031

 西城もがみは窓へ肘をかけながら、スピーカーから流れる陽気な音楽を口遊(くちずさ)んでいる。夏晴れも爽やかな快晴だった。二三時間前から鼻孔を擽る磯臭い匂いすら、彼女にとっては愉快なものとなっていた。風量を最大限にしても、冷房がまったく効かないところを鑑みるに、やはり買い替えのタイミングなのかもしれない。バックミラーに映る荷台には、鮮やかな朱色の髪の毛を、時速五十キロメートルの風圧に任せながら、大口を開けて笑う少女がいた。荷台の縁から身を投げ出し、右手側に見える大海原を見ていた。西城は車内に響く怒声でおいと声をかけた。

「あんまり出るなっつってんだろうが! 通報されたらまた面倒臭いだろう! 何回無意味な奴らをボコせばいいんだ! 馬鹿野郎!」

「あ、はーい」わざとらしく大声で返した少女は、あとどのくらいで船着き場なの? と訊いた。西城が脳内で地図を広げながら答えようとする。

「あと一時間もねーよ、黙って座ってろ」爽やかな風とは裏腹に、突き刺すような声音で口を挟んだ彼は、西城が横目で一瞥する通り、酷く不機嫌極まりなかった。思わず肩を上下させた。西城もがみが意識を取り戻したのは、恋染初姫が完全解放を半ば強制的に解除した時刻と同時刻であった。彼女の躰は地中にこそ埋まらなかったが、数本の折り重なった巨木には埋まっていた。今にして思えば、よく再生できたものだと自らの不死身性に感謝した。禍力は無意識には流れず、こうして生還できたのは、彼女が意識を失うひと時の瞬間に、全禍力を予め肉体へ行き渡るようしていたためであった。そうして振り絞る禍力で再生後の躰を補いながら、荒れ果てた自然を目の当たりにした。無残な姿の動植物たちは、自らの責務から自由へと旅立っていた。弔うということすら脳裏に過ることがないほどの破壊だった。五体を完全に快復させた西城であったが。こうなってしまった間際の出来事を忘れてしまっていた。朦朧とする意識のなか、凝り固まった血流を解すように彼女は自らの前頭葉にあたる部分を幾度も小突いた。手加減をするような性分ではなかった。額は強固な拳の末端により薄い皮膚は破れ、鮮やかな液体を滴らせた。一枚の写真の風景を思い出した彼女は、固有の能力を使用し、空高く飛翔する。その際に刻まれた鳥瞰した風景を、彼女は二度と忘れることはないだろう。数百キロメートルにも及ぶ破壊の名残は見るも無残なものだった。阿鼻叫喚すら生じる間もなく蹂躙された原風景。家屋やひとの生活の残滓が記憶されることを拒むような有様となって、それが広大に続いていた。誰だ、と激しい怒りが彼女の胸を渦巻く。吊り上がった双眸は悪鬼の如く陽炎と揺らめていたが、咄嗟に頭を振るって戒めた。未だ森が続くような光景であれば、ふたりを探す手間にかなりの時間を有したはずである。下界を見下ろせば、地獄の光景を生み出している発震源があるはずだと正しく血眼となり鷲の眼を穏やかな朝日が陰を落とした。爆心地の如く窪んだ大地は彼女が空中で佇む場所からそれほど遠くはないところにあった。禍力を脚場に跳躍し着地した彼女の前に、黝く変色した柚乃下と、口端から絶えず流血した恋染の姿があった。件の光景を生み出したと思われる元凶は、彼女が手を下すこともなく、事切れていた。その証左に、まだ中学生程度の少女が、確りと胸のなかで抱いている血糊を蓄えた鉱石の断片が、全てを物語っていた。

「――で。あたしに本当のことを喋るつもりはねえのか潤」

唇を尖らせた西城が、横目で柚乃下を見る。対して彼は黝く変色した、瞳を細め、窓の外へ視線を流した。いくら待っても返答はなく、ただ燥(はしゃ)ぎ回る荷台の化物が、心から愉しそうに嗤っていた。その傍らには少女と同じように燥いでいる黒髪の女性もいた。西城はこの場にいるはずだった少女へ想いを馳せる。隣で脈動打つ少年の心音が重なって聞こえた気がした。幾何かの希望を捨てるわけにはいかない。元に戻すことは不可能かもしれないが、やってみる価値は大いにある。何せ向かっている先は、世界最高峰の異能の街なのだから。

遠くに船着き場が見えた。車は徐々に速度を上げて、岬の末端を恐ろし気な速度で曲がった。不敵な笑みを隠すことなく彼女は嗤い、荷台の恋染は自らの身体能力に胡坐を掻いて楽しみ、黒髪の女性は慈しむように微笑み、柚乃下潤は曲がった拍子に栗色の長髪を視界の端で捉えた。ほんの一瞬だったが、何かを言っていた気がする。都合七度唇が動いていた。彼は誰かも分からない相手に、同じ七度唇のみを動かした。そうしなければならないと、彼の中に潜む彼が、言った。

 大海原を辷るように一羽の鴎が飛行する。湾岸の風は強く、気持ちを失った彼のなかに、新たな風が吹いた。

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救世主とは傲慢である にーどれす @NEEDLESS1014

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