第2話没落回避のための結婚だったけれど

『お父様、お知り合いだったの?』


 お父様はなんとか必死に過去を思い出そうとしているのか、しばらく難しい顔をしていたけれど、


『いいや。昔、王女の生誕を祝うパーティーでザクリア商会長と挨拶をしたことはあったけれど、クーパー男爵とは面識はないはずだ』


 急ぎ手紙に目を通したお父様は、「なんだって」と顔を青くした。

 書かれていたのは、私への求婚。この結婚を認めてくれたなら、借金を全て肩代わりしてくれるという。

 内容を知った私は、すぐに頷いた。


『お父様、お母様。私、クーパー男爵と結婚いたします』


 両親は真っ青な顔で反対した。

 ろくに素性もわからない男に、大切なシャロンを身売りさせるなんてと。


 幸い、農耕の知識はある。

 私達が必死に働けばきっとなんとかなるはずだから早まらないでほしいと涙を零す姿に、二人の愛を感じて、私はますます心を決めた。


『平気よ、お父様、お母様。だって"貴族の娘"というのは、よく知らない男性に嫁ぐのが"普通"なのでしょう? これまでが、普通ではなかっただけだわ』


 それに、私には予感があった。

 面識もない、おまけに国外に滞在中だという彼のところにまで話が伝わっているのならば、我が家の事情はとっくに社交界に知れ渡っているはず。


 それでも手助けを申し出てくれたのは、この一通の手紙のみ。


 まったく令嬢らしくない、年頃になっても縁談のひとつも届かない私なんかを引き取ってくれて、更には家族も助けてくれるなんて。

 きっと、彼はとても優しい人なのだろう、と。


「駄目ね、私。"クーパー男爵夫人"として上手くやらなければいけないのに、せっかく誘われたお茶会のひとつも満足にこなせないなんて」


 結婚の承諾をしたためた直後、我が家の借金は即座にエイベル様によって支払われた。

 おまけにエイベル様が雇い入れたという使用人を二名も派遣してくれたばかりか、弟のテッドには、週に二度ほど家庭教師を通わせてくれている。


 感謝してもしきれないほどの御恩に、少しでも報いたい。

 そんな想いから、"クーパー男爵夫人"となってからというものの、慣れないお茶会にも積極的に顔を出すようにしていたのだけれど。


 ある時は、ペットのワンちゃんに付けていた特注のリボンが無くなってしまったのだと涙を滲ませるご令嬢に心打たれ、同じ仕立て屋にまったく同じデザインのリボンを発注して届けたら、「いらないわ」と怒り気味に返されてしまった。


 どうやらその仕立て屋は、予約をするにも難しいお店だったらしく。

 にもかかわらず、私の注文が"特例"として早急に仕立ててもらえたのは、ひとえに私が"クーパー男爵夫人"だったから。


 またある時は、夏の避暑に来たというご令嬢がなんとも儚げに、しばらく婚約者と会えなくて寂しいわ。彼が突然この地に現れてくれたならどんなに嬉しいかと語るので、そのご婚約者様とやらに密かに手紙を出した。


 彼女が恋しがっている。そう聞きつけた彼がすぐに意気揚々とやってきたと知って、ご令嬢はさぞ喜んでいるだろうと満足していたのだけれど。

 ご令嬢が我が家の門を叩いたのは、それから一週間後のこと。


 どうやらご令嬢は、密かに想い合っていた使用人の青年とささやかなひと時を過ごす予定だったらしく、「あんたのせいで台無しよ!」と恨みがましそうな目で睨まれ泣かれてしまった。


 全て、よかれと思って。

 少しでも力になれたらと思ってしたことなのに、真逆の結果となってしまう。

 そして、今回も。


「エイベル様は、不出来な妻を迎えてしまったと、呆れられるでしょうね」


「どうでしょうか」


 エレナは淡々とした口調で、


「私の記憶が正しければ、旦那様はシャロン様宛てのお手紙に、"好きにしていてくれて構わないよ"としか記されておりませんでした。社交に精を出せとはただの一度も記されておりません」


「それは、そうだけれど……」


「シャロン様。執事のリック様より、旦那様のお望みは、シャロン様が健やかに日々を送られることだと聞いております。もとより旦那様も社交の場にはほとんど顔をお出しにならないとのことでしたし、シャロン様が無理をなさらずとも、旦那様はお気になさらないのではないでしょうか」


 毅然と述べるエレナに、私はぱちくりと瞬いてから「ふふ」と笑みを零す。


「エレナが一緒に来てくれて、本当に良かったわ。"普通"の侍女ならば、もっと女主人としての自覚をもって社交すべきだって叱るでしょうから」


 エレナはちょっとだけ、面食らったような顔をした。

 それから照れたようにして僅かに頬を染め、深く息をつく。


「"普通"の考えでは、シャロン様の侍女は勤まりませんかと」


 エレナは私が七つの時に、我が家にやってきた。

 確か、あの時エレナは二十二歳だったはず。


 裕福ではないがゆえに、雇ったとしてもあまり給金はだしてやれないと告げたお父様に、真っ黒な服に身を包んだエレナは背筋を伸ばしたまま、


『寝る場所と、飢えをしのげるだけの食糧を分け与えてくだされば、給金は必要ありません』


 あれから十一年も過ぎてしまったけれど、いったいエレナがどこから来て、どんな事情で我が家の門を叩いたのか、私は知らない。

 私にとってのエレナは今も昔も頼れる存在で、心安らぐ、大切な人。

 それで充分だから。

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