ファーブル先生とスカラベのアミュレット

みよしじゅんいち

ファーブル先生とスカラベのアミュレット

 1900年。フランス南部、プロヴァンス地方の小さな村セリニャン=デュ=コンタ。家付きの広さ1ヘクタールの土地アルマス(荒地)では、木曜と日曜の午後に、セリニャンのアカデミーと呼ばれる集会が開かれている。

 アルマスに住む77歳の博物学者ジャン=アンリ・ファーブルは、昆虫の生態解明に血道を上げていた。天才の理解者はあまり多くない。ファーブルを慕って、盲目の指物師マリウス・ギーグと、小学校教員の私、ジュリアンが集う。夕方、ファーブルが朝と同じところで地面をにらんでいるのを見つけて、いそいで胸に十字を切り、気の毒そうな顔をして通り過ぎる村のおかみさん達の姿を見たこともある。日照りの厳しい日には、そんなファーブルにマリウスが日傘を差して立っていた。


 1900年11月1日木曜日。いつものようにマツとイトスギの梢をくぐってマリウスと私がアルマスを訪ねると、暖炉脇の小さな長椅子に先客がいた。パリのヴィルモラン商会の植物栽培部長、テオドール・ドラクールだ。新聞から顔を上げる。ファーブルも奥から出てきて、トレードマークであるところの、つば広のフェルト帽を持ち上げて、やあ、いらっしゃいと合図をくれた。

「きみたちも見たかい」と話を切り出したのはドラクールだった。「パリ万博エジプト館の宝石盗難事件。盗品の中にはスカラベのアミュレット(護符)が含まれていたらしい」

「スカラベって先生の研究されていたタマオシコガネだろう?」とマリウスが言う。

「そう、フンコロガシ。アミュレットは黒花崗岩、閃緑石、黒曜石、水晶、トルコ石、碧玉、孔雀石など硬質の石や貴石から、金やら銀まで使われていて、たいそう美しいそうだ」

「綺麗なのか。わしも欲しいな」

「目が見えないのにどうするんだい」と聞いてみる。

「木を削って同じのを作る」


 そのときノックの音に会話は中断した。ファーブルがドアを開くと、警察と思しき人物が立っていた。「捜査官のデムリと言います。猟奇殺人について調べています」

「猟奇殺人?」

「ええ。パリ近郊の農場で巨大な牛糞の塊が発見されたのです。球状の塊を掘り崩すと、中には手首を切断された被害者の死体が埋まっていました」デムリは写真を取り出す。「被害者はこの農場の三男坊リュシャン・テオッキ、27歳。死因は窒息。死体をフンコロガシのさなぎに見立てた見立て殺人と思われるため、昆虫の専門家の意見を聞くよう指示を受けています」写真を一瞥し、眉をひそめるファーブル。「当局では、糞虫研究者間の業績争いが関係しているのではないかと推測しています。たいへん失礼ですが、先生ここ数日はどちらへ――」

「悪趣味な犯罪だな。犯人はタマオシコガネの生態について詳しくないようだ」

「そうなんですか? パリ自然史博物館のエミール・ブランシャール教授からは、詳しい者の犯行と聞きましたよ」

「先生のことを疑うのは、よくない」マリウスが憤慨している。

「いやいや、業績争いなんてナンセンスだよ。これをやったのは専門家じゃない。立ち話もなんだ。中へ入ってくれ」


 屋内が質素なことに驚いているのか、捜査官はキョロキョロと辺りを見回している。暖炉を囲んで座り直す。

「すべて3年前に出版した昆虫記の第5巻に書いたんだがな。売れなかったので、誰も知らんのだろう。さて、第一に」とファーブルが落ち着いた様子で話し始める。「じっさいのタマオシコガネの揺りかご兼食料である糞球は球形ではない。洋梨型をしているので、わたしたちは梨玉と呼んでいる。第二にじっさいの梨玉は牛糞でなく、羊の特別な糞で作られる」

「たしかに、現場の状況とは大きく違いますね」

「そして、第三にタマオシコガネの前肢の跗節は存在しないが、切断されたものではなく、はじめからない。さなぎの段階から存在しないのだ。――もしかすると犯人が被害者の手首を切り落とした理由は他にあるのではないかな?」

「と言いますと?」捜査官が首をかしげる。

「たとえば、拷問で爪を剥いだ。指を折った。切断した。それらを隠蔽するために手首を切って捨てた。といった理由が考えられる。フンコロガシのさなぎに見立てたのは下手なカモフラージュだろう」

