美味しければいいわけじゃない〜医食同源!

蜜柑桜

ただのお粥でいいわけ?

 嘉穂は超健康優良児である。というのは、毎日毎日絶好調ではなく、低気圧だったり月のものだったり忙しかったりで低迷ということは多々あるのだが、大きな病気はもちろん、寝込むほどの風邪になることもない。

 要するに元々が強いのだろう。コロナにもかからず。持久力は自負できる。短距離走はごめんなさいであるが、持久走ならクラス指折りである。学校の行事にマラソン大会がなかったのが悔やまれる。


 さて、そんな嘉穂であるが、本日、どこを歩いているかといえば珍しく病院帰りである。行き先は内科。実施は血液検査。検査項目にて判明したるや、消化器系の炎症。アミラーゼ値上昇。ただし白血球異常なしなあたりが強いものだ。

 医師の診断も大して心配いらなそうではあるのだが、胃を労わるようにと。

 胃を労わるように。つまり、食生活に気をつけよ。


 そんなところで現在、嘉穂が立っているのは八百屋の前なのである。

 混んでいる大病院に予約なしで行って、終わったのはもう十二時も大きく回ったところ。さすがに朝ごはんから何時間。しかも当然のごとく徒歩で来て、痛いお腹も空腹を訴え始めた。このままでは胃炎ではなくても胃酸が胃壁を侵食し始める。昼ごはんは食べなければならない。


 こんな体調で……ややだるい。しかし大学に入って一人暮らしを始めても、不摂生で倒れたことなど皆無の嘉穂である。

 熱もなければ下痢嘔吐もなく、よもや出費の嵩む歳末で何か買ってきていい……わけがない。

 胃痛のため、正直いえば動くのが少し辛い、などというのは言い訳にしかならない。

 おまけに八百屋の店頭の最前列に並んでいるものを見てしまったら——いい分葱があるのである。しかも曜日限定のセール品。普段なら大学にいるこの曜日にこの八百屋に訪れることはない。そして病人食といえば、あれである。若干、分葱の量が多い気もするが。

 ——いいわ、怪我の功名ってやつじゃないの。


 決まりである。嘉穂は青々としたしなやかなひと束を掴むと、店頭で段ボールの整理をしていた店主を呼び止めた、


 ***


 狭いアパートの一室には春の日差しが射し込み、暖房もホカロンもいらない暖かさである……はずなのだが、空腹の身ではやや寒気がする。これは早いところ作った方がいい。訳もわからぬ頭痛はきっと胃痛から来ているのだろう。さっさと食べて少し寝てしまおう。

 嘉穂はおいであそばした分葱を数本取って冷蔵庫に突っ込むと、炊飯器を開けた。昨日のご飯が残っているあたり、偉い。


 さて始めましょう。病の時こそ滋養のあるものを! 欠食言語道断!

 お茶碗小盛り程度を一人用の小さい土鍋にかけ、水を足してコンロへかしゃり。ここで蓋を閉めて加熱はよろしくありません。割り箸を挟んで、蓋にはその上に鎮座していただきます。ええ。お焦げができてはいけないのです本日は。焦げは胃を攻撃する。

 おっと、忘れておりました。ここで少しだけ和出汁を加えておきます。味が染み渡って食べやすくなります。

 繊維の多い野菜は消化によろしくないので、本日控えめに。大根と人参、もちろん、人参の葉っぱも使います(繊維質の硬い大根葉はまたの機会に。今日は、根元を切って水栽培)。細かく刻んでお味噌汁行き。こちら、今日は煮干しではなくインスタント出汁にするくらいは許されるでしょう。

 両方のお鍋をコトコト言わせておいて、今日の脇役で主役は分葱です。脇役が映えねば物語も面白くはなりません。脇役激推しの嘉穂にとっては主役だけでいいわけないのです。

 思いっきり刻みます。白いまな板が鮮やかな緑の点描で染まっていきます。


 おっと、このあたりでお粥の小鍋が良い塩梅になってまいりました。いいですね。

 そろそろ出来上がりとお思いか? 甘いですよ、そこの方。ご覧なさい。炭水化物、食物繊維は揃えど、蛋白質が米と味噌の蛋白くらいしかないではありませんか。これでは成人女性どころか子供にも足りない。

 冷蔵庫から取り出すべきは、新鮮な卵ひとつ、アミノ酸組成満点の優秀な蛋白源。

 こちら、ここん、と殻を打ちつけ真っ白なお粥に明るいお月様。はぁぁ、このまま食べたら絶対おいしいやつです。


 しかし嘉穂体調、ちょっと待って。あなたは今日、胃が悶えているはず。

 生卵なんて食べていいわけないじゃない!

 いくら持久力なら任せて体力ありますの嘉穂でも、カンピロバクターは当然ながらサルモネラ菌に耐えられるかどうかの瀬戸際かもわからぬ。

 月見に誘われる艶めきは、崩して差し上げてよ!

 食中毒阻止。胃腸を破壊する悪質な菌は滅せよ。かき玉に成り下がっていただきます。


 いえ、成り下がってとか言いましたが、大丈夫。あなたには有力な参謀が。ご覧なさい。

 刻んだ春らしい緑をお粥の中にはらり。

 これほど新鮮で瑞々しく、春の花咲く草原のように彩り鮮やかに卵と混ざり合ういい分葱があるだろうか! 

 真円の姿を崩したのには、そうして然るべきいい理由があったのをご理解いただきたい! 


 かくして完成……とその前に。忘れてはいけない、お塩をひとつまみ。

 熱がないからといって甘く見てはいけません。起きた時に寝巻きが湿るほどの汗があったなら塩分は確実に抜けている。多少の塩を足しておかないと。救急外来でナトリウム500点滴を入れられてたまるものか。


 お味噌汁の人参も大根も透き通り、ここまで来れば根菜だって消化器官を傷めることもなし。


 さて、揃いました。


 柔らかになった白米を彩る黄色の卵と若い緑。春のうららかな午後にふさわしく、目に楽しく体に優しく! ついでにコストも良過ぎてお財布にも労りを!


 料理は美味しく、は当たり前。それだけでいいわけがない。

 病人だからと不摂生は、単なる「言い訳」、むしろ逆。

 作れる余裕があるのなら、手作り料理でさっさと回復!

 だって今後お腹が減った時には、思いっきり好きなものを食べたいじゃない?


 美味しければいいっ……わけじゃない!


 ——完



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