無き遺言を、そこに聞く

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

「言い訳なんて、しませんわ」


 紙と文字で埋め尽くされた部屋の中にいた彼女は、気怠げに顔を上げると呟いた。


「最初から、するつもりもありませんもの」


 こうなったのはわたくしの責任ですわね、と、彼女は淡々と続ける。


「駄作も傑作も。ギャグもシリアスも。洋も和も中も。どれも間違いなくわたくしの筆によるもの」


 独白するかのように呟く彼女の手元からは、続々と新たな文字列が生まれている。


 白い紙に、黒い文字。まるで葬式のような白と黒。


 その中にみずから埋もれるように座した彼女は、己が生み出した光景に満足そうに微笑んだ。


「全て等しくわたくしの名の下に生み出された作品に違いなくってよ。どのような評価を受けようとも、どの子もわたくしの心のたぎりを受けた、可愛い可愛い子供達」


 誰に何と称賛されようとも、誰に何とそしられようとも。


 この業苦を誰に称賛されようとも、誰に謗られようとも。


「言い訳なんて、しませんわ」


 そう言って微笑んだ彼女は、フッと姿を消してしまった。


 ただ私の前に、白い紙と、黒い文字列を残して。


「この子達に溺れるあまりに、貴方あなたを置いて逝ったことを」


 しん、と静まり返った部屋には、いまだに彼女の気配があるような気がした。


 私の妻の。とある小説家の。物語の世界に狂って、最後には寝食さえ忘れて、ひたすら死ぬ瞬間まで物語を書き殴っていた、とある狂人の。


「……言い訳くらい」


 小さく響いた私の声に答えてくれる物語は、彼女の中にあったのだろうか。


「せめて言い訳くらい、残して逝ってくれれば良かったのに」


 出会った瞬間から死ぬ瞬間まで、物語の世界を夢想して。文字に埋もれて死ぬ覚悟を早々に固めて、その全ての責任を負う覚悟もしていた彼女。


 そんな彼女の中に、『私』はどれだけ存在していられたのだろうか。


 空虚こそが、文字に狂った彼女から私への『愛』だと分かっていても。


「君は、なんて、残酷なんだろうな」

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