10.残された謎

 光莉と片桐は、コインランドリーのカウンターに腰かけて、対面で座っている美波の話に集中していた。

 波止中から伝え聞いた一部始終を、美波から報告として受けていたからだ。推論の翌日から今日こんにちに至るまでの一週間の間に大きく動いた一部始終のこと。後日談といえるし、事の顛末ともいえること。


「そっか」光莉は、テーブルに頬杖をつき、遠い目で悲しそうに呟いた。「関係者はみんな大学からいなくなったんだね……」


「ええ」美波は膝に手をつき、少し視線を落としている。


 美波と光莉が回している洗濯機の音が、今日は虚しく聞こえてきた。


 あれ以降、告発動画が投稿されることはなかった。しかし、今の現代社会の敵ともいれるハラスメントに対する、告発は大きく話題となった。それは大学内だけには収まらず、ニュースやワイドショーでも取り上げられるほど。

 社会全体を巻き込む大きな関心ごととなったことで、世間からの風当たりは強かった。監督官庁は放置しておくわけにもいかなかったのだろう。美波が推論した翌日のことだ。文部科学省による緊急の立ち入り調査が行われたのである。


 それから数日もしないうちに、ハラスメント教授ことサカセンは、ひそかに大学を去った。波止中曰く、理由は自己都合での退職だという。

 しかし、本当に自らの意志で辞めたのか。それとも、理事長の力をもってしても辞めざるを得ない状況へ追い込まれたのか、定かでない。


 サカセンがいなくなって数日後、あの動画に映る五人も、自主退学をし、大学から去った。波止中曰く、被害者と言えどこれだけ広まってしまって、大学に居づらくなったというのが大多数の意見だという。

 仕方なしに辞めたのか。それとも、教授を追い出せたらと、元々から計画していたことなのか、これも定かではない。


 どちらが事実もしくは真実なのか、もう確かめる術はない。


 軽く組んだ腕をテーブルに置いて、前屈みになる片桐。「あれから僕も考えてみたんだ、残された謎について」


「残された謎?」


「ほら、動画に自身が映った理由」


 美波は興味深そうに視線を上げる。


「やっぱさ、リスクとリターンが釣り合ってないってのが気になってね。いやだって、考えてもみてよ。今はバレてないみたいだけど、この動画の真実、正確にはミナっちゃんの推論がイコール真実、が今後明るみになったらどうなると思う?」


 光莉は想像する。即座に浮かんだ答えはあまり気分のよいものではなかった。片桐は続ける。


「今の世の中的に、あの動画の面々はバッシングを受けることになる。少なくとも、今よりは多くの人間からね。それに、その事実があれば、ハラスメント教授は立場逆転できるだろうし」


「え?」光莉は眉間に皺を寄せた。


「警察だよ。あの教授の世間からの評価は最悪だ。少しでも世間体を回復させるために、被害届を出すことも十分考えられる。そもそもの性格からして、何かしらの裁きを、と考えるかも。警察だって一応出されちゃ、多少なり動かざるをえない。というか、動くだろうね。名誉毀損は十分な理由になりうるから」


 これまでは静かだった警察も、これから先は分からない、ということか。光莉は脳内で納得する。


「いや、これまで大学から押さえられて被害届を出すことができていなかったのだとしたら、もしかしたらもう既に届け出ているかもしれない。今や、失うものはないわけだし。それにだ。今の世の中的に、あの動画の面々はバッシングを受けることになるだろう」


 少なくとも今よりは間違いなく、アンチの割合は増えるだろう。下手したら、あの教授のことを擁護する人間も出てくるかもしれない。


「とまあ、色々と並べてはみたけど、要するに言いたいことは、そんなこんなのリスクがちょっと多過ぎるぐらいあって、今後ずっとその恐怖に苛まれる可能性すらあるってことを考えると、そもそも一連の動画投稿行為自体、そういったリスクを考えつつも、度外視してたんじゃないかって。つまりね、彼彼女らには、それ以上に果たしたかった目的が、何か確固たる強い信念が、そこにはあったんじゃないかって思えたんだ」


「目的、ですか」光莉は目を開く。

「信念、ですか」美波はそれに続く。


「まあ僕の想像にはなるけど、二点ほど一応思いついたんだ。んで……もし聞きたいのであれば、その、話すことはやぶさかではないんだけども、どうしましょうかね?」


 ぴくぴくと両眉を上に動かす片桐。聞かせて欲しいと言って欲しい、という思いがひしひしと伝わってくる。


「是非伺いたいですっ」美波は声を上げる。場の空気を読んでそう言ったのかと思ったのだが、双眼が輝きを放っている様子を見る限り、気持ちに嘘はなさそうだった。


「お、おう。そこまで言うならぁ、話してあげよっかなぁ〜」嬉しさを顔から隠しきれていない片桐はそう言うと、人差し指を立てて、数字の1を作った。「まず、自分らに対して、怒りの感情があったから」


