第4話"幽霊男爵"夫人への依頼
「あの、サールマン伯爵」
ふと思い当たった懸念におそるおそる声をかけると、彼は「どうぞ、二コラとお呼びください」と笑んでくれる。
相手方から申し出があれば、特別な理由がない限り受けるのがマナー。
私は「ありがとうございます。私のこともシャロンとお呼びください」と告げてから、「二コラ様、ひとつお尋ねしたいのですが」と仕切り直し、
「どうして我が家に依頼を……? その、私がいうのもなんですが、当家はあまり周囲に良い印象を持たれていないようですから……」
もしかしたら二コラ様は、"幽霊男爵"や"おせっかい夫人"の噂をご存じないのかもしれない。
けれどもそんな私の心配は、苦笑を浮かべた二コラ様の一言にかき消される。
「ラスティ夫人に薦められたのです。クーパー男爵のご夫人は、"困った"と口にする人に親切を尽くさねば気が済まない性格のようなので、訪ねれば必ず手をお貸しくださるだろうと」
「……なるほど」
つまるところ、"おせっかい"な私なら喜んで協力してくれるはずってことね。
と、二コラ様は「それに」と開いた自身の膝の間で両手を組み、
「失礼ながら、"幽霊男爵"と噂される方の奥様ならば、理解があるかのではないかと思いまして」
「理解?」
含みのある言い回しに、興味をくすぐられた私は二コラ様の顔を見つめる。
二コラ様はやはり言葉に迷ったようにされたけれど、それから意を決したように、両膝に置いた手をぐっと握りしめた。
「絵が、泣いているのです」
「……はい?」
***
二コラ様の訪問があった翌日、私はクーパー家の庭師であるトーマスを連れて、二コラ様の別邸に赴いた。
伯爵家の別邸だというのでお部屋がずらっと並んだカントリー・ハウスを想像していたのだけれど、実際はクーパー邸と似たレンガ造りのお屋敷で、一気に緊張が解れる。
正面と側面、二方向を向いた三角屋根からは細長い煙突が伸びていて、屋敷も園庭も、クーパー邸よりもこじんまりとしている。
たしかにこの広さなら、庭師は一人でも事足りそう。
「ごめんなさい、トーマス。私の我儘に付き合わせてしまって」
お父様と近しい年齢だからか、草木に慣れ親しんだ者としてのシンパシーを感じるからか。
トーマスはクーパー邸に嫁いだ当初から気軽に話せる、貴重なお喋り仲間でもある。
今回の件を最初に相談したリックに「奥様のなさりたいようにされるのが一番にございます」というお墨付きをもらった私は、悩んだ末にトーマスを呼び、事情を説明した。
二コラ様の庭師が泣いて拒否している庭の手入れをお願いしたい。
詳しい事情は行ってみないと分からないけれど、どうにも"幽霊"が関係しているようなの。
さすがに嫌がられるかしらと思ったけれど、トーマスの返事はあっけらかんとしたものだった。
『いいっすよ。奥様がお望みなんでしたら、行きやしょう。それに、お忘れかもしれませんが、俺だって"幽霊男爵"の庭師っすよ』
……言われてみればそうだわ!
トーマスにはしっかり「まんまと"アップルパイ夫人"の思惑通りってやつっすね」とからかわれてしまったけれど、自覚があるので返す言葉もない。
だって、絵が泣いたというのよ?
そんなの、気になって仕方ないじゃない……っ!
道具は慣れたものを使いたいからと、荷馬車で運んできた剪定鋏などを身に着けながら、眼前のトーマスがにかっと笑う。
「気にしないでくださせえ。他家の、しかも伯爵家の庭を堂々といじれるなんて、滅多にない機会っすよ。せっかくなんでお上品な庭ってのを学ばせてもらいます。俺のは独学に近いんで」
トーマスは「に、しても」と皮の手袋をはめながら、
「奥様は平気なんすか? いくらエレナさんが一緒だとはいえ、荷馬車に乗ってくるなんて。身体が痛くなってやしないっすか?」
「ふふ、問題ないわ。実家では馬車よりも荷馬車に乗ることの方が多かったもの。久しぶりに乗れて楽しいわ。ね、エレナ」
「私はシャロン様のご意志に従うまでです」
慇懃に述べるエレナに「もう、エレナだって懐かしかったでしょ?」と頬を膨らませると、トーマスがおかしそうにくっくっと笑う。
「喜んで荷馬車に乗る"奥様"たあ、似た者夫婦ってやつですかねえ」
「え? もしかして、エイベル様も荷馬車に乗るの?」
「おっと、いけね」
トーマスは慌てたように両手を上げて、
「俺からネタばらししちゃあ、旦那様にどやされるってもんでした。この件は旦那様には内緒でおねがいします。さて、余計なことを喋る前に、さっそく始めさせてもらいやすね」
「あ、ちょっとトーマス!」
片手で軽く帽子を上げたトーマスは、そそくさと庭を進んで行ってしまう。
せっかく謎に包まれたエイベル様の情報を手に入れるチャンスだったのに。
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