『恋は未来に落ちていく―緋村さんは面倒くさい―』
小田舵木
『恋は未来に落ちていく―緋村さんは面倒くさい―』
落ちる。
あまりいい意味では使われない。
私は恋に落ちてしまったらしい。
宿命的に…とか言っておけばハクがつくだろうか?
いいや。ただ、性欲や憧れに従っているだけなのか?
「そんな事どうでも良いけどさ」とか言ってみても。事実は変わらない。
彼が現れた時、私は欲しくなった。これが私の恋の要約で。
そこに明確な論理はなく。ただただ欲求があった。
それは遺伝子に書き込まれた
誰かは言う。
恋は
彼らは皆、自分の
私はそれを
ただ、欲求に従うのが嫌な頭の良い阿呆
そこには滑稽さがある。
君たちと私は―恋の奴隷なのだ。
恋という大きな何かに魅惑された憐れな奴隷。
溢れる情熱にかき乱される奴隷。
恋に美しさなどない。
その本質は、自己にないものを補おうとする欲求である。私はそう定義する。
ヒトは単一では欠けたモノであり。それを埋めようと欲する。
そうしてパズルのピースを世界で探し。
私は見つけてしまった。私の欠けたモノを補うピースを。
彼の名は
◆
空はあくまでの
その青の集まりは遠い宇宙を覆い隠し。私はその下で赤い恋の炎を燃やし。
そのコントラストにクラクラして。
教室に目を戻せば―私の席の前に彼は居る。
大きな背中。私とは違う背中。その雄大な大地に重なってしまいたい欲求。
それを単純な劣情に
私は。その背中の肩甲骨の
そんな熱い視線を背中に送るなら。
「…
「特に用はない」私はメガネの鼻の辺りをクイッっと上げて
「凄え熱い視線を感じた」彼は苦笑いしながら言い。
「今度、男の背中の絵を描こうかと」なんて美術部でもない私は誤魔化しながら視線を落とす―夏服は鎖骨がよく見える。
細い骨が胸に2本。それが首元を
厚い胸に細い首が座るアンバランス。その様に私のフェチシズムは満たされる。
男らしい体から一気に
首元だって…
「お前、オタク?」と彼は問い。
「特にそうでもない」私は即座の否定を入れるが。
「ま、程々にしとけよなー男同士を絡ませるのは絵だけにしてくれ」
「私、そっちじゃないわよ?」否定はしてみるが。そういや中学生の頃は絡ませてたな。
「んじゃあ、乙女な訳だ」彼はそう言い。
「そりゃあ。17才だもの」私はかく言う。
「恋に恋するセブンティーン」
「虚しい感情に踊らされる」
「そうでもないだろ?」
「いいや。確実に虚しい」
「恋…悪いものでもないけどね」青くんは言うが。
「
「そりゃさ、年頃の男だ。ある程度は性欲も恋への欲もあるさ」軽く性欲を
「…不潔ね」なんて思ってもないことを言って。
「ま、思春期の男なんて多少はクサい」苦笑い。
「…女も多少はクサいかもよ?」匂い、ない訳ではない。
「その匂いに惹かれる男も居るかもな」なんて青くんは言うけれど。それが私である保証はなく。
◆
「いい加減、告白すりゃ良いのにさ」
「んな事して玉砕したらどうすんのよ?」私は言う。告白とは取引なのだ。リスクがない訳ではない。
「のんびりしてると、もってかれるぞ?」紫苑は髪を
「のんびりはしてない」そう、毎日声をかける位はしている。
「…話しかけるのがやっとの癖に」紫苑は責めるように言い。
「じゃあ。どうしろと?」私は彼女に問うて。
「遊びにでも誘いなさい」簡単に言いおってからに。
「口実を
「あのねえ。遊びに誘うのは告白への一手な訳」ふふん、と紫苑は鼻を鳴らし。
「…順序
「馬鹿だなあ。んな、まどろっこしい事してて見なさいよ。半年後には別の女が彼の隣に立ってる」
「攻めるしかないと?」
「そういう事。こういうのは手を緩めたモン負け」
「…恋って戦争なの?」
「ある意味ではイエスだよ」
◆
恋に意志というものは存在するのだろうか?
