第3話伯爵様のご訪問

「ねえ、エレナ。エイベル様は、どうして私に求婚してくださったのかしら」


 小さい頃から両親には『エレナの金の髪は輝く王冠。どんな宝石よりも美しいエメラルドの瞳。可愛らしい、我が家の大切なお姫様』と言われてきたけれど。

 その言葉が親から我が子への愛情なのだとわからないほど、幼くはない。


 ……せめて、周囲に自慢できるほどの美貌を持っていたのなら、少しはお役に立てたのかしら。


 生家よりも首都に近い、とはいえ穏やかな郊外の、緑と花々に囲まれたクーパー邸。

 お屋敷の素晴らしさはもちろんながら、執事のリックをはじめとする使用人は皆が親切で、だからこそちっとも貴族らしく振舞えない自分が申し訳なくなる。


 エレナは恭しい手つきで私の手から夫人の手紙をそっと引き抜くと、ティーカップに紅茶を注ぎ足した。


「それは、旦那様にお会いになられてから、直接お尋ねくださいませ」


「……そうね」


 クーパー男爵夫人となってから、もうすぐ一年。

 私はまだ、夫であるエイベル様とは一度もお会いしたことがない。


 なにか理由があっての、不本意な結婚。私自身に興味はないからと、意図的に避けられているのではないかと考えたこともあったけれど。

 国外で仕事に励むエイベル様から届く手紙には、いつだって私への温かな気遣いが綴られていて。


『急な結婚を申し出たのはこちらだというのに、迎えどころか挨拶も出来ずに申し訳ない。本当ならば直接キミの元を訪れ、花束を手に膝をついて求婚すべきだったのに』


『言い訳になり申し訳ないが、どうしても今切り上げるわけにはいかないんだ。不誠実なのは承知しているが、しばらく待っていてほしい』


『なによりも、キミがキミらしく過ごせることを祈っているよ』


 筆跡はいつだって丁寧で、必ず私が見たこともないような素晴らしい贈り物も添えられている。

 こんなにもよくしてくれる方が私を疎み、避けているとは思えない。


 リックの話では、元々仕事が大好きなエイベル様は、これまでも他国に滞在してばかりでほとんど屋敷に帰って来なかったという。


 屋敷も使用人も揃っているのに、まったく姿を見せない主人。

 更にはエイベル様が世界各国から集めてきた"コレクション"の噂も加わり、エイベル様は社交界で"幽霊男爵"と囁かれている。


 そして、また。嫁いできた私も飛ぶ鳥を落とす勢いで重ねた数々の"失態"を揶揄され、巷では"幽霊男爵のおせっかい夫人"と呼ばれるようになってしまった。


***


 エレナを連れ、数種の薔薇が咲き誇る庭園を散歩していた最中。


「奥様。お散歩中のところ、申し訳ありません」


 声をかけてきたのは執事のリック。

 ほとんど不在なエイベル様に代わり、彼がクーパー邸を取りまとめている。


 白髪交じりの茶褐色の髪はいつも乱れなく整えられていて、穏やかなミモザ色の瞳が吊り上がるところは一度も見たことがない。

 それは貴族のマナーすらあやふやな私に、"奥様"としての在り方を指南してくれる時でさえ。


「奥様に、ご来客でございます」


「私に?」


 まさか、また知らずのうちに何かやらかしてしまったのかしら。

 焦りに頬を引きつらせながら、足早に応接間へと向う。


 そういえば、リックは誰が来たとは言わなかった。

 私の"おせっかい"の被害者ならば、早々に名乗りそうなものだけれど。


 辿り着いた応接間の扉前で、深呼吸をひとつ。

 気合いを充分にためて、ここ一年で身に着けた"クーパー男爵夫人"の顔で入室する。


「お待たせ致しまして申し訳ございません。エイベル・クーパーが妻、シャロンにございます」


 低頭した私に、ソファーに腰かけていた紳士が立ち上がる。


「こちらこそ、前触れもなく突然お尋ねして申し訳ございません。サールマン伯爵家が当主、二コラと申します」


 ……聞いたことのないお名前だわ。

 果実を思わせる橙色の髪も、二十を超えたくらいに見える少し自信無げなお顔も、私の記憶にはない。

 戸惑う私に気が付いたのか、彼は藍色の瞳を緩めて「初めてお目にかかります」と付け足した。


 よかった、記憶違いではないみたい。

 私は安堵に微笑んで、「お座りください」と着席を促す。


 怒っている……雰囲気はない。となると、私の被害者というわけではないようだけれど……。

 彼が腰を下ろしたのを見計らって、「本日は、どのようなご用件でしょうか」と尋ねてみる。

 と、彼はひどく思いつめた様相で「庭師をお借りしたいのです」と切り出した。


 庭師。面食らった私に、サールマン伯爵は簡単にご自身のことを話してくれた。

 彼は当主としては若い二十三歳で、クーパー邸から馬車で数十分ほどの所に別邸を構えているのだそう。


 それならば、と私はますます首を傾げる。

 領地でもない場所に別邸を持つほどの伯爵家ならば、専属の庭師がいるはず。


 病気の類かしら。いいえ、それならば治癒を待つか、新しい庭師を雇って連れて来ればいいだけだもの。

 わざわざ面識もない"幽霊男爵"の屋敷を訪ねてきて、庭師を借りたいだなんて……。

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