筋肉は嘘をつかない・2

 夜10時。

 私は白い秋田犬のハチと共に、とある工場に身を潜めていた。表に『岩井工場』と看板があるが半分以上剥がれかけている。いわゆるここは廃工場だ。

 ここに来た理由はただひとつ。

小出こいでのやつ、ちゃんと来るかな」

 しばらく待っていると、工場内に声を響かせながら複数の足音がやってきた。昼間のドラッグストアにいた高校生男子たち4人だ。

 この場所がどうやら正解だったなと、私はひとまず安堵する。

 ほどなくすると小出少年が気の進まない足取りで4人の元へやってきた。リーダー格の少年が「金を出せ」と右手を差し出してくる。

 言質げんちも取れたので、私はハチと共に物陰から歩み出た。

「おいお前ら。その辺にしておけ」

 私の声は予想外だっただろう。少年たちはびくりと肩を揺らすと、いっせいに振り返ってくる。

「なんだ、このオッサン」

「俺らの邪魔すんじゃねーよ」

 4人組はイキってにらんできたが私もまだ散歩の途中、なるべく手短に終わらせたい。

 まずは彼らの罪状について説明する。

「お前らの行為は刑法249条の恐喝罪に当たる。仮に小出少年から金品を強奪しなかったとしても、刑法250条の恐喝未遂罪に当たるから覚悟しておけ」

 いきなり法律の話を出されて、彼らは慌て出す。

「もしかして、こいつ警察⁈」

「小出お前チクりやがったな!」

「え、お、俺はなにも!」

 濡れ衣を着せられた小出少年は慌てて首を横に振った。

「けどこっちは4人、相手はしょぼいオッサンだ! ボコッちまえば問題ねえよな!」

 高校生たちはいっせいに飛びかかってきた。まだ親に保護される年齢とはいえ、身体はすでに大人に近い。大柄の体躯たいくで殴りかかってくる。

 私は冷静に1人目のストレートな拳をかわした。

 相手が空振りで体勢を崩して前のめりになったところで背中にどんと衝撃を与える。腎臓がある辺りはいわゆる急所だ。強い衝撃を与えられると激痛が走る。少年はカエルが潰れたような声をあげるとその場にうずくまった。

 間髪入れずに2人目が拳をつき出してくる。

 その腕を掴んでぐいとひっぱると、すかさず大腿部に膝蹴りを入れた。ここも急所のひとつで、蹴られるとしばらく立てなくなる。

 沈んでしまった2人の後ろから、3人目の巨漢が鉄パイプを振り上げてきた。肩口に手刀を振り下ろして腕を動かなくさせると、回り込んで首の後ろにも強打を入れた。相手は気を失ってその場に倒れ込む。

 そうしてリーダー格の少年が1人取り残された。

「チッ」

 残された少年は短く舌打ちをすると、途端にきびすを返して走り出す。逃げるが勝ちというわけか。

 しかし逃がすつもりはない。

「ハチ! GOだ!」

 傍らに待機させていたハチのリードをほどくと、ハチはキラキラと目を輝かせた。それから嬉しそうに少年に向かって走り出す。遊んでもらっていると勘違いしているようだ。

 私自身も走り出した。ここしばらく犬の散歩ついでにランニングをしておいて良かった。しっかし摂取していたプロテインが身体の隅々に染み渡っている。筋肉の躍動を感じながら、私は積み上げられた鉄骨を飛び越えた。

 少年が犬に気を取られている隙に、彼とは違うルートで唯一の出入口を目指す。

 先回りに成功したところで少年が目の前に現れた。

「ハチ、ストップ!」

 少年の後ろから追いかけてきたハチに号令を掛けると、彼はぴしっと制止した。大型犬を飼うにはきちんとしたしつけが必要だ。ハチのトレーニングされた動きに思わず感心する。

 などと一息ついたところで、私は少年に向き直る。

「さて。そろそろ観念したかな」

「ふざけんな!」

 すると彼は隠し持っていたナイフを振り上げてきた。追い詰められて自棄やけになったか。

 しかし太刀筋の定まらない腕の動きを見極めるのは容易だ。振り下ろされた腕をすいと避けると、手首に打撃を加えてナイフをたたき落とす。それから背中に肘鉄をくらわせた。

 少年はむせ込みながらその場にひざまづく。 

「刃物はさすがにダメだろ」

 私はため息をつきながら少年の腕を掴んで引き上げると、残りの3人の元へ連れて行く。そしてまた旧友、花里なさと宗太郎そうたろうへと電話を入れるのだった。


 警察から事情を聞かれた後、私は小出少年とハチの3人で帰路についた。

 小出少年はすぐに頭を下げてきた。

「ありがとうございました」

「お前たちの会話をちょうど聞いたから、ハチの散歩のついでだ。ばあちゃんにはちゃんと謝るんだぞ」

「はい」

 小出少年は素直にうなずく。

「そうだ、小出くんに聞きたいことがあったんだ」

「聞きたいこと?」

「トモエについてだ」

 そう、少年たちが待ち合わせ場所に指定したトモエだ。

 店の名前でも人名でもないだろうと考えた私は、ほかにトモエと呼ばれるものについて連想した。

 まずは神社や寺の瓦に描かれたり、家紋などに使われる勾玉のような模様。あの模様を『ともえ』という。その文字からさらに柔道の巴投げや三つ巴——三すくみを連想した。

「あれから近所を見てまわったが巴を掲げた神社や寺はなかった。柔道に関するものもなかった。代わりに、三すくみに関連するものを見つけた。薬局の前にあるカエルの置物と、は虫類専門のペットショップに掲げられたヘビの看板だ。でも、どうしてもあとひとつが見つからない」

「ああ」

 小出少年は何か思い当たったのだろう、短く声を上げる。

「君もここにきたと言うことは、トモエとは三すくみに関連するもので正解なんだろう? 彼らは『トモエの北』と言っていたから、見つけた2つのヒントのうち北に位置するペットショップの北にあるこの廃工場に目星をつけたが……」

「もうひとつのナメクジが見つからないんですよね?」

「そう」

「あれは分からないのも当然です」

 少年はそう前置くと言葉を続けた。

「俺の家の近くのビル、解体工事のシートがかかってるでしょ? あの『波口なみぐち建設』って書かれた」

「……まさか」

「そう、波口を言い間違えてナメクジって読んだやつがいるんですよ。それを面白がってナメクジって言い出したのが始まりで、そこからカエルとヘビを探し出してきて勝手に『巴の陣』とか呼んでたんですよ」

「縁起がいいってのは?」

「ここが岩井工場……つまり『祝い』だから……」

「俺の親父ギャグよりやばいじゃないか……」

 私は半ば呆れながらため息をつく。

「それにしてもおじさんすごいですね。あいつら結構強いのに。喧嘩も強いし足も速いし」

「あれは喧嘩じゃなくて護身術。足が速いのも筋肉を鍛えているお陰だ。鍛えた分だけ正しく結果が出ただけの話だ」

「筋肉かあ」

 小出少年はしみじみと呟いた。彼ももしかしたら明日からトレーニングを始めるかもしれない。

 ちから・イズ・パワー。

 筋肉は嘘をつかないのである。

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筋肉は嘘をつかない 四葉みつ @mitsu_32

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