私は部屋のベッドの上でそう考えて。
「意志とは言い
意志ならば。そこには選択の自由があるのだが。
私の恋は選べなかった―
そこからはブレーキを取っ払った車みたいに突っ走っているのだが。
決められた未来に向かって落ちてない?そう思ってしまう瞬間があり。
「馬鹿みたいだ」と思えども。
まるで痒みとか痛みとかの感覚に対するように、否応なしにリアクションが決まっているのは
こういうアホは
女性の本質は待ちにあり。
これは生物的な側面から引き出せる。
妊娠出産というプロセスで
動いてきた男を確実に
待っていては機を逸す。
らしくもない攻めを展開しなくてならないのだが。
攻めるにしたって手順はある。簡単に攻めては負けるのは見えている―
なんて言い訳を積み重ねようが。焦りだしている私はいるのだ。
紫苑が言う通りなのだ。
やらなければ負ける。
そして私はそれを一生後悔しながら生きていくのは明白で。
◆
重力に従って―落ちる。
私の状況を映し出したかのような乗り物に、今、私と彼は乗っていて。
「渋い顔してジェットコースターに乗るやつ初めて見た」
「…高所恐怖症なのかも」なんて
そう。私は攻めに走り。
いやあ。成功した後のシュミレーションを
完全なるノープランであり。
遊園地デートでノープランと言うのは負けが見えてくる。
「とりあえずくっつけ」
くっつく理由を
「お昼どうしようかな?」とか意味のない会話に終始する自分が憎たらしい。
「フードコートで適当にしとけばいいっしょ?」なんて
「そうだよねえ…」なんて気の利かない台詞を返すのでいっぱいいっぱい。
フードコートの狭いテーブルで向かい合う私達。
カレーを口に運ぶ彼の口元に私の視線は奪われて。
ああ。はしたない。そう思えども。
口と言うのは様々な表情を持つ。コミュニケート、
私は彼の口の動きから、舌の動きを読み取って。
しなやかで弾力のありそうな、その舌を―欲して。
食事に性の
「おおい?」と青くんは食べるのを止め。
「ん?」と私は口元のホットドックを皿に置き。
「あんま食うトコ凝視しないでくれる?恥ずかしいから」顔を赤らめながら言う彼が可愛らしく。
「いや、美味しいそうに食べるなあ、と」なんて
「カレーは何処で食っても美味い。これ豆知識」
「そりゃあ。カレーを不味く出来るのはある
「どっこい。ウチのオカンは出来るんだな」
「本当に?」
「マジマジ…隠し味がやべえのよ」
「何入れてもカレーの味になるじゃん?」
「入れすぎるのよ。例えばインスタントコーヒーの粉」
「ああ。軽く苦味を足すアレ」
「あれをさあ。死ぬほど入れる訳。びっくりするぜ?」
「それは災難」
「結局、俺のほうが料理出来るようになってなあ」これは攻め手がひとつ減ったよな、と思う。
「青くんの胃袋を
「うんにゃあ。他人の作る料理は別よ?」
「そう?」
「料理は創作なのだ」彼は得意げにそう言い。
「どの辺が?」私は気になって問うて。
「レシピに
「…材料のチョイスとか?」
「も、あるけどさ。単純にレシピをどう再現していくか?コイツは逆算だぜ」
「順序を
「いいやあ。割と余裕のあるレシピのが多いと俺は思うのね?」
「…
「そ。これは料理に限った事じゃなくね?」笑う彼。その顔が
◆
遊園地の乗り物はとかく円を
そんな事を考えてしまう観覧車。
私達はゆっくりと円を描いて。
永遠の中に居るかのように時間は
…それを狙ってきたのけど。
「
「へ?」と私は問い返して。
「お前、今日、1日ぼうっとしてない?」
「そーでもない」考え事が止まらなかっただけで。
「俺と居るのは楽しくない?」
「そうじゃない」
「んじゃあ。どうして黙りこくってばかりなのよ?」
「…言わせる気?」
「んえ?」と
「私はね。君に落ちているのさ」かく告白し。
「…落ちている、ね」彼は
「私は―それがどうにも許せないらしくてさ」どうにも理屈っぽく産まれてきていて。
「俺はそういう気持ちに従うのも大事だと…思うんだけど」
「私はね。この気持ちに意志を感じなくて困ってる。ただ君に落ちていくのが汚い本能のせいに思えて…君を汚しているような気がして」
「性的に動かされているとでも?」赤くなりながら言う青くん。
「そ。それが嫌なの」
「そりゃあ。無理
「だと思う。でもさ、私は好きになった君にも理由をつけて
「理屈っぽさが君の美点だ」
「どうも」
「でもさ。そんな理屈なんて、
「そこに
「潔癖症だな…緋村さんは」
「なのかも。融通が利かないとも言える」
「なら。融通利かせる方向に持ち込むのが俺の役目なのかねえ」
「んー?君にこの融通利かなさをどうにかしてもらう方法も―あることにはあるけど。それも意志ではないような気が」
ここで私は
私は。怖がっているのだ。
自分の欲に従って行動することに。
それが間違いだったら取り返しがつかないから。
そんな臆病者が私で。
彼に向かってそれを見せてしまっていて。
これは中々に恥ずかしい。裸を見られるより恥ずかしいのではないか?
