第3話 捜索

 クリスティーナの言う通りだった。

 寮長室のお風呂場で出会った翌日から、確かにアルドリッジの中に妙な大人がたくさんいることが気になるようになった。しかも昨日言っていた通り、みんながみんな学校の本棚を漁っている。

 アルドリッジはその図書館も有名だったが、学校の至るところにある柱に、本棚が作り込まれていることでも有名だった。学校内の好きな場所で好きな本を読むことができるのだ。中身は学術書から昨今流行りの新刊本まで、実に種類豊富。

 文学帝王の遺産目当てにアルドリッジにやってきていた大人たちは、そうした本棚を全部引っ掻き回していた。全く品がない。神聖な本棚が彼らに犯されるのは何だか堪らなく不快だったが、学校の大人たちは何かを吹きかけられていたのだろう、沈黙を通していた。まったく、大人って頼りにならない時は本当にダメよね。

 中でも確かに、あの人は下品だった。七年生のピエール・コネット。彼は友人知人に片っ端から声をかけ、本棚を漁らせていた。人海戦術だ。

「次はそこの本棚、ここからここまで全部調べろ」

 人への頼み方も下品。彼らが漁った後の本棚は並びも天地も何もかもがめちゃくちゃ。これじゃ読みたい本も見つかりゃしない。

 その日も彼は……彼らは図書館で本棚をひっくり返していた。私は眉を顰めた。

「困ったわね」

 私がつぶやくと、シャロンが苦笑いした。

「『全てのカギはアルドリッジに』をそのまま解釈してるみたいね」

「何で本に隠されてると思ったのかしら」

「文学帝王だから、じゃないかな。本が好きだから本に隠したんだろう、って考えたのかも」

「なんて短絡的な」

「まぁ、仕方ないよ」

 ところで、と私はシャロンに訊ねた。

「本当にもう手がかりを得てるの?」

 シャロンは笑って頷く。

「うん。でも肝心なところがまだ」

「ここだけの話にするから」

 私はシャロンに顔を寄せた。

「教えて。何が手がかりなの?」

「うーん」と、シャロンは笑うだけだった。



 続いて私の目に留まったのはピエレットさん。大手出版社、株式会社グリムリッジに勤めるとかいう若い女性だ。彼女はピエールとは違う探し方をしていた。私たちが図書館で目撃した彼女の捜索方法はこうだ。

「『植物図鑑』の類を全部ここに持ってきてちょうだい。片っ端からよ」

 そう、魔蓄で動く機械召使に指示し、本を集める。

 私とシャロンは図書館の片隅で、提出期限の迫った「トマトカエル実験」についてのレポートをまとめていた。私の他にも似たような学生はたくさん。でも面倒なことに、ピエレットさんはそんな学生たちに構うことなく、ドタバタと音を立てて捜索をしていた。気の毒に、何人かの学生はこの図書館が勉強するのにふさわしくないと判断して、どこかへ行ってしまった。

