第4話 押し花
「押し花、あったわ」
私は頷いた。
「白くて可愛らしい、浮草か何かの花」
「浮草……」
シャロンが俯く。それから目がパッと明るくなると、何かに気づいたように、微笑んだ。そうしてつぶやいた。
「何だ……簡単ね」
そう、私は、知っている。
彼女が「簡単」と言う時。それは、観測していた物事に何かしらの共通性や、普遍性を見つけた時。真理や道理を見破った時。人の嘘や隠された真実を嗅ぎつけた時……なのだ。
つまり、絡まっていた謎が解け、混迷に終止符が打たれ、視界がクリアになる。
彼女の目は、今、開かれたのだ。
「分かったのね?」
そんな、私の分かりきった質問にさえ、シャロンは優しく答える。
「だって、簡単だもの」
*
「お、お風呂はやだよっ?」
シャロンが、「クリスティーナに会うにはどうしたらいいだろう」と訊くので、私は「寮長室に行ったら?」と返した。その時の反応が、これだ。
「あなたお風呂嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ! ただ人前で裸になるのが、その……」
「いいじゃない、開放感あって」
「嫌だよ! だって恥ずかしいもん……! お風呂は一人で入りたい!」
「そんな綺麗な肌してて何を言うんだか。隠す必要ないじゃない」
「モニークはスタイルいいから分からないんだよ。私みたいなチビの気持ちが……!」
「言うほど小さくないじゃない」
「モニークに比べたら小さい!」
「はいはい。じゃあ、みんなで入るお風呂はなしね」
しかし、となるとクリスティーナにアプローチする方法が思いつかない。いや、サウスマンの寮に行って呼んでもらえばいいだけのことなのだが、扱っている情報が情報だし、他の相続候補者に見つかると何だか悪い。
「会うのが明日になっちゃうけど、今から手紙出そうかな……」
そう、シャロンの目が机を求めて彷徨う。で、私は、思い出した。
「ねぇ、お風呂には入らなくていいから」
お風呂、という言葉に反応するシャロン。水嫌いなワンちゃんみたいでかわいい。
「寮長室行かない? 鏡に用があるわ」
さぁ、そういうわけで慈愛の女神像の足をくすぐり、いざ寮長室、あの大鏡の前に着くと、私は「ハァ」っと息を吹きかけて鏡面を曇らせた。それから、書く。
「クリスティーナ・フォン・ラインホルト・ローゼのいる場所」
この鏡は行きたい場所に通してくれる。
それも、寮長に関するところなら、どこでも。これはそういう不思議な鏡なのだ。
そうして透き通った鏡の向こうを見て、私は思わず笑ってしまった……見えたのはクリスティーナのお尻! お湯に打たれてほんのり染まった……!
「お風呂ね」
私はクスクス笑った。クリスティーナ、多分、お風呂が好きなんだわ。滝風呂の中でゴシゴシ体を洗ってる。
「さぁさ、シャロン。観念して脱ぎなさい」
げんなりするシャロンのシャツの、ボタンに手をかける。案外すんなり外れた。私は召使よろしくそそくさとシャロンを裸にする。と、同時に私自身も裸になった。脱いだ服をどこに置こうか考えたが、ここは女子部屋、目につくところじゃなければいい気がした。適当に、ソファの裏に隠しておく。
と、鏡の奥で、目が悪いクリスティーナが「ん?」と振り向くのが見えた。
*
シャロン、やっぱり体隠してる。タオルでぐるぐる巻き。かわいい。
「この大浴場の味をしめたの?」
クリスティーナがのんびりした息を吐いた。私たちは火風呂の中、ゆらゆら揺れる熱気の中にいた。
「ううん。あなたを探してたらたどり着いただけ」
「ふうん」
と、クリスティーナは汗の浮かぶ顔を上げた。私はシャロンの方へ向き直った。
「シャロン、そうやって縮こまってると暑いよー。ほら、タオル外してダラっと」
「絶対しない」
そんなシャロンの様子を見て、クリスティーナが笑った。
「私もあなたたちくらいの歳の頃は、人前で脱ぐの嫌だった」
「いつから気にならなくなった?」
私の問いにクリスティーナが振り向く。汗が滴になって、彼女の前髪を伝った。
「さぁ。でも気づいたら、部屋でも裸で過ごしてたわ」
「へっ、部屋でも……?」