「怒り、ですか……」呟く美波。


「ハラスメント教授に対して、それらを受けてるのを見たり知ったりしてた時に自分が何かしらの声を上げていれば、助けられたかもしれない。なのに出来なかった。いや、しなかったのかもしれない。そんな過去の自分への憤りがあったんじゃないかな。だからこれからの、そしてこれからのリスクなんてことは度外視して、矢面に立つ、という選択をした」


 片桐は、中指を立てて2にする。「そして、二つ目。個人的にはこっちの可能性が高いんじゃないかと」


「それは?」美波は眼鏡を直した。


「それはね……友達や親友を、助けるため」


「助ける?」今度は光莉が反応した。


「動画の内容は、かつての友人が教授から酷い仕打ちを受けていた事実を告発しているもの。つまりは、教授が悪いことをしていた、ってこと。その裏を返せば……」


 片桐はふと「あっいや、この際、逆に、にしておこうか」と挟む。


「どちらでも結構です」


「ちぇ~どうも冷たいな、エトっちゃんは」片桐は少し不貞腐れた表情になるも、「裏を返せば」に結局戻して、話を続ける。


「お前は、君は、あの時、何も悪くはなかった。非なんてなかったんだ、って意味にとれる。調べてみるとさ、人って精神的に追い詰められたりすると、自己評価が下がったり、悪くないのに自分が悪いと思っちゃったりするらしいんだよね。で、どんどんモチベーションを落としていっちゃって、最悪自ら……実際、大学を辞めちゃたりするぐらいだ。そういう状態に陥っていたとしても、もしくは動画の面々がそう想像したとしても突拍子のない話、というわけではないでしょう」


 片桐の推論に、美波も光莉も、じっと静かに聞いていた。


「もしかしたら彼彼女らは、会えなくてもその画面の向こうで見てくれてるかもしれない友を救済、せめて自分が悪かったんだという要らない心の重りを少しでも外してあげたい……告発することと同じくらい、そんな想いも大事にしていたんじゃないかと思うんだ」


 もしかしたら、これまで連絡を絶たれ、会うことはおろか声さえも聞くことができていなかったのかもしれない。または、取れるけれど何と声をかければいいか分からなかったのかもしれない。だから、間接的にさりげなく、その想いが届いてくれることを望んだのかもしれない、と光莉は思いを巡らせる。


「そして、その悪くないってことを伝えるのに、存在しない人間からじゃ、説得力は欠ける。自分のことを知っていて、かつ、心を許したことがある友人や親友が映った上で、そう伝えてくれるからこそ、大きな力と意味を持つ。だからこそ、リスクを冒してでも、動画に映ったんじゃないかな」


 SNS。それは、不特定多数が自由に閲覧や共有ができるツール。現代だからできる、現代ならではの伝え方なのかもしれない。

 全員が全員というわけにはいかないだろうが、時には味方にもなってくれる。その数は計り知れないほど。その人たちから、悪いのは君じゃない、という意味の言葉が届いたとしたら……

 フェイク動画と偽った理由も、画面の向こうの、友人の目や耳に入る可能性を高めるために少しでも色んな人に拡散してもらいたかったからなのかもしれない。そのためには、話題性があるものが一番なのは明らかだ。光莉はまたそんな想像をしていた。


「やり方は褒められたものじゃない。何か他にもやり方はあったろうし、間違っていると考える人もいるだろう。けど、もし僕の推論が動画に映った理由なのだとしたら、個人的には、嫌いになれないんだよね。今の立場や地位を捨ててでも、大切なものを守ろうとしたあの五人を」


「大切なものってなんです?」光莉は声を出す。


「お金じゃ決して買えないもの……友情、ってやつさ」片桐はワンカップを傾けた。


「な、成る程」噛み締めるように何度も小さく頷く美波。「勉強になります」


「ま、何にしても、覚悟とけじめをもって挑んだ、あの五人なら、どこでも生きていけるだろうよ。それに、人生ってのは、大学なんか行かんでも、とりあえず、命さえありゃ、どーにでもならぁ」