「彼女はどうして植物図鑑にこだわっているの?」

 私が手元で動く自動筆記ペンを見ながら訊くと、シャロンは苦笑いをして、

「あの暗号文に『植物図鑑』の言葉があったからだね」

 と告げた。私は再び訊いた。

「あの暗号文、全部暗記してるの?」

 シャロンは事もなげに笑った。

「うん。そんな難しいこと言ってなかった」

「そうだけど、正直ちょっと意味不明で、覚えにくかったわ」

 するとシャロンは優しく微笑んだ。

「私は聞いていてすぐにヒントを見つけたから、覚えやすかったのかも」

「ねぇ、教えてちょうだいよ。何が分かってるの?」

 するとシャロンはのんびり答えた。

「ピエレットさんのピックアップした本を見てみるといいよ」

 私は彼女が集めさせた本の山を見た。すごい。この図書館にはあんな数の植物図鑑があるのか。

 そしてよく観察してみると、堆く積まれた図鑑たちには決まって栞が挟まっていた。どれもこれも、同じような場所に。

「栞……? どれも同じようなところに挟んでいるわ」

 と私がつぶやくと、シャロンは嬉しそうに笑った。

「多分百二十三ページに挟まってるよ」

「どうして数字まで?」

 と訊くと、シャロンはペンのお尻で鼻の頭を掻いて答えた。

「暗号文。『植物図鑑の一から三をホテルの雑用係は断るだろう』ってあったよね」

 それからシャロンは手元の羊皮紙にメモを書き始めた。

「『一から三』は『1 to 3』。『1 2 3』って音に近いよね」

「はぁ」

 シャロンは話を続ける。

「『ホテルの雑用係』は『ペイジボーイ』。これは『ペイジ』、『ページ』を指してる」

 だんだん言いたいことが見えてきた。

「続いて『断る』。『No』だよね。つまり『ナンバー』」

 これらを統合すると……と、シャロンは手元の羊皮紙にまとめた。

「『植物図鑑の一から三をホテルの雑用係は断るだろう』は『植物図鑑の1 2 3、ペイジ、ナンバー』と読める。つまり『植物図鑑のページナンバー百二十三』」

「すごい……!」

 私は拍手しそうになった! 

「すごい! もうそこまで読めているのね!」

「多分あのピエレットさんもそこまでは解読できてるみたい」

「植物図鑑の百二十三ページまでは絞れているのね」

「うん。ただ、王国の植物図鑑はまだ統合できていなくて、本によって同じナンバーでも指してる植物が違ったりする。ピエレットさんはそこで混乱してるんじゃないかな」

「なるほどね……」

 と、つぶやいた頃になって私は思い出した。

「待ってよ。『断る』って文言、暗号文の中に二回出てきたわ」

 するとシャロンはクスッと可愛らしく笑った。

「そうだね。ピエレットさんは最初の暗号が読めた嬉しさで、そっちの方まで頭が回ってないみたい」

「そっちはどういう意味なの?」

 と、私は訊いた。やはり遺産に迫る特殊な情報だからだろう。シャロンは小さな声で答えてくれた。

「『断るべきはガルゴリウス家の今年の収穫で、それはとても幸せなことなのだが』。だね。『断るべき』ってあるから、さっきの『1 2 3』のくだりはデモンストレーションで、実際はこっちを検討すべきなんだと思う。で、モニーク。今は何年?」

「千八百四十三年……」

 と、年号を答えそうになってから私は驚いた。

「千八百四十三ページ?」

「そう」

 シャロンはまた笑った。

「ヒントは『ガルゴリウス家』だね。私たちが使っているのは『ガルゴリウス暦』。年代の表記にはいろいろな考え方があるけど、ガルゴリウス暦で考えろ、って意味なんだと思う」

「でも何の千八百四十三ページ?」

 私の問いに、シャロンは図書館奥の本棚を示すことで答えた。文学のコーナー。もちろん、そこには文学帝王の作品がまとめられた場所もある。

「小説?」

 私が訊くと、シャロンは「ボヌール」と西クランフの方言で答えた。雅な発音。鼻にかかる声。

 西クランフの言葉で「ボヌール」は「(最上級の)いいこと」「幸せ」「婚姻」を意味する。そしてこの時、ようやく私の頭の中に電流が駆け抜けた。

「『それはなんたる幸せ』ね? あれの別名は『レ・ボヌール』」

『それはなんたる幸せ』こと『レ・ボヌール』。文学帝王が女王の本棚賞を受賞した際の作品。

「暗号文には『それはとても幸せなことなのだが』があったね。多分『それはなんたる幸せ』を指してる」

「なるほど! すごいじゃない、シャロン! もう答えだわ!」

 しかしシャロンは急に浮かない顔をした。私はそっと訊ねた。

「まだ分からないことがあるの?」

「うん」

 シャロンは頷いた。

「暗号文の『植物図鑑の〜』は多分、『ガルゴリウス家の〜』にもかかっているだろうから、『それはなんたる幸せ』の千八百四十三ページ中に出てくる植物図鑑の記載を探せば答えに辿り着けるんだろうと思った。そして実際に探してみたんだけど、残念なことに……」

 と、シャロンは直筆のメモをノートの下から出した。どうやら、小説から抜粋した文言が書かれているらしかった。

「作中に『植物図鑑』の記載はあった。冒頭の方。日雇い労働者の男性が、小さい頃から大事にしていた文庫サイズの植物図鑑を見て、道端の花を愛でている場面。同じ花に惹かれてやってきた娼婦の女性と会話が始まるところ。それと、中盤頃の娼婦のために花を買う場面で、花屋で花言葉を調べるために日雇い労働者の男性が植物図鑑を開くシーン。そして物語の終盤、日雇い労働者と娼婦が結ばれて、二人の出会いについて話す時、娼婦が『あなた本を見せてくれたわ……』って植物図鑑の話をするシーン」

