彼だから許せたこと、願ったこと

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

第1話

「おはよう」

 宿屋の営業開始をしようと身支度を済ませ、茶を一杯飲み終わったころ。スライド式の扉を開けていたら声をかけられた。

 声の主は長年生活をともにしている瑠既リュウキ。きれいな顔立ちをしているなと思っていたら、あっという間にイケメンになっていた。息子のような存在だが、この店の亭主とは体つきも顔立ちもまるっきり似ていない。

「おう」

「ちょっと、いい?」

「珍しいじゃねぇか。どうした? 体調でも回復しねぇのか?」

 瑠既リュウキは部屋の入り口にかけられたのれんを、どこか緊張気味にくぐる。段差を登り、手前の低いテーブルへと向かってくる。

「いや、体調は大丈夫。ただ、一回だけ……帰っておこうかと思って」

 座りながら瑠既リュウキは言う。ふうと緊張を解くように一息吐き、胡坐アグラをかく。

「そうか」

 静かにうなずくしかない。

 あっという間に過ぎていった十一年という歳月。もはや親子同然。いつしか、瑠既リュウキのことを本当の息子だと思って接していた。

 今になって、うしろめたい気持ちが沸く。


 どちらとも話さず、重い空気が流れ始める。気まずい空気に、瑠既リュウキがわざとらしく明るい声を出した。

ヨシさんには十四歳のときに拾ってもらって、それから世話になってるし。行き先を話してから行こうと思ってさ」

「そういえば、産まれた家のことを一切言ったことがなかったな。聞かなかった俺も悪かったけどよ、やっぱり……リュウは気がかりだったんだな」

「そりゃあ……ね」

 瑠既リュウキの返事は歯切れが悪い。

 ヨシは、触れてほしくないこともあるだろうと想像する。

 忘れもしない。あの十一年前の瑠既リュウキの姿を。

 ボロボロの姿でゴミに紛れていた。人が倒れていると気づいて目玉が飛び出しそうになって、慌てて駆け寄った。息をしていると確認して、必死に抱えて連れて帰ってきた。そうして、ゆっくりと休ませ、食事を与え、清潔を保たせ──色々とあったが、今では店を任せられるほどにもなった。

 信頼関係が築けていると思っている一方で、生家のことを言わないのだから、聞けるわけがない。

 ただ、その反面で内心は帰りたいと思っているのではないかと、うかがってもいた。

 妻は、娘が生まれたときに他界している。男でひとつで大事に娘を育て、途中から瑠既リュウキが加わり、いつからかふたりは付き合っていた。

 娘の彼氏というのも、瑠既リュウキだからこそ許せたことだ。このまま、瑠既リュウキが宿屋を継いでくれないかと思っていたと、今更気づく。

『生家のことを言わないのだから、聞けるわけがない』と思い込んでいたのは、いいわけだ。『生家のことを言わないのだから、わざわざ聞くことはない』と、心のどこかでは自身に言い聞かせてきたのだ。

 生家に帰ると言わず、このままいてくれればと願い、聞くことができなかった。


 それが事実だ。


 引き止めることなど、ヨシにはできない。


「じゃ、行ってきます」

 やや明るく言った声を、ヨシは彼らしいと思った。立ちあがる瑠既リュウキを見上げる。

リュウ倭穏ワシズには言って行かないのか?」

「ん? ああ。また俺はここに帰ってくるから。それに……」

 瑠既リュウキの言葉にヨシは目を見開く。『ここに帰ってくる』が、幻聴かと耳を疑って。

 一方の瑠既リュウキは、なんとも照れくさそうな表情を浮かべる。

「変な心配させたくねぇんだよ。知らなくてもいいじゃん、別に」

「お前の気持ちは、俺なりに理解しているつもりだ。本当のことを言えば、お前は生家に帰るといつか言うと思っていたんだ。後悔はするべきじゃない。リュウ、無理に戻って来いとは言わん。お前の最良の道を選んでこい」

 ヨシが覚悟を決めて言うと、

「まだ、だね」

 と、瑠既リュウキは笑う。

「最良の道を取るために、俺は気がかりなことをなくしてくるんだよ。心置きなく、ここにいられるようにしたいのさ」

 瑠既リュウキが本音を語るのは珍しい。昔、臆病者だった分、本音を隠す癖がある。そして、それをごまかそうとする癖も。

 例えば、こんな風に──。

「あ~あ、こぉんなに長くいるのになぁ。伝わりにくいね、やっぱり。気持ちってものはさ」

 ただし、ごまかせた――と思ったのは、本人だけのようだ。ヨシは感激し、視界を滲ませた。

「はは、悪い。つもり、だったな」

 涙脆い親父を装う。いい年をした男が涙を落とすのは、恥だ。

「行ってこい。待ってるぜ」

 ヨシは拳を掲げる。それに、

「おう」

 と、瑠既リュウキも拳を返した。

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彼だから許せたこと、願ったこと 呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助) @mikiske-n

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