「さも経験してます、みたいな言い方ですね」意味あり気な言い方に、光莉は突っかかる。


「大学行ってないからね」


 やっぱり、と光莉は脳裏で呟くが、「どちらかというと、命ありゃ、の部分ですけど」と言葉にする。


「……ハハ」片桐は遠い目をした。その双眼は過去を見ているような、そんな重さを少し感じた。「エトっちゃん、そんな辛酸をめたような経験、僕がしてるように見えるかい?」


「そう言われると……あっ、正直に言ってもいいですか?」


「どんとこい」


 拳で胸を叩く片桐。勢いが強過ぎたのか、骨に当たった鈍く大きな音の後、激しく咳き込む。


「オホッオホッ」


「だ、大丈夫ですか」心配する美波。


「大丈……ウホエホッ」


 光莉は息の止まった波止中のことを思い出しながら、「飲み過ぎじゃないですか」と声をかけた。


「んなわけ……うっ、エホッアホッ」


 片桐は今度は収めるために、胸元を静かに小さく叩いたりさすったり。少しして、「あっごめんごめん。で、正直に言うと?」と片桐は続ける。


「いや、もうやめておきます」


「えーなんでよー」


「激しく咳き込んだような人に、これ以上、ショックをかけるわけにはいきませんから」


「……それ、ほぼ言っちゃってない? もはや、結果発表ぉ〜、しちゃってない??」


「なんでですか。もしかしたら、良い結果かもしれないじゃないですか。宝くじとかだって発表されるまで、当たってるかもしれないんですから。祈って下さい」


「いや、宝くじって……祈ってて、って言われちゃった時点で、もう」


 すると、片桐はハッと眉を上げた。「忘れてた」と一言。何かを思い出した様子だった。


「そういえばこの前ね、町の抽選会に行ったの」


「ああ」光莉は頷き交じりに反応を示した。「今もやってますよね。アーケードの駅前寄りの入口辺りで、結構大々的なやつ」


「その抽選会で引いたの、一枚。そしたらね……」


 作務衣の胸辺りから、取り出したのは横に長い、いわばチケットサイズの紙であった。


「じゃじゃーん。僕、当てちゃったのねぇ、一等」


 美波は目を丸くする美波。「い、一等ですか?」


「おうよ。一泊二日のホテル宿泊券」片桐が指先をずらすと、隠れていたもう一枚が姿を現した。「しかも、ペア」


「す、凄いですね……」美波はしみじみと言う。まるで本当に宝くじの高額当選をした人を見るかのような、何故か尊敬の眼差し。「一等当てた人、は、初めて見ました」


「でしょでしょ〜なかなかいないでしょぉ?」片桐は腰に手を当てて、顔を少し上げる。「ま、これに含まれるのホテルのご飯と宿泊代だけだから、行くまでの交通費は自己負担なんだけど……どう?」


「は?」眉を上げる美波。


「どう、とは?」首を傾げる光莉。「シーユーですか?」


「今回のに影響され過ぎ。てか、前後の文脈無視し過ぎ。ほら、僕、連れて行ける人とかいないし。万々が一で、二人のうちどちらかと一緒に行くとしても、なんかそれはそれで問題な感じするからさ。だったら、ミナっちゃんとエトっちゃんの二人で行ってくるのが一番いいやって思って。だから、これ、あげる」


 チケットを差し出す片桐。


「いや、でも……」


 美波は身体の前で両掌を片桐に向ける。思わず光莉と目を合わす。光莉も戸惑いの表情を浮かべている。


「行きたいかどうかで判断して、遠慮はしなくていい。この前のお礼なんだから」


「この前?」


「ほら、僕のことを警察から救ってくれたやつですよぉん」


 例の連続空き巣事件のことを言っていることは、美波も光莉もすぐに分かった。


 光莉は自分自身に人差し指を向けた。「だとしたら、アタシは当てはまらないですけど」


「でも、ほら、国家権力に抵抗してくれてたじゃないか」


「大袈裟に言えばそうですけど、そんな大したことじゃ……」


「とにかくさ、せっかく当たって無駄にしちゃうってのは勿体ないし、二人が嫌じゃないんなら行ってきてよ。ちなみに、日付は指定されてなくて、再来月ぐらいまでであればいつでも使えるみたいだから、予定合わせるとかは大丈夫そうだし……ね?」