「どれも名場面ね」

「そう。千八百四十三ページは、ラストの日雇い労働者と娼婦が出会いについて話すシーンが相当するんだけど……」

「……ちょっと。これここで話してて平気? 場所変える?」

 私の提案に、シャロンは頷いた。

「……そうだね、クリスティーナのために始めたことだし、ピエレットさんに先を越されても困る」

「ノウスレディの女子寮で話しましょう。私のベッドで!」

「いいね」

 そういうわけで、私たちは一旦話を中断し、図書館を出た。去り際、私はピエレットさんの近くにあったテーブルに目をやった。彼女が集めさせた本が大量に並んでいて、それらに挟んである栞が目に入った。どれも白くて小さな、可愛らしい花の押し花を――浮草の花かしら。池や川端で見たことあるような花だわ――タグの部分にくっつけた、可愛い栞だった。不思議なことに、ピエレットさんはどの本にもそれと同じ栞を挟んでいた。気に入っているのか、あるいは安く手に入る、それか書店で無料で配っているのか……ああいうデザインのなら、私も欲しいと思ってしまった。

 寮に戻る途中、何人かの男子に話しかけられたが……シャロンの話があるから、私たちはどれにも応えず真っ直ぐに部屋に戻った。そうして寮の談話室を通り抜け、私のベッドがある221Bの部屋に入ると、私はベッドに飛び込み、シャロンの場所をとんとんと叩いて示した。シャロンがお尻を下ろした頃になって、「こんな誘い方いやらしい?」と訊くと彼女は「そんなことないよ」と頰を赤らめた。相変わらず、オトナな話はダメね。

「で、暗号の続きについて聞かせて」

 私の催促に、シャロンは気を取り直して続けた。

「『それはなんたる幸せ』のラストのシーンは、日雇い労働者と娼婦が出会った頃の話をする場面で、要するに小説の冒頭のシーンの再現になるんだけど、この冒頭のシーン、『植物図鑑』と一緒にいくつかの植物が出てくるの。日雇い労働者が花の名前を列挙するのね。全部で四種類。『薔薇』、『たんぽぽ』、『菱花』、『蓮』……」

「えっ、そんなに……」

 私は眉を寄せた。

「その中から絞るの?」

「そうなる」

 と、シャロンも難しい顔をした。

「でもこれ以上の手がかりは、暗号文中にはなかったのよね。私の記憶に漏れがある可能性もあるから、後でクリスティーナに話を聞きに行こう、って、モニークを誘おうと思ってたんだけど……」

 なんだ、そんな可愛いことを思ってくれてたのか。

「いいよ。クリスティーナのところへ行こう!」

「あの子の寮、どこだっけ」

「サウスマン、だったかな?」

「サウスマンは本の虫……」

 なんて、二人で校歌の一節をつぶやいて笑った。

「クリスティーナ、本当に本の虫みたいね。サウスマンにぴったり」

「ね」

 くすくす笑いながら、ベッドから出る。そうして私は、隣のベッドを使ってるアンジーの枕元に、一冊の本が置かれていることに気づいた。

「もう、アンジーったら。本のページがどうこう言うならちゃんと栞を挟んでおきなさいよね」

 ぷりぷりしながら、枕の横に置いてあった革の栞をページの上に置いておく。シャロンが訊いてきた。

「アンジーの本がどうしたの?」

「聞いてよシャロン。アンジーったら、私がベッドのカーテンを開け閉めした時の風で本がめくれてページが分からなくなっちゃったなんて言いがかりをつけてきたのよ」

 シャロンがむっとする。

「それは嫌だね」

「でしょ? だからこうして、栞を挟んでおいてあげたの」

 するとシャロンはなんだかおかしそうに笑って、

「モニークって、なんだかんだ優しいよね」

 とつぶやいた。私はそんなことないわ、と首を振った。

「栞で思い出したけど……」

 と、ふと頭に浮かんだことをつぶやく。

「ピエレットさんも栞を挟んでたわよね。図鑑の百二十三ページに」

「うん」シャロンが頷く。私は続けた。

「あの人、同じ栞を何枚も持っていたわ」

「同じ栞……」

 と、私の言葉を繰り返してから、シャロンは訊いてきた。

「もしかしてさ」

 続く言葉に、私は再び驚いた。

「押し花とかなかった?」

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