「拷問ですか。いったいどうして――」

「それより、写真のここ。この植木が気になるな。ドラクール、これは何という種類の竹だろうか」

「写真だけでは分かりませんが、パリで竹を扱っている業者は限られます。フォーレ種苗、ベルジュナット本舗、それからユジナ商会」

「ユジナ商会だって!? パリ万博の宝石盗難事件の重要参考人がその植木屋ユジナ商会の番頭クロード・アルファンデリですよ」

「つながったな」

「はい」

「おそらく仲間割れを起こして、被害者が宝石の一部を隠匿したのだろう。それで植木屋が口を割らせるため拷問にかけた。死因は窒息と言っていたね」

「はい、ただ、糞便を飲み込んだ形跡は見当たりませんでした」

「指を痛めつけた上で水責めに遭わせたのかもしれないね。それで加減を誤って、宝石のありかを聞き出す前に殺してしまった」

「そうすると盗難だけでなく、植木屋のアルファンデリを殺人の容疑でも取り調べる必要があると――」捜査官のデムリが考え込んでいる。

「ああ、間違いないだろう」

「しかし、宝石はどこへ行ったのでしょうか」

「そうだな。確証はないが、スカラベには水と共に復活するという伝説がある。水は固くなった梨玉に穴を開けるのに必要なんだ。空いた穴から成虫が出てくる。フランスでは雨が、エジプトではナイル川の氾濫がそれを後押しする。それから、ヨーロッパに竹が繁殖しないのは、気候が湿潤でないからだ。竹の成長にも水が重要な役割を果たす」ファーブルがにっこり笑う。「どうもこの写真の竹が不自然な気がしてならない。この竹に水をやってみるのもひとつ試すべきことのような気がするね。うまく行ったらおなぐさみ、スカラベのアミュレットの型を粘土で取って送ってくれないだろうか」

「構いませんが、どうするんですか」

「はは、うちには木工の天才がいるんでね」ファーブルがマリウスの背中をたたく。「記念にレプリカを作らせて貰うよ」


 11月4日日曜日。「南仏の隠者ファーブル、宝石泥棒の謎を解く」等々の活字が新聞に躍った。デムリから事件解決の連絡とともに、粘土から型を起こした石膏のスカラベがファーブルのアルマスにとどいた。私はデムリの手紙に目を通す。

「先生の見立て通り、竹に細工がしてあって、水をそそぐと竹が割れ、中からスカラベのアミュレットが現れたそうですね。いぜん宝石の行方は闇の中ですが――」

「ああ、まあ、解決と言っていいだろう。今日は大いに飲もう」


 11月5日月曜日、私はファーブルに手紙を書くことにした。

「名推理感服しました。先生は本当に色々な才能をお持ちなんですね。でも、もし昆虫記の第5巻が多くの読者を獲得していたならどうなっていたことかと思います。フンコロガシのさなぎへの見立ては正確に行われていて、まだ先生への疑いが晴れていなかった、なんてことになっていたかもしれない。ゆうべ懐かしさも手伝って、改めて昆虫記の第5巻を読み返してみました。すると、そこにはスカラベが水とともに復活する話が書かれていたのです」そこまで書いて煙草を一服する。

「被害者は第5巻を読んでいて、犯人は第5巻を読んでいなかったなんて考えにくい話ですよね。エジプトの伝説にあるくらいですから、有名な事実なのかもしれませんが。ですが、もしかしたら。——私は奇妙な考えにとり憑かれました。泥棒はじつは3人組だったのではないかという妄想です」煙草を灰皿でもみ消す。

「農家の三男坊を殺した犯人は、その罪を植木屋に着せて、いま宝石を独り占めにしようとしているのかもしれない。証拠はなにもないのですが、その真犯人はもしかしたらファーブル先生、あなたなのではないでしょうか」二本目の煙草に火を点ける。

「妄想その1。あそこでスカラベが見つかったのは都合がよすぎて怪しい。もしもスカラベが見つからなければ盗難の証拠がなかった。盗難の証拠がなければ植木屋が殺人の罪を着ることもなかった。じつに都合よくスカラベが見つかっている。先生が仕組んだのなら納得ができる」コップに水を注ぐ。

「妄想その2。スカラベのレプリカが怪しい。じつはスカラベは宝石を手に入れるための鍵なのではないか。鍵がスカラベであることは3人組のみんなが知っていた。植木屋はスカラベの押収を知り宝石を諦めた。消されるのが怖いので植木屋はファーブル先生のことは言わなかった。そしてスカラベのレプリカはいま先生の手の中にある」コップの水を飲む。

「妄想その3。見立ての稚拙さが逆に怪しい。農家の三男坊の手首を切ったのは拷問を隠すためではなく、拷問に見せかけるためではないのか。宝石のありかを永遠に隠蔽するために仲間割れを演出した。そして稚拙な見立てで警察をまんまとファーブル先生の元へ誘導した。安全圏から事件をコントロールするために」もみ消した煙草を伸ばし、もういちど火を点けて吸い直す。

「妄想その4。いつまでも若々しい先生が怪しい。10月29日月曜日から10月31日水曜日の間に先生は鉄道でパリへ行き、盗難と殺害の仕事をして帰ってこられた。77歳とご高齢だが、先生の体力があればこの離れ業も可能なのではないか」

 読み返して、こんな手紙出せるわけがないと便箋をちぎって、丸めてから灰皿に入れる。火をつけて燃やしてしまう。こんな手紙を出せば、あの居心地のいいセリニャンのアカデミーはおしまいだ。そうだ。本当にこれはただの妄想なのかもしれない。だって、あのファーブル先生がそんなことをするはずがないんだから。すっかり灰になった手紙を指でつぶして粉にしながら、誰にともなくつぶやいた。――私は最近、フンコロガシの記事を読んで少し不安を感じています。私は最近、フンコロガシの記事を読んで少し不安を感じています。

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ファーブル先生とスカラベのアミュレット みよしじゅんいち @nosiika

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