第12話溶けないチーズと思い込み
アネットとディーンが、再び顔を見合わせる。
それからアネットはもう一度私に抱き着いて、
「もー、奥様。こんなに純粋では心配でたまりません! もしも旦那様が熊のように粗暴な大男だったらどうされるおつもりなんです? わたくしがしっかりお守りいたしますね!」
「奥様、おれ、料理だけじゃなくって、護衛術ももっとちゃんと覚えるね……!」
「熊に、護衛術……? エイベル様は熊のように大きくてお強い方なの?」
「さっ、奥様。エレナさんのお戻りまでまだまだ時間がかかりますでしょうから、今はたっぷりとアップルパイを楽しんでくださいませ」
「おかわり……する?」
……やっぱり、エイベル様については教えてくれないのね。
あれよあれよと二人に再びアップルパイと向き合わされ、諦めた私は「そうね、いただくわ」と恥ずかしさを誤魔化すようにして再びフォークを持つ。
とにかく今はエイベル様のお帰りまでに、"泣いた絵"を解決しないと……。
うん、やっぱりこのアップルパイは最高だわ。
「奥様、新しいアップルパイ、持ってきたよ」
「ありがとう、ディーン」
気づけば空になってしまっていたお皿と、ほかほかアップルパイが乗ったお皿が交換される。
やっぱりこの焼かれたチーズの香りがたまらないわ……!
ナイフでパリッと割れるそれは、口内でもサクサクと食感が楽しい。
「それにしても、本当に驚きだわ。チーズは熱が加わると溶けるものなのに、こんなにサクサクだなんて……ん?」
過った違和感に、ふと手を止める。
「奥様? は! もしかして火傷を……っ!? いますぐお水をお持ちしますわ!」
「ごっ、ごめんなさい奥様! もう冷めてきてるかと思って……っ」
「いえ、大丈夫よアネット! ディーン! アップルパイのことじゃなくて……いま、何か思いつきそうに」
――熱が加わると、溶ける。
「アップルパイ……リンゴ。そう、リンゴの木が、折れた」
リンゴの木が折れて、泣いた。泣いた……溶けた。
刹那、エイベル様から贈られた、真っ赤な耳飾りが脳裏に浮かぶ。
「"美しい石はもれなく宝石である"」
エイベル様の手紙に書かれていた文言。
「宝石のようで宝石ではない。思い込み……先入観」
陰った部屋。溶けた絵。
折れたリンゴの木。
小屋で描かれ、門外不出だった絵に、"その手で燃やしてほしい"との遺言。
「……まさか。でも、これなら……!」
私は興奮気味に「アネット、お願いがあるの」と彼女を見遣り、
「食べ終わったら、"おもちゃ部屋"に行ってもいいかしら?」
途端、アネットはピッと姿勢を正し、"幽霊男爵"邸のメイドらしくしたたかな笑みを浮かべた。
「奥様がお望みとあれば、もちろんにございます」
***
しとしとと降り続いた雨があがった翌日。私はトーマスに頼み、急ぎ早朝に手紙を届けてもらった。
宛先は二コラ様。どうか今日一日は"泣いた絵"のあるパーラーは締め切ったままにして、明日まで誰も入らないでほしいというもの。
二コラ様からの返事は早かった。
トーマスいわく、その場ですぐにしたためてくれたそう。
『承知しました。必ず守ると、お約束致します』
了承を返してくれた内容にほっと息をついて、すっかり高くなった太陽の日差しを浴びながら、昨晩リックに頼んだ調査の報告書に目を通す。
エイベル様と昔から懇意にしているという画家の方が、優しい方でよかった。
なにより、嫌な顔ひとつせず手配してくれたリックには、感謝してもし足りない。
「ごめんなさい、リック。こんな急に、無理なお願いをしてしまって」
「奥様のお望みとあらば、最善を尽くさせていただくまでにございます。して、お望みの内容は届きましたでしょうか」
「ええ、とても助かったわ。本当にありがとう。あとは……祈るのみね」
どうか、希望が見えますように。
そうしてじりじりとした気持ちを抱えながら過ごした、翌日。
日が高くなってから赴いた私とエレナ、そしてトーマスを迎え入れてくれた二コラ様もまた、期待と不安をないまぜにしたような面持ちをしていた。
「もしかして、何かわかったのですか」
私は「あくまで、可能性のひとつですが」と頷き、
「お母様の絵を、拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
挨拶もそこそこに、私達はパーラーへと向かう。
「昨日、シャロン夫人からの手紙を受け取ってから、ドアは開けていません」
「ありがとうございます、二コラ様。……お願い致します」
緊張の面持ちで頷いた二コラ様によって、扉が開かれる。
途端、雨上がりの翌日にも換気を行わなかったからか、もわっとした空気が逃げ出してきた。
想定通り。
どうか、どうか上手くいって……!
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