第8話"幽霊男爵"からの手紙と贈り物

 メインのお皿を綺麗に平らげると、丁度のタイミングで「奥様」と声がかけられた。


「リック」


 見ればいつの間に側にいたのか、リックがにこりと目尻に皺を刻み、銀のトレーに乗せた一通の手紙と小箱を差し出した。


「お食事中、失礼いたします。旦那様より手紙が届きましたので、すぐにお渡しした方が良いかと」


「まあ、エイベル様から!? ありがとう、リック」


 とんでもございません、と微笑むリックのトレーから手紙と小箱を受け取りると、リックは「では、失礼いたします」と食堂を出ていった。

 私は早速と手紙の封を切り、ドキドキしながら折り畳まれた用紙を開く。


 塩の香りがするのは、気のせいかしら。

 定期的に届くエイベル様からのお手紙は、"クーパー男爵夫人"となった私にとって、何よりも心待ちにしているもの。


 逸る気持ちを抑えながら文字を追うと、いつもの健康報告に始まり、滞在中の国のこと。

 私が日々不便なく過ごしているか心配だと、優しい言葉が綴られている。

 そして――。


「……大変だわ、エレナ」


 低く呟いた私に、異変を察知したエレナが「奥様?」と心配げに近寄ってくる。

 手紙を持つ手が震える。

 私は助けを求める心地でエレナを見上げ、


「エイベル様、近々ご帰宅なされるみたい……!」


「! それは……ようございましたね、シャロン様」


「そう! 良いこと! これはとっても良い知らせなのよ!? だけど……あまりに急すぎるわ」


「ですが、シャロン様も度々口にされていたではありませんか。早く旦那様にお会いしたいと」


「そうよ、早くお会いしたいのよ? けれどいざその時が来るとなると、その……どんな顔をして、お会いしたらいいのかしら」


 エイベル様のいない一年間、クーパー邸の皆にはそれはそれは良くしてもらっていた。

 生家も、生家のある領地に関しても手をかけて頂いたというのに。

 私がこの一年で成し遂げたことといえば、"おせっかい夫人"の称号を得たことくらい。


「せめて私がうんと美しい淑女だったなら……いいえ、今更悔やんでも仕方ないことね。そうだわ、今からでも刺繍の練習を……」


「シャロン様。刺繍の腕は一朝一夕では身に付かないと、あれほど申し上げたではありませんか。傷だらけの指で旦那様をお迎えするおつもりですか」


「それは……っ」


「シャロン様はシャロン様らしく旦那様をお迎えされるのが、一番かと。旦那様も、お手紙でいつもシャロン様らしくあってほしいと願われておりますから」


「……そうね」


 再び視線を手紙に落とす。

 そこにはやっぱり、手紙を受け取るたびに重ねられる言葉が綴られている。


 ――"キミがキミらしく過ごせることを祈っているよ。"


「覚悟をお決めくださいませ、シャロン様。今更な抵抗に思考を費やすよりも、旦那様からの贈り物を確認されたほうがよろしいのではありませんか」


「あ、そうよ! 贈り物……っ」


 急いで開いた小箱には、赤く小さな球体が連なる耳飾りが。

 そのうちの一つ、耳に一番近い位置にあるものだけが、薔薇の形に彫られている。


 なんて深い赤。

 透明感はないけれど、つるりとした表面と奥深い色味が美しい。


 小箱に同封されていた用紙を開くと、こちらにもエイベル様の字で簡単な説明が記されていた。

 目を通した私は心臓がバクバク跳ねるのを感じながら、「みて、エレナ」と耳飾りを持ちあげる。


「信じられる? これは宝石ではなく、珊瑚なのですって!」


 珊瑚といえば海の中にある、鶏ほどの大きさをした歪な木のような生物だと本でみた。

 まさかあれが、こんなにも艶々と美しく深みのある光沢を放つなんて……!


『これまで鳥の羽や動物の骨、植物の一部なんかで造られた装飾品を王室に献上したことがあるけれど、どれも大して流行りはしなかった。結局は宝石に勝るものはないと考えているようでね』


『だからこそこの珊瑚は、彼らの心を揺さぶると思うんだ。"美しい石はもれなく宝石である"と思い込んでいる彼らの価値観が砕かれるその瞬間が、今から楽しみだよ』


『だから、シャロン。この"美しい赤"の秘密がお披露目される前に知られることのないよう、くれぐれも秘密にね』


 いたずらを画策する少年のような内容に、思わず「ふふ」と笑みが漏れる。


「エレナ。この"宝石"のことは、まだ誰にも秘密だそうよ」


「承知いたしました」


 恭しく頭を下げたエレナが、数秒の間を置いて「シャロン様」と名前を呼ぶ。


「先ほどの、どのようなお顔で旦那様をお出迎えすべきかというお話についてですが」


「何かいい案が思い浮かんだの?」


「今のようなお顔で迎えられれば、旦那様はたいそうお喜びになるかと存じます」


「……へ?」


 今のような顔って、私、特別な表情などしていなかったのだけれど。

 疑問に小首を傾げると、シャロンは表情を崩さぬまま、


「どんなに美しい淑女でも、"恋する乙女"に勝る愛らしさはありませんから」


「……もう、エレナったら!」


 "恋する乙女"だなんて、私がいったいどんな顔をしているというの?

 知りたいような、知りたくないような……。

 どうかこの珊瑚のように真っ赤ではありませんようにと、熱くなる頬を両手で隠すことしか出来なかった。

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