目をアタシに向けております。
「私は恋愛の『れ』の字もわからない。そんな私が恋の神をやらなければならない。だから、お前が恋愛に傾倒するようになったきっかけを直接は聞かず、私なりに想像してみたんだ。恋愛って奴の正体を、私なりに探ろうとしたんだ」
アタシはというと、黙ってシレネ様の声に耳を傾けるばかり。
「お前は人生のほとんどを病に苦しみ、同時に失望していた。しかし最後の数年間、命の灯が消えかかっている僅かな人生で『恋愛』に触れたお前は、生きる意味を手に入れることができた。所詮は人の手によって作られたフィクションだが、それでも……幾多の恋愛を知ることでやさぐれていたお前の心は浄化され、満足な死を遂げることができた。……違うか?」
アタシはハッとなりました。
一見、何を考えているのかてんでわからないシレネ様。
冷酷非道で一切の遠慮を持たず、目的のためには手段を選ばない死神様。
でもあなたは、鉄面皮に包まれた灰色の瞳で、人の心にまっすぐと目を向けていたんですね。
シレネ様なりに、恋愛を知ろうとしていたんだんですね。
恋の神という、死神課とはおよそ畑違いな職務を投げ出すことなく。
腐ることなく、逃げることなく、努力を、怠ることなく――
そっと目を伏せたアタシは、「……仰る通りです」静かにコクンと頷いて、
でもすぐにグッと顔を上げて、まっすぐにシレネ様のお顔を見つめます。
「シレネ様、シレネ様はさっき犬塚さんに対して、『私たちは似ている。私たちは人の気持ちがわからない』そう仰っていました。でもそれは違います」
シレネ様は少し意外そうに、細い目を僅かだけ見開きました。
「シレネ様は犬塚さんとは違う。だって最後まで諦めずに、玲希さんと向き合っていたじゃないですか。彼が絶望しても見捨てず、声をかけつづけたじゃないですか。シレネ様は、ちゃんと人を思いやることのできる、慈しみ深い方なんだと……アタシは、思います」
ニコッと笑って首を傾げると、シレネ様は小さなお口をポカンと開いて目を丸くしておりました。やがて逃げるようにアタシから視線を逸らし、落ち着かない様子で後ろ髪を触りはじめます。
「……そんなこと、自分ではわからんな。性格など所詮、他人からの比較評価にすぎん」
シレネ様がやや早口気味に言葉を並べます。……えっ、もしかしてシレネ様――
照れてる?
――でも、アタシはその疑問符を口に出しませんでした。見てはならない貴重なワンシーンは、胸の内にしまいこむことにしましょう。アタシだけの宝物ととして大切にとっておくことにしましょう。アタシがフフッと息を漏らすと、「……なんだ、何が可笑しい」シレネ様が八の字眉を作りならが首を傾げます。
「なんでもないですよーっ。……あっ、でもでも、『死の呪い』を玲希さんにかけたのはやりすぎですからねっ! あんなやり方……次は絶対ダメですからねーっ?」
アタシがめっと人差し指を立てると、「ああ、それなんだが」シレネ様が涼しい顔で、
「私は元より、藤吉玲希に呪いなどかけていない。……というか、死神にそんな力はない」
驚愕の事実を、平然と宣いました。
「……へっ?」
「いくら神とはいえ、人間の生き死にを勝手にするなど言語道断だ。死神が持つ力はな、『見た人間の寿命がわかる』。それだけだよ」
アタシはワナワナと唇を震わせております。ワナワナと肩も震わせております。
「じゃ、じゃあ、今まで、玲希さんも、アタシも……?」
シレネ様が口元を緩め息をこぼしました。珍しく得意気な顔つきで、
「さっき言っただろう? 敵を欺くにはまず味方から。私の常套手段さ」
アタシは呆気に取られてしまいました。拍子が抜けてしまいました。
「も……もーっ! ホント、人が悪いんだからーっ!?」
思わず立ち上がったアタシは顔を真っ赤にして大声をあげます。でもシレネ様は意に介する素振りを全く見せず、ニヤニヤとイヤらしく笑うばかり。……もーっ!