「じゃあ……行く?」光莉は美波に目を配る。受け取った美波。「そ、そうですね。では、お、お言葉に甘えますかね」


「そうと決まれば。はい……はい」片桐はそれぞれにチケットと予約方法などが書かれた用紙を渡す。


「ホテルはちょいと山奥で、少々古めみたいだけど、食事は美味しくて、温泉から見る景色はなんとも絶景らしいよ」


「へぇ、楽しみです」美波は笑みを浮かべる。


「他に聞きたいことある?」


 他に……そういえば、と光莉の意識が少し別のほうに。


「いえ特にないです。し、しかし、旅先のこと、よくご存知ですね」


「当たったんでね、気になって色々調べたんだ」


「……やっぱり行きますか?」美波はチケットをさしだす。


「ん? いやいや、そういう意味じゃないの。ただ単純に気になって調べてただけだから」


「えっでも、あ、当てたのは片桐さんですから」


「ごめんごめん、そういうわけじゃないんだよ、本当に」


「本当ですか?」


「本当。本当に本当。本当に本当に本当に本当」


 本来であれば、片桐に、まるで猛獣の名前が続きそうな言い方ですね、と光莉が何かしら突っ込むはずなのだが、光莉はそれどころではなかった。正確には、本当の言葉の繰り返しが、ひとり胸の奥にしまっていた、あることを思い出させていた。


 それは、一週間前のこと。波止中へスマートフォンを渡そうと、コインランドリーを出て行った時のことだ。




「波止中くんっ」


 丸まってる背中に、光莉は大きく声をかけた。波止中は微かに背筋を伸ばすと、歩みを止め、おもむろに振り返った。


「これ」光莉は高くかかげて、スマートフォンを振ってみせた。


「えっ」眉を上げると、慌ててポケットなどを探し始める波止中。「あっ、俺、忘れてました?」


「うん」追いつく光莉。「椅子の上に」


「わざわざ申し訳ないです」


「じゃあ、はい、これ」スマートフォンを手渡す光莉。


「ありがとうございます。わざわざすみませんでした」


「別にいいそれじゃ、アタシはこれで……」


「あのっ」


 光莉は踵を返そうとした光莉を、波止中は呼び止めた。振り返る光莉。


「本当に違いますからね?」


「えっ」と反応を示したが、違いますの意味はすぐ察しがついた。「あぁ、うん。浜音さんのことだよね?」


「はい。単純に驚いたんすよ。まさかコインランドリーにいるだなんて、マジで思わなかったんで」


「まあ、大学の外で会えば、多少驚くよね」


「いや、それもっすけど、コインランドリーで会うってのが少し……」


 気になる言い方に、思わず身体の向きを更に波止中のほうへと向ける光莉。「というと?」


「浜音さんって確か、寮暮らしなんですよ。女性専用の学生寮」


「えっ、そうなの?」


「ええ。同じ寮に入ってる知り合いがいるんで、聞いたことあるんです。そこ、共同っすけど、無料の洗濯機とかもちゃんとあるんすよ。しかも、最新型のやつらしいです。多分、あそこのコインランドリーよりも新しいっす。知り合い、自慢してましたから」


「え……?」光莉は戸惑いだけを表情に浮かべる。


「だから、わざわざ外に出てまで、しかも金のかかるコインランドリーに来てまで、洗濯してんのかなって、不思議で。ほら、布団とか大きなものがあるとかなら分かりますけど、今日の感じ、そんな雰囲気じゃなかったし」


 動揺を隠せない光莉。「それ本当の話?」


「ええ」


「本当に本当?」


「本当に本当っすよ。てか、こんな嘘ついてどうするんすか」


「た、確かに……」


 波止中はすくっと背を伸ばした。「今日の話聞いて、俺、前に進んでみることにします。とりあえず進んでみます。今日の話聞いて、落ち着いて、そんでなんか自分の中で踏ん切りをつけることができたんで。なので、ありがとうございました」


「あっいや、アタシは何もしてないけどね?」


「まあその辺はいいじゃないですか。片桐さんにもよろしく伝えておいて下さい。それじゃ、俺はこれで」波止中はスマートフォンを持ち上げた。「これも、ありがとうございました」


 波止中は止めていた歩みを再開した。


「ああ、うん」


 光莉も元来た道をとぼとぼ歩いて、引き返す。だが今度は視線は下がっていた。


 となると、さっき急いで帰ったのは、寮の門限の時間が迫っていたから、といった理由なのだろうか。なにより美波は何故、わざわざコインランドリーを使っているのか。

 美波への疑問が脳内を占め、そしてぐるぐる巡っていた。だが巡っているだけで、結論など出てこない。ちらっと姿を見せる気配すらない。


 光莉は立ち止まり、顔を上げる。コインランドリーの前だ。


「なんで浜音さんはここに……」


 光莉は視線を戻すと、ゆっくり開く自動ドアをくぐったのであった。

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ランドリーで推論を 片宮 椋楽 @kmtk

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