彼だから許せたこと、願ったこと
呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)
第1話
「おはよう」
宿屋の営業開始をしようと身支度を済ませ、茶を一杯飲み終わったころ。スライド式の扉を開けていたら声をかけられた。
声の主は長年生活をともにしている
「おう」
「ちょっと、いい?」
「珍しいじゃねぇか。どうした? 体調でも回復しねぇのか?」
「いや、体調は大丈夫。ただ、一回だけ……帰っておこうかと思って」
座りながら
「そうか」
静かにうなずくしかない。
あっという間に過ぎていった十一年という歳月。もはや親子同然。いつしか、
今になって、うしろめたい気持ちが沸く。
どちらとも話さず、重い空気が流れ始める。気まずい空気に、
「
「そういえば、産まれた家のことを一切言ったことがなかったな。聞かなかった俺も悪かったけどよ、やっぱり……
「そりゃあ……ね」
忘れもしない。あの十一年前の
ボロボロの姿でゴミに紛れていた。人が倒れていると気づいて目玉が飛び出しそうになって、慌てて駆け寄った。息をしていると確認して、必死に抱えて連れて帰ってきた。そうして、ゆっくりと休ませ、食事を与え、清潔を保たせ──色々とあったが、今では店を任せられるほどにもなった。
信頼関係が築けていると思っている一方で、生家のことを言わないのだから、聞けるわけがない。
ただ、その反面で内心は帰りたいと思っているのではないかと、うかがってもいた。
妻は、娘が生まれたときに他界している。男でひとつで大事に娘を育て、途中から
娘の彼氏というのも、
『生家のことを言わないのだから、聞けるわけがない』と思い込んでいたのは、いいわけだ。『生家のことを言わないのだから、わざわざ聞くことはない』と、心のどこかでは自身に言い聞かせてきたのだ。
生家に帰ると言わず、このままいてくれればと願い、聞くことができなかった。
それが事実だ。
引き止めることなど、
「じゃ、行ってきます」
やや明るく言った声を、
「
「ん? ああ。また俺はここに帰ってくるから。それに……」
一方の
「変な心配させたくねぇんだよ。知らなくてもいいじゃん、別に」
「お前の気持ちは、俺なりに理解しているつもりだ。本当のことを言えば、お前は生家に帰るといつか言うと思っていたんだ。後悔はするべきじゃない。
「まだ、だね」
と、
「最良の道を取るために、俺は気がかりなことをなくしてくるんだよ。心置きなく、ここにいられるようにしたいのさ」
例えば、こんな風に──。
「あ~あ、こぉんなに長くいるのになぁ。伝わりにくいね、やっぱり。気持ちってものはさ」
ただし、ごまかせた――と思ったのは、本人だけのようだ。
「はは、悪い。つもり、だったな」
涙脆い親父を装う。いい年をした男が涙を落とすのは、恥だ。
「行ってこい。待ってるぜ」
「おう」
と、
彼だから許せたこと、願ったこと 呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助) @mikiske-n
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます