荒野に獣、空に星

恋犬

荒野に獣、空に星

 走る、走る、獣は走る。

 流れる星を追いかけて。

 無人の荒野をひた走る。


 獣は生物ではなかった。

 体は鋼鉄、血ではなくオイルが全身を流れ、無数の武器で鎧っていた。

 獣は命を持たない機械仕掛けの機獣けものだった。

 だがその機械の体の奥底に、確かに心はあった。



 走る、走る、獣は走る。

 その背に友をまたがらせ。

 数多の戦場を駆け巡る。


 獣には友がいた。小さな小さな人間の友だ。

 一踏みで潰してしまえるその小さな生命を、獣は戦友ともと呼んだ。

 戦友とももまた獣を愛機ともと呼んだ。

 一人と一機いっぴきは相棒だった。互いに命を預けられる存在だった。

 荒野てきちを。渓谷てきちを。砂漠こうやを。敵基地てきちを。

 獣は戦友ともを背に乗せて走った。



 走る、走る、獣は走る。

 獣たちは走り続ける。

 友と呼ぶ人間と共に。


 獣には同型どうぞくがいた。戦友ともには同胞がいた。

 ともに戦場を走り抜け、敵と呼ぶ者達を皆でころし続けた。

 人間を背に乗せた獣と同族たちは強かった。

 そして獣は誰よりも何よりも強かった。戦友ともが獣の力を十全に発揮させてくれたからだ。

 それが獣は嬉しかった。それは自分のことを理解わかってくれているということなのだから。



 走る、走る、獣は走る。

 走り続けて、敵を討って。

 そして止まれと命じられた。


 獣たちは戦い続けた。

 戦って、戦って、戦って、戦って、戦って、戦って。

 ただひたすらに戦い続けた。ひたすらに敵をころし続けた。

 戦いの中で、戦友ともの同胞や獣の同型どうぞくも決して少なくない数が散っていった。

 戦場は死骸で溢れていた。戦友ともの同胞も、獣の同型どうぞくも、そして敵たちも。

 誰も彼もが物言わぬ物に成り果てて朽ち果てていった。


 けれどもそれももう終わり。


 獣たちが全ての敵をころし尽くしたからだ。

 そうしてようやく戦いは終わった。終わってしまった。

 もう戦わなくていいのだと、戦友ともは言った。



 やがて。

 空から星が降りて来た。

 無数の星だ。

 綿毛のようにゆっくりと、獣たちの方へと降りて来た。


 獣たちは立ち止まり、空を見た。

 降りてくる星を見て、そして人を見た。


 人もまた立ち止まり、空を見た。

 降りてくる星を見て、そして誰も獣たちへ振り返らなかった。



 降りて来た星は人間たちの宇宙船だった。迎えの船だと人間たちは言っていた。

 獣たちも乗ってきたらしいが、起動すめざめる前のことだから覚えていなかった。

 人間たちは喜んで宇宙船を出迎えた。

 やっと故郷へ帰れる。やっと家族の元へ戻れる。

 口々にそういう人間たちの目に、もう獣たちは映っていなかった。


 いや。


 その中で、戦友ともだけが獣の視線に気付いた。

 俺たちは帰れるんだ。そう言う戦友ともに、どこへ行くのかと獣は問うた。

 地球こきょうにさ。そう言って空を指差した。遠く遠くの青い星を指差した。


 その星を獣は知っている。

 何度も戦友ともが話してくれた。

 青い空。緑の大地。地平線まで続く海。

 そして、大切な人たちのこと。

 戦友ともはそこへと帰るのだ。


 それなら。

 それなら自分たちはどうなるのか。


 獣の疑問に答えたのは、戦友ともではなく船から降りてきた人間の同胞だった。

 先に兵士だけ送り返して、お前たち兵器は後からだ。

 戦友ともの声を遮るように言われたその言葉に、獣たちは違和感を覚えた。

 冷たい事務的なその言葉からは、獣たちを物としか見ていない気配がしたからだ。


 獣の不安を察してか、戦友ともはこう言った。

 きっと迎えに来る。だから待っていてくれ。約束だ。

 その言葉を、獣は信じた。

 信じて、戦友ともの背中を見送った。



 獣たちは立ち止まる。

 誰もが空を仰ぎ見た。

 飛び去る星を見上げてる。

 その眼と砲が星を見た。

 信じた友が星になるのを。

 獣だけが、皆を見ていた。


 嘘だ。

 不意に、同型どうぞく一機いっぴきが呟いた。

 人間たちは迎えに来ない。俺たちは捨てられたのだと吐き捨てるように言った。

 戦いは終わった。敵はもういない。それならば、兵器である自分たちも、もういらないのではないか。


 だからきっと、あいつらは俺たちを迎えに来ない。


 そのどくづきどくはく同型どうぞくたちは顔を見合わせた


 本当だろうか。人間たちの言葉は。

 本当だろうか。同型どうぞくの言葉は。

 本当でないなら。

 本当なら。


 同型どうぞくたちは、一斉に宇宙船を見上げた。

 その眼には、もう消えたはずの戦火の赤が宿っていた。

 その中で獣だけが、同型どうぞくたちを見ていた。

 その眼には、戦友ともの後ろ姿が映っていた。



 走る、走る、獣は走る。

 砲火の網をくぐり抜け。

 仲間の咆哮をくぐり抜け。


 獣は誰よりも何よりも強かった。

 その爪は容易く鋼を裂いた。

 その牙は食らいつけば必ず命を奪った。

 その砲は外すことなど一度としてなかった。


 だからこそ。


 全てが終わった時、荒野に立つのは獣一匹だけだった。

 獣以外、何も立ってはいなかった。



 走る、走る、獣は走る。

 たった独りで走り続ける。

 流れる星を追いかけて。


 悲しかったのだろう、友と信じていた人間に見捨てられたことが。

 悔しかったのだろう、友と思っていたのは自分達だけだったことが。


 わかっている。わかっていた。

 獣もそうだったからだ。

 だけれどそれでも、獣は戦友ともを信じた。

 信じて、人間に牙を剥かんとした同型どうぞくたちをころした。

 ころし尽くした。


 最後の同型どうぞくの首を嚙み砕く寸前。

 最期の吠え声と共に、同型どうぞくの砲火が空を二つに切り裂いた。

 獣が振り返って見たものは、星の一つが流れ墜ちていく光景だった。

 戦友ともが乗っているはずの星が。



 走る。走る。獣は走る。

 流れる星を追いかけた。

 見失うまいと追いかけた。


 荒野を。渓谷を。砂漠を。基地跡を。

 かつて戦場だった場所を獣は走り抜けた。


 いつしか星は見えなくなっていた。

 誰よりも早かった獣の脚では追いつけなかった。

 誰よりも優れた獣の目でも見失ってしまった。

 見えなくなった星を、それでも獣は追いかけ続けた。


 ずっとずっと、ずっとずっと。

 走り続けて、走り続けて、走り続けて。

 もう見えなくなった戦友ともの背中を追いかけて、獣は走り続けた。


 走り続けている間、戦友ともとの記録きおくを思い返していた。

 共に戦った、戦場のことを。

 共に見た、夜空の青い星のことを。

 共に走った、何の変哲もない荒野のことを。

 全てが獣にとって大切な記録きおくだった。


 その記憶がもう更新されることがないなんてことを、獣は信じたくなかった。

 だから獣は走り続けた。


 走って、走って、走り続けたその先で。

 獣は足を止めた。止めざるをえなかった。


 見渡せばそこにあったのは、朽ち果てた同型どうぞくたち。

 彼らの骸で出来た歪なオブジェの群れ。獣たちの墓場だ。

 星を追いかけていくうちに、獣は元の場所へと戻っていた。


 この大地を一周しても星は見つからなかった。墜ちてなどいなかった。

 戦友ともはきっと、地球こきょうへ帰れたに違いない。

 そのことに安堵し、獣はその場にくずおれた。

 死んだ同型どうぞくたちと同じように、歪なオブジェの一つになる。


 獣の体はとうの昔に限界を迎えていた。もう一歩も歩けない。走り出すなどできもしない。

 大地に横たわり、獣は眠りにつく。長い長い眠りになるだろうことは、獣自身理解していた。

 もう、目覚めないだろうことも。


 眠りにつく直前、いつかの夜に戦友ともが語って聞かせた話を思い出す。

 流れる星に願えば、どんなことでも叶えてくれるのだと。

 彼はいつも星を見上げて、流れる星を待っていた。

 きっと、地球こきょうに帰れるように願っていたに違いない。

 その彼の横顔を見ながら眠るのが、獣は好きだった。


 嗚呼、それなら。

 星が流れたあのとき。

 戦友とものことを、願えばよかった――。



 眠る、眠る、獣は眠る。

 深い深い暗闇ねむりの中に沈んでいく。

 戦友とものいない眠りは、こんなにも、こんなにも怖いものだったろうか。









 ……。

 …………。

 ………………。


 声。声がする。獣を呼ぶ声。

 懐かしき戦友ともの声。


 獣が目を開くとそこには戦友ともの姿があった。

 別れた時と何一つ変わらない、懐かしき戦友ともの姿があった。


 ああ、よかった。無事だったのか。獣は安堵する。

 戦友ともは星になどなっていなかった。

 遠くへ去って行ったわけでも、流れて墜ちていったわけでもなく。

 ずっと傍にいてくれたのだと。


 戦友ともの手が獣に触れる。小さな小さな、けれども暖かな手のひら。

 その手から伝わる温もりが、獣の動力炉しんぞうに火を灯した。

 折り砕けた四肢は繋がり、ひび割れた装甲ひふは継ぎ合い、獣は再び立ち上がる。


 獣が小さな戦友ともを見下ろすと、戦友ともは空を指差した。

 空に輝く小さな小さな青い星を。


 なぁ、俺の故郷あのほしへ。あの地球ほしまで、俺を乗せていってくれないか。

 戦友ともの言葉に、獣はお安い御用だと答える。

 そして獣は走り出す。今度こそ立ち止まるまいと決意を胸に。


 走る。走る。獣は走る。

 愛しき友を背に乗せて、彼が指差す星を目指して。

 無尽の広野をひた走る。

 どこまでも、いつまでも。




 空に輝く青い星が、荒野で眠る獣を照らしていた。

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