「あれ?」一抹の疑問が頭によぎったアタシは、首を斜め四十五度に傾けて、
「じゃあ……死神課って、何のお仕事をされているんですか? 他人に害悪を及ぼす人間を排除し、地上界に平定をもたらす――アタシ、そう聞いていたんですけど」
「……それは、死神課の業務の特性上、あえて誤った事実が天界に流布されているに過ぎん。真実は別にある」
シレネ様が少しだけ逡巡しながら、「……他言するなよ」前置いたのち、あさっての方向に向かってボソボソと声を飛ばします。
「死神はな、命を軽んじる人間を『改心』させ、天界に昇った後に神としての業務をまっとうするよう『心変わり』させるのが仕事なんだ。ターゲットには、『自らの罪によって命を取られた』と錯覚させるがその実、我々のやっていることは『寿命の近い』人間を探し出し、タイミングを計って鎌を振っているだけにすぎん。……この事実が天界に知れ渡ってしまうと改心にならんのでな。死神の本当の仕事は課の連中と天界の上層部しか知らないんだ」
「そう……だったんですね」萎れたような声をこぼし、アタシは視線を落としました。
「ゴメンナサイ、アタシ、そうとも知らずに最初、シレネ様のこと……死神課の人たちのこと、悪く言っちゃって」
「いいさ」シレネ様が何食わぬ顔をこちらに向けて、
「私をはじめ、課の連中には擦れた手合いが多い。他人の目などいちいち気に留めていたら、死神などやってられんからな」
その言葉を受けて、アタシはホッと胸をなでおろしました。でも、都会の街を見下ろすシレネ様のお顔はどこか寂しそうにも見えます。「あの……」アタシは徐に口を開きました。
「改めて、教えてくれませんか? アタシもシレネ様のこと、知りたいんです」
シレネ様がこちらを振り向き、少し驚いたような表情を浮かべました。
たぶんアタシは、自分が思っている以上に真面目な顔つきになっていたのでしょう。
「シレネ様はどうして、死神になろうと思ったんですか? 以前訊いた時、前世の仕事でもよく人の死に触れていたからと仰られていましたが、前世で一体何をなさっていたんですか?」
シレネ様はすぐに返事を返しませんでした。「……そうだな」口元に手をあてがいながら、思いを馳せるように空を見上げながら、
「罪滅ぼし……いや、自己満足だな。私は前世で人の命を殺めたんだ」
サラリと仰られたその告白を、およそ聞き流すことはできません。
「……えっ?」アタシは杓子定規に聞き返すしかできませんでした。
聞き間違いか勘違いの類だろう。そう思い込もうとした矢先――でも頭の片隅にあった記憶の声がアタシにこっそり耳打ちするんです。あの時、恋愛課の資料室でアタシとシレネ様がかわした会話の音。まさか……あの時のシレネ様の台詞、冗談なんかじゃ――
「シ、シレネ様の、前世でのお仕事って、もしかして――」
恐る恐る、窺うようにシレネ様を覗き見ると、静かに視線を下ろしたシレネ様がアタシの瞳をジッと見つめておりました。そして、
「私は前世で、救命医をやっていたんだよ」
「ころし――あ、あれ? 救命医……って、お医者様!?」
予想外の角度から奇をてらわれたアタシは、びっくり仰天せざる得ませんでした。両手をばんざいしながら飛び上がると、シレネ様が可笑しそうに頬を崩します。シレネ様が、アタシに初めて素の顔を見せてくれた気がしました。
「私の家はいわゆる医者家系でね。両親も兄弟もみな医療関係の仕事に従事していて、私とて例に漏れなかった。――医療の現場においては、一つのミスが一人の人生を狂わせかねない。過程は意味をなさない、結果が全てだ――って、私は父親から、毎日のように医者としての在り方を教え諭されたよ。私がこんな性格になったのは、きっと教育の賜物だな」
自嘲気味にこぼしながら、シレネ様がとぼけるように肩をすくめました。でもすぐにまた私から視線を逸らして、朝焼けに目を細めながら唇を剥がします。まるで一枚の絵画のように美しいお姿でした。
「私が前世で命を失う直前のことだ。私が深夜の当直を担当していたとき、人が手薄なタイミングで重篤状態の患者が一気に二人かつぎ込まれてきてね。一刻を争う容態で、他の病院に回している時間はなかった。日々の業務で限界まで疲弊していた私は判断を誤り、一方の患者を新米の医師に任せきりにしてしまった」
シレネ様がお空に向かって、凛とした言葉を飛ばしつづけます。
アタシは口を挟まず、黙ってシレネ様の声に耳を傾けておりました。
「新米の医師が力不足なのは明らかだった。でも私は患者を彼に押し付けた。……急きょ舞い降りた重要な局面に耐えられなかったんだろう。彼はね、患者を置いて逃げ出してしまったんだ。その事実を私が知ったのは、その患者がこと切れた後だったよ」
シレネ様の背中に寂寞がまとっております。
いつも冷静で、時に冷徹で、威風堂々、決して他人に隙を見せないシレネ様。
でも今のあなたはちょっと触っただけで、脆く崩れ去ってしまいそう。
「私はグルグルと、自問自答をつづけた。何故、こんなことが起こってしまったのだろう。己の愚かさを呪えばいいのか。逃げ出した若い医師を責め立てればいいのか。ひっ迫する医療現場に対して何の手も打たない医師会や政府を恨めばいいのか――そんなことを考えながらボーッと夜道を歩いていたらね、お間抜けにも信号無視の交通事故に巻き込まれてしまったんだ。自らに投げかけた疑問の答えを見つけられないまま、私は人生を失った」
シレネ様がユラリと首を動かして、アタシに真っ白なお顔を向けました。
「だから、かな」真っ黒なローブが陽の光に包まれ、光沢が弾けていました。
「天界にやってきて、神としての新たな生が与えられたと知った私はこう考えた。死神の業務に従事することが、贖罪になるかもしれない。解のない自問自答のヒントに為りえるかもしれない――それが、死神をつづけていた理由さ」
シレネ様がそっと口を閉じます。早朝の静けさが再び、アタシの全身を包みます。
「シレネ……様……」
なんて言っていいかもわからず、アタシはバカみたいにあなたの名前をお呼びするばかり。
やがてジンワリと視界が滲んで、「――えっ? お、おい」シレネ様が珍しく、焦ったような声をあげました。
「エーデル。お前、なんで泣いているんだ?」
アタシはぐずぐずと鼻をすすりながら、白装束の袖で目元を拭いながら、
「アタシ……アタシ――」赤子のように真っ赤に腫れた顔を晒して、満面の笑みを作って見せました。
「シレネ様に付くことができて、本当に良かった。シレネ様のような方と一緒にお仕事させてもらえて……本当に、嬉しいです」
シレネ様が目をパチクリと瞬いておられます。やがてフッと乾いた息をこぼして、艶っぽい所作で首を傾けて、
「こちらこそ……頼りにしているよエーデル。私は恋愛の『れ』の字もわからんからな。今回の案件で……藤吉玲希を見ていて、ますますそう思うようになった」
「それは……どういうことでしょう?」
「奴の、恋愛を動機とする行動原理はいちいち不可解だ。傍から見たら明らかなる悪手を平気で選び取り、理解しがたい理由で思考停止する。……かと思えば、無鉄砲に一人勝手に暴走したりもする。正直、白旗を挙げたい状況は多々あった」
大袈裟に嘆息するシレネ様のお姿を見ていたアタシは、一抹の不安に駆られました。
「シレネ様は、やはり『恋愛』などこの世界に必要ない、『恋愛課』の仕事は不要と……そう、お考えでしょうか?」
「いや」シレネ様が静かにかぶりを振って、
「そう判断するのは早計――というのが、現時点での私の解釈だ」
口元に手をあてがい、何やら考え込むように虚空を見つめております。
「結果的に藤吉玲希は、自身のキャパシティを大きく超えた行動や決断をし、自らが望む未来を勝ち取ったんだ。『恋愛』の持つエネルギーが奴を後押しした。……そう、判断せざる得ない」
手を降ろしたシレネ様が微笑を浮かべて、ワクワクしたような顔つきで、
「しかしそのパワーの正体を私は掴みあぐねている。……私の魂が本当の意味で消失するまで、天界で神として生きる間は――その正体を探ることに尽力してもいいかな。そう思えるくらいには『恋愛』に興味が沸いたよ」
アタシはパァッと、ひまわりのように顔を輝かせました。
その場で飛び上がりたいほどの高揚を覚えたアタシは、得意げにフフンと鼻を鳴らして、両腕を腰にあてがい高々に宣言します。
「ふっふっふ……シレネ様。あなたはまだ『恋愛』の持つすばらしさの、氷山の一角にしか触れていないのですよ! シレネ様付きである間、このエーデル――全身全霊を込めて、恋愛のいろはをシレネ様に叩き込みますよーっ!」
「……いやお前、リアルの恋愛はしたことないのだろう?」
「――それは言わない、お約束ーっ!?」
お間抜けなアタシの声が晴天に響き渡り――でもシレネ様は存外、愉しそうに表情を崩しておりました。アタシの胸に安寧が広がって、思わず笑みがあふれ出します。
アタシは自信に満ち溢れておりました。
シレネ様とアタシは無敵のコンビ、S級案件だろうがなんだろうがドンと来いです。
最強の二人が結ぶ恋は、きっと地上界にたくさんの幸せをもたらすことでしょう。
――で、あわよくばなんですが、もし、よろしかったらなんですが……、
生まれ変わったらアタシにも、素敵な恋人を――なんてねっ♪
<了>
昨日まで死神、今日から恋のカミサマ?(※改稿ver) 音乃色助 @nakamuraya
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