5-3
夜明け前の住宅路を無機質なエンジン音が抜ける。
ブレーキレバーに手をかけて静かに減速すると、周囲の景色がスローに流れる。クラッチを切ってマシンを停止させ、エンジンキーを回すと振動音が鳴りやんだ。
「……着いたよ」僕がそう言うと、なるみもが黙ってタンデムシートから降車した。僕も遅れて、フルフェイスメットを脱ぎながらバイクから降りる。
早朝の空気が僕の肌に纏わり、血流がなだらかになっていく感覚があった。
空き倉庫を後にした僕は、なるみもを家まで送ろうとバイクを走らせた。ちなみにシレネとエーデルはいつの間にか姿を消しており、なるみもは不思議そうにしていたが、「ええと、たぶん彼女たちは自分らでなんとかするだろうから、気にしないで」僕は説明にならない説明をゴリ押した。
「藤吉くん……改めてだけど、ありがとう。ここまで来たら、あとは一人で平気だから」
「うん……。とにかく今日は休みなよ。須王が警察とか学校に連絡するって言ってたから、後から何か訊かれるかもだけど」
「わかった。……っていうか藤吉くんこそ、ちゃんと病院行きなよ? レントゲン撮ったら骨折れてましたとか、結構あるみたいだからさ」
「そう、だね。なんて説明しようかな――」
僕がポリポリと後ろ頭を掻くと、なるみもがニコッと八重歯を見せる。
「それじゃあ、ね。また、連絡するから――」
くるり彼女が僕に背を向け、黒髪ショートがさらりとなびいた。
……あっ――
僕は思わず手を伸ばし、口をパクパクと開閉させながら、
「あ、あのさっ!」
詰まったような声を投げると、キョトンとした顔でなるみもが振り返る。
「あのさ……あの――」
もごもごと口をごもらせながら、心臓の鼓動がドクドクと高鳴っていく。
なるみもは大きな黒目で僕をジッと見ていた。僕はその瞳に吸い込まれそうになる。
――吸い込まれそうになった僕の口から、その言葉が自然と、こぼれ落ちて、
「僕、なるみものこと、好きだ」
永遠とも思える一瞬が流れた。
なるみもの表情は変わらない。驚いた様子はなく、無垢な顔つきを崩さぬ彼女が、何を思っているのか推し量ることができない。
だから僕には、想いを伝え重ねるしか選択肢がなかった。
「僕はなるみものこと、ずっと好きだった。僕の学校に転校してくる前から、モニター画面越し、『idol.meta』の一員として歌って踊るキミの姿に夢中になっていた」
脳内に流れるテキストを慎重に選び取り、ポツポツと声を漏らす。
等身大の僕の気持ちを、彼女に全て知って欲しかった。
「けど……、キミに前、言われた通り、僕はキミのことを表面上でしか見てなかったかもしれない。キミの内面を知ろうともしないで、自分勝手に作り上げた恋に、盛り上がっていただけなのかもしれない」
やけに静かな時間が流れていた。
この街には僕たち二人以外、存在しないんじゃないだろうか。そんな錯覚さえ覚える。
「でもね……でも、それでも、僕は――」
握りこぶしをギュッと握って、心の中で深呼吸を吐いて、
「あらゆる理屈を抜きにしたとき、シンプルに、キミの傍にいたいんだ。キミが辛い思いをしている時、隣にいてあげたいんだ。……なるみもを、もっともっと知りたい。キミが他人に知られたくないと思っている一面も、僕にだけそっと教えて欲しい。キミをもっと知った上で――キミをもっと、好きになりたい。それに――」
目に力を込める。なるみもは相変わらず、まるでマネキン人形のように微動だにしない。でも彼女は僕の目の前に、確かに存在している。
「なるみもにも、そう思って欲しい。僕のことを知りたい。僕のことを知って、僕を好きになりたい。そう……思って欲しい。だから」
モニター画面越しでもなく、フィクションでも、夢や幻でもなく、
僕は今、リアルに存在する鳴海美百紗に思いの丈をぶつけている。
「僕の……彼女になってくれませんか?」
言い放ったあと、甲羅をはがされた亀ような感覚に陥った。時空がぐにゃりと歪み、時間の経過がやけに遅く感じられる。ありていに言うと、僕は生きた心地がしていない。
ただ待つという行為をこんなにも歯がゆく感じたことはなかった。でも手札のカードを全て切った僕にはもう、相手の出方を窺うしかやりようがない。
やがてスッと地面に目を落としたなるみもが、「私ね」出し抜けに口を開いて、
「今回の件があって……アイドル、辞めようと思っていたんだよね。……元々、高いモチベーションでやっていたワケじゃないし。ちょうどいいかなって」
彼女は自嘲気味に笑っていた。静寂が僕たちの間を抜けた後、
「でもね」決意めいた顔つきで彼女が、グッと顔を上げる。
「私、さっき藤吉くんが助けに来てくれて、本当に嬉しかったんだ。私みたいな奴、誰も見てくれていないし、誰も救ってくれないと思っていたから」
先ほどの、子どものように泣きじゃくる彼女とは打って変わり、目に強い光を宿す彼女はどこか凛としていて、いたく綺麗だ。