「そうよ。私のルームメイトはみんな部屋では裸だわ」
「る、ルームメイトも……」
シャロンが信じられない、という顔をする。しかしクリスティーナは悪そうに笑って、
「嘘よ」
と揶揄った。シャロンはムッとした。
「川風呂に行きましょうか」
クリスティーナが立ち上がると、彼女が座っていた場所にお尻の跡がスタンプみたいに残っていた。川風呂、とはあの小川みたいな流れるお風呂のことだろう。
「シャロンちゃん、川風呂に入る時はそのタオル外してね」
クリスティーナの勧告にシャロンがぎょっとする。
「汗を吸ったそのタオル、浴槽に浸すのはマナー違反だわ」
「だから巻かない方がよかったのよ」
私も一緒になってシャロンを揶揄うと、彼女もいよいよ覚悟を決めたのか、「分かったわ」とつぶやいてタオルを外した。小ぶりな彼女が露になる。それから、こうも続けた。
「謎の方も、丸裸にしましたから」
*
せせらぐお風呂――といっても冷たかったけど――に足先をつけて、私たちは横に並んでしゃべった。まず口を開いたのはシャロンだった。
「モニークには一通り話しましたが、もう一度。暗号について解説していこうと思います」
あんなに裸を恥ずかしがっていたのに、謎解きのことになると、急に凛々しくなる彼女が何だかおかしかった。
「まず暗号文にあった『植物図鑑の一から三をホテルの雑用係は断るだろう』は、『一から三』を『1 to 3』、つまり『1 2 3』と呼んで百二十三と解釈します。次に『ホテルの雑用係』は『ペイジボーイ』なので『ページ』、『断る』は『No』なので『ナンバー』。これらを統括すると『植物図鑑の1 2 3、ペイジ、ナンバー』と読める。つまり『植物図鑑のページナンバー百二十三』です」
足早な解説だったが、クリスティーナはふんふんと話を聞いていた。特に引っ掛かりはないのだろう。そして驚きもしなかった、ということは、彼女もこの辺りまでは解けていたのかもしれない。
「続いて『断るべきはガルゴリウス家の今年の収穫で、それはとても幸せなことなのだが』について。これはさっきの『断る』に対応していて、やはり『No』に続くページ番号が書かれています。『ガルゴリウス家』は『ガルゴリウス暦』を示していて、今は『ガルゴリウス暦』の千八百四十三年。なので千八百四十三ページ目」
おおー、と、今度はクリスティーナも驚きを示した。
「何の本の千八百四十三ページ目?」
彼女の問いにシャロンは答えた。
「『それはとても幸せなことなのだが』が対応しています。幸せなこと。ボヌール。『レ・ボヌール』。『女王の本棚賞』を受賞した作品、『それはなんたる幸せ』です」
ははぁ、と、クリスティーナは感心した。
「すごい! 本当にあの暗号が解けてるのね!」
「ええ、ですがここで私は躓きました……『レ・ボヌール』の千八百四十三ページ目とまでは分かっても、そこにある何が手がかりなのか分からなかったのです」
すぐにクリスティーナが告げる。
「『植物図鑑』は?」
「私もそれを考えました。でも当該ページには植物図鑑に関する記載が四つ。絞れなかった……」
「……でもそこで終わりじゃないんでしょ?」
そう訊ねてくるクリスティーナに、シャロンは続けた。
「もちろん」
「聞かせてちょうだい」
「これはモニークが気づいたことなのですが、文学帝王ことフィルベルトさん、ご家族に決まってプレゼントするものがありませんでしたか?」
その問いに、クリスティーナが固まった。彼女が訊ねる。
「どうしてそれを?」
するとシャロンが笑って、私に目配せしてきた。私は、「多分これのことだろうな」というのをしゃべった。
「あなたの親戚のピエレットさん。彼女も、先ほどの私たちみたいに『植物図鑑のページ百二十三』にはたどり着けたみたいなの。で、彼女、学校中の植物図鑑を集めて、その百二十三ページに栞を挟んでたわ。でもその栞、どれも一緒のデザインだったの。タグのところに可愛らしい……」
と、私が言いかけたところでシャロンがつぶやいた。
「……菱の花の押し花が」
菱? と私は首を傾げた。そういえばシャロン、「薔薇」、「たんぽぽ」、「菱花」、「蓮」まで絞れたって言ってた。菱花……菱!