私はまだ見ぬ未来を恐れ。
自分の脚元が崩れ落ちるのを恐れ。
落ちてしまう事を恐れているのだ。
未来へと落ちていく恐怖。それが私にある。
君の手を掴んで離されるのを恐れている。
「俺は…
「私は―怖いの」と言い訳をして。
金属の円環に従って動く箱は頂点に至り。
「君が怖いのなら、俺は握った手を離さない」彼の大きな手が私の
「絶対に離さないでよ?」私は言って。
「一緒に落ちて行こうよ」
この言葉を私は待っていた気がする。
そして、円環に従った箱は落ち始め。
私と青くんの未来も落ちていく。
まだ見ぬ明日へと。
◆
「やっとかい?」屋上で
「時間かかり過ぎたかな」私は照れながら言い。
「お陰で。
「どういう意味?」
「私はさ、思春期のガキの恋愛の相手しているほど暇ではないって事」
「…まるで。自分が高校生ではないと言いたげね?」
「幼い見た目はこういう時に役に立つ」彼女は確かに高校生っぽくない感じはある。
「
「言って信じるかな?理屈っぽい
「恋に落ちた私なら―何でも信じるかもよ?」
「ん。かもねえ。私はね?未来の時間軸から来た」
「…何をしにきたの?」まずは目的でも問うておくべきで。
「貴女と青さんをくっつけに」
「タイムトラベラーのキューピッド…」
「そそ。貴女と青さんの関係は微妙でねえ」
「理屈っぽいからね、私は」
「そのせいでさ。案外に未来がブレるんだよ」彼女は髪を
「ブレる?」
「要するに私は
「私と青との未来が―大きな影響を与えるファクタになっている?」
「何でかね。ここを軸に第三次世界大戦が始まるか否かが分岐しちゃってる…私はそれを食い止めにきたエージェントな訳さ」
「…やっぱり私は落ちていた訳か」なんて思っても。まあ、別に良いか、と思わせる何かが恋にはある。
「いやあ。助かった。マジで」
「私が落ちたから?」
「そ。私が居た未来はさ。君が落ちなかった未来であり。そこには戦争があって」
「どうやって世界を超えてきたのよ?しかも時間を
「そういう
「冗談でしょ?」一応は理系だけどさあ。
「哀しい独身生活を送った君は大層ひねくれちゃってさ。色々開発しちゃうんだよ」
「まるで破壊神のように形容するじゃない?」
「ある種そう。貴女は
「核以上の何かを?」
「これは言わないけどね…この未来はそうならないから」
「…ここでパラドックスが産まれる」そう。彼女の存在。
「ああ。ただまあ。私は孤児でね。未来の貴女に引き取られた」
「なら―問題はない?」
「いやあ。そも私はこの国に存在しなくなったハズの軍部のエージェントであり」
「この世界には居れない存在である」
「―そ。という訳で自己を破壊しようと思う訳だ」ここは学校の屋上であり。
「自殺して自らを抹消して…帳尻を合わせるの?」
「じゃないと、この世界に余分なモノが付け加わって…致命的なエラーになるのさ」
「存在しないハズの人間…」
「そいう事。んじゃあ。私はこれで―」
こう言って彼女は屋上からあっさり身を投げ。
私は止められず
◆
私は
その世界はとても平和だったけど。
そこには何かが欠けてしまっているのは明白で。
私は恋のキューピッドだった彼女を
今年も命日に墓に参る。とは言ってもそれは
「私のせいでゴメン」と毎年
「…」冷たい墓石の下の彼女は
「
「戦争なんて起きそうにもない…私もただの主婦でさ」
「貴女を失った痛みだけがこの世界に遺って」
「世界はただ進んでいく」なんて。
「…そう言えば。子ども出来たんだ」
「
空を見上げれば。昼と夜の境目で。
そこには紫苑色の空が広がって。
いつしかその色は消えていくんだけど。
私は忘れはしないよ。
◆
『恋は未来に落ちていく―緋村さんは面倒くさい―』 小田舵木 @odakajiki
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