「今回のことで私に失望したファン、いっぱいると思う。けど、それでも私を応援し続けてくれる人も、きっと残っているんだよね。藤吉くんみたいに、私がどんな状況になっても最後まで私を見続けてくれるファンの人も、きっといるんだよ。……それに気づいたらさ、なんつーか……罪滅ぼしや恩返しってワケじゃないけど、このまま逃げるみたいに辞めるのは、違うかなって。もうちょっとだけ頑張ろうかなって、そう思ったんだよ」
ポリポリと頬を掻きながら、なるみもが気まずそうに僕から視線を逸らす。
その所作で僕は、少し先の未来を予知してしまった。
「私さ……今度こそファンの人を裏切るような真似、したくないんだよね。だから……『idol.meta』を続けている以上、キミの彼女になることはできないんだ、ゴメン」
僕の眼前に、明確なる『NO』が鎮座している。
「……そっか」そうこぼしながら、必死に平静を装いながら、
僕は現実を直視できなかった。自意識が失われていく感覚に目眩さえ覚える。
なるみもの回答は十二分に納得できるものだったし、彼女が『ドメタ』の活動に前向きになること自体は喜ばしいことだ。なるみもに惚れる僕としては、彼女の前途を素直な気持ちで送り出してあげるのが正しい姿なんだろう。
でもあいにく僕は、そんな余裕を持ち合わせていない。
顔で笑って心で泣けるほど精神が発達していない。だって僕は、たった十七年間しか人生を生きていない若造だから。恋をするのも告白するのもはじめて、勿論、フられる経験もはじめてだったから。
何も言えず僕はただ押し黙って、やりようもなく地面を見つめていた。
「……で、さ」ふいになるみもが、ずずいと僕の眼下ににじりよる。
ギョッとなった僕の反応を愉しむかのように、彼女はイタズラっぽく笑っていた。
「藤吉くん、私がアイドル卒業するまで、待っててくれないかな?」
えっっ。
それって、その言葉って、その発言の意味って――
僕は混乱している、混迷している。昏睡している。……いや昏睡はしていない。
「いや……ね」なるみもが珍しく照れ臭そうに、落ち着かない様子で後ろ髪を触っている。
「私も一人の女の子なワケだしさ。なんつーか……あんな、ヒーローみたいな登場の仕方でピンチを救ってくれた相手に対してさ、惚れるなって方が、無理があるっていうか――」
チラリ。頬を朱色に染めた彼女が僕に横目を向ける。
桃色に塗れた真実と、あまりにも愛くるしい彼女の所作が、僕の脳波を狂わせるのは必然だった。
「も……もちろん! 何年でも、何十年でも待つよ!」僕が興奮気味に唾を飛ばすと、
「……ホント? ハハッ、良かった……いやそんなに待たせるつもりはないよ。こっちがおばさんになっちゃうっつーの」ホッとしたような彼女がキシシと八重歯を見せながら、首を斜め四十五度に傾ける。
……やばい。いちいち激烈に可愛い。可愛いのは前々から知っていたけど、今日はいつもの十割増しにかわいく見える。衝動を抑えられなくなった僕は思わずガバリと両手を広げ――
「ぐ……ぐぅっ!?」一握りの自制心にハッパをかけた。まさに彼女に抱き着こうとした寸前で僕は情動の抑止に成功する。ギョッと目を丸くしたなるみもが、
「ふ、藤吉くん……どしたん? いきなり」
「い、いや。なるみもが可愛すぎて抱き着きそうになったから、思わず止めた」
「なにそれ……もう、しょうがないなぁ」
ふぅっと嘆息したなるみもが、徐に目を瞑って、
……へっ?
一瞬。
一瞬だった。
コンマ一秒の間を縫って、僕の自意識は宇宙の彼方へふっとばされる。
僕の全神経が、ある一点に集中砲火されていた。
鼻先十センチメートルの距離。瞼を開いたなるみもが、照れ隠す様に目を伏せて、
「……はい、充電完了。コレでしばらく我慢してね? ――なんつって」
驚愕の事実を受け入れるのに、僕の脳は数秒のタイムラグを有した。……でも、確かに感じたんだ。
僕の唇に柔らかい何かが触れた。たぶん僕たちは、いわゆるキスをした。
たった十七年間しか人生を生きていない若造の僕が、突如襲って来た青春の暴力を受けきれるワケがない。僕の顔面から蒸気が盛大に噴出された。視界がぐにゃりと歪む。端的にいうと、僕はキャパオーバーを起こしている。そして、
昇天した。
「ふ……藤吉くん!?」
その場でぶっ倒れた僕の眼前、慌てたなるみもが身体を屈めて僕の肩をゆすっている。僕はおそらく、気持ち悪いニヤけ顔を浮かべながら白目をむいていることだろう。……こんな僕でも、なるみもは好きと言ってくれるのだろうか。……まぁいいか。幸せは充分にもらい受けた。もう、死んでもいい――
……いやいやいやっ!? 死んではならない。僕には、なるみもの卒業を待ち続けるという使命があるのだ。その時こそ改めてなるみもに告白し、晴れて恋人関係になった僕たちは、その時こそ――
「……もう一回、もう一回キスするまで、死ぬ、ものか……」
「――何キモいこと言ってんの!? おーいっ! 起きろっ! 起きろってーっ!」
閑静な住宅街に滑稽な茶番が鳴り響き、ロマンティックの欠片もない僕の告白は終結を迎えた。文字通り、僕の『命を懸けた初恋』はこれにて幕を閉じる運びになるのだが――
僕らの甘酸っぱい幕引きが第三者によって覗き見られていた事実を、僕は知らない。
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