あの浮草みたいな花の押し花は菱の押し花だったのね! そんな驚きが胸を突き上げていた私に構わずシャロンは続けた。
「フィルベルトさん、菱の花の押し花をあしらった栞を、ご家族にプレゼントしていたことがありますね?」
「あるわ……」
クリスティーナが呆然としていた。
「私も持ってる。一枚だけだけど」
「ピエレットさんはたくさん持っていたみたいですね。もしかしたらプレゼントされたというより、遺品整理で見つかったものを流用していただけかもしれませんが」
と、シャロンが指を一本立てた。
「そこで、暗号文冒頭の言葉です。『全てのカギはアルドリッジに』。これが決定的でした。アルドリッジの校章は……」
「四つの菱!」
私は声を上げてしまった。
「四人の賢魔女を示す四つの菱! まさかこんなところで……」
「そういうわけで、『菱』が手がかりです。そしてご遺族の皆さんは、『菱の花の押し花』があしらわれた栞を持っている。暗号には、『そうして導かれた鍵を、この箱の中に差し込め』とありました。栞なら差し込むことができます」
ぽかん、とクリスティーナがこちらを見ていた。それから、シャロンに向かって、賛辞の拍手を送った。
「すごい……! 本当にここまで……!」
「まだ、試してみないと分かりませんけどね」
シャロンも照れくさそうだった。
「早く上がって、試してみましょ……」
あら、まぁ。でも、仕方ないか。
シャロンのそのセリフに、早くお風呂から出て服を着たいからという理由があることを、私は知っていた。そんなに裸が嫌なのね。
そそくさと、シャロンが立ち上がる。揺れる小ぶりなお尻を見て思った。やっぱり可愛いじゃない。
私たちはお風呂を出た。
*
さて。
服を着て、準備が整ってから、私たちは寮長室のソファに集まって答え合わせとした。
クリスティーナは例の栞を手帳に挟んで大事に使っていた。その栞を、例の魔蓄箱の縁に差し込む。途端に、「カチリ」と音がした。魔蓄箱から何かが抜けた気がした。
「ひらく……!」
クリスティーナが息を呑んだ。私も喉を鳴らす。
そこには一枚のカードが仕舞われていた。名刺くらいの大きさで、茶色かった。クリスティーナがおそるおそるその紙を摘んで、それからひっくり返した。私たちは頭を寄せてそれを読んだ。
こうあった。
〈謎を解いた素晴らしい君へ。金庫の番号は542189だ。中身を手にするといい。ただし……〉
文字はそこで一瞬途切れ、またすぐに……
〈中にはカギとカードが入っている。とある倉庫へ入るためのカギと、その倉庫の住所を示したカードだ。そしてその倉庫には大量の本がある。いずれも、今となっては手に入れることが難しい、人気作の初版本、貴重な学術本、鬼籍に入った作家のサイン本などだ。きちんとした鑑定眼のある人に売ればそれなりの額に……少なくとも向こう何十年かは遊んで暮らせるくらいの額には、なるだろう。好きにしていい〉
そして文学帝王は、最後にこう括っていた。
〈この謎を解いた君は、きっと読書が好きだろう。本が、好きだろう。もしかしたら私と同じ趣味をしているかもしれない。あれらの本は好きにしていいが、いいかい、よく覚えておきなさい。良書は人生を輝かせる。君が手にした私の遺産をどうするか、私は気にしないが、いつかどんな方法でもいい。歳老いても傍に置いておきたい一冊と、巡り合いなさい。それが私と君との、約束だ〉
と、ここまで読んで気づいた。
クリスティーナが、隣で泣いていることに。
私はそっと、彼女の背中を摩った。
お風呂で温まった体が、優しかった。
*
あれから。
アルドリッジ総合学校に通う一人の女の子が文学帝王の遺産を総取りした話は瞬く間に国中に広がり、クリスティーナは一躍時の人だった。しかし彼女の態度は、どのマスメディアに対しても同じだった。彼女はこう告げた。
「私が手にした遺産は貴重な書籍なのですが、私が生きているうちは一冊たりとも売りません。全て私が読み切ります。だって、ほら、アルドリッジの私の寮は……」
サウスマンは本の虫。
私はシャロンと一緒に連合王国経済新聞を読みながら笑った。それからお互い、つぶやいた。
「本当に、本が好きなんだね」
私はすぐに続けた。
「私、お風呂で本読むことあるわよ」
「ふやけちゃうよ」
「冷凍するといいわ。冷凍魔法も、今は魔蓄でいくらでも使えるし」
それよりシャロン、と私が続けると、シャロンはムッとした。
「お風呂は嫌!」
了
文学帝王の遺産 飯田太朗 @taroIda
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