筋肉は嘘をつかない

四葉みつ

筋肉は嘘をつかない・1

 私は今、走っている。

 私の名前は日向寺ひゅうがじたつき、職業は探偵。といっても主に舞い込んでくる仕事は犬探し。

 ならば今その犬を追っているのかといえばそうではない。確かに今も犬に関連する仕事中ではあるが、捜索中ではなく『散歩中』だ。

 もふもふとした白い秋田犬が私の前を先導して、楽しげに走っている。

 かと思えば、立ち止まって薬局前のカエルの置物の台座をくんくんと嗅ぎ出した。私はすかさず水の入ったペットボトルを取り出す。マーキングをしたあとに水で流すのは、都会で犬の散歩をする上でのマナーだろう。

 秋田犬は日本の犬の中では唯一の大型犬だ。大きいものでは体重が50キロもあり、体高も70センチ近い。江戸時代のころは闘犬として活躍していたらしいが、この力強さと大きさなら頷ける。

 高校時代に運動部に所属しておいてよかったなあとしみじみ思いながら、私はようやく目的地へと到着した。

 この秋田犬が飼われている家だ。

小出こいでさーん、ただいま戻りましたー」

 とある一軒家の玄関先で声を掛けると、奥から「あらあら」と言いながら年配の女性が現れる。

「日向寺さん、いつもありがとうねえ」

「ちょうどいいトレーニングになりますよ。なあハチ」

 名前を呼びながら秋田犬の頭をわしゃわしゃと撫でると、彼は楽しげにわふと鳴いた。

「本当はいつも息子が散歩に連れて行ってくれるんだけど仕事が大変みたいでねえ。私だとこの子の早さについて行けないでしょ。困ってたから助かるわあ」

「仕事ですからお気になさらず。また今晩も伺いますね。そういえばそこのビル取り壊されるんですね」

「ああ、波口なみくち建設さんの養生シートがかかってるわね。解体は2ヶ月くらいで終わるそうよ」

 女性としばらく雑談を交わして日当をいただくと、私は事務所へと帰路に就く。

 さっきは「仕事ですから」と返答したが、事実、仕事なのだ。

 犬探しのついでに犬の散歩も請け負いますと触れ回っていたら、本当に散歩の仕事が舞い込んできた。本業からは少しそれてしまうが、食いつなぐためには背に腹は代えられない。

 小出さんのところのハチの散歩はここ2週間ほどの日課だ。息子の仕事が忙しいらしく、帰りが遅くて散歩に出られないらしい。

 秋田犬は身体が大きいぶんしっかり運動をさせないとストレスがたまってしまう。1日2回の散歩が必須らしい。そこで私に白羽の矢がたったというわけだ。宣伝しておいて良かった。

 事務所への帰り道にドラッグストアがあるので、寄り道してプロテインを買っていく。

 過去、運動部に所属していたといっても20年以上も前の話だ。当然筋肉量は落ちているし食生活が管理できているわけでもないので、こういうものでタンパク質を補う必要がある。

 商品が並ぶ棚でプロテインの箱を手に取って栄養成分表示を見比べていると、ふと周囲の会話が耳に入ってきた。

 特にこそこそと小さな声での会話は、なおさら耳をそばだててしまう。もはや職業病に近い。

「今日こそ持って来いよ」

「でも……やっぱり難しいよ」

 声の若さからすると中学生か高校生といったところか。棚の向こうで何やら画策中のようだ。少年が抵抗した様子を見せると、別の2人の男子が反論した。

「難しいことはないだろ」

「小出の家、今ばーさんしかいねえんだろ?」

 小出……?

 その聞き覚えのある名字に、私は微かに眉根を寄せる。

「昼間はばあちゃんひとりだけど、夜は流石に父さんも帰ってくるよ。夜10時すぎて外出なんて、絶対に怪しまれるに決まってる」

「だからこっそり抜け出てこいって言ってんだよ。玄関から出なくても、部屋の窓から出られるだろうが」

「でも俺の部屋は2階で……」

「まずは1万でいい。絶対に持って来い」

「やっべ、100日続いたら100万ってこと?」

「オレオレ詐欺よりぬるゲーじゃん」

 ぬるいことはないだろう。3ヶ月強も財布から金を抜き続けたらいくらなんでも気づかれる。

 会話からして完全に恐喝だが、今出て行ったところで抑止力は一瞬しか働かない。別の日に改めて実行されてしまうだろう。こういうのは現行犯で捕らえるのが一番だ。

「じゃあ夜10時にトモエの北な」

「お前トモエ好きだなー」

「縁起良さそうでいいだろ」

 男子は集合場所を指定してきたが、名前に聞き覚えがない。これがいい年した大人の会話であれば、飲み屋の名前だろうかと推測するが相手は高校生だ。

 高校生が出入りする場所なんてたかがしれているが、この近隣の定食屋やゲームセンターなどに該当する名前は聞き覚えがない。

 飲み屋ではないが、人の名前である可能性もある。しかし仮に同級生の女の子の名前だとして、その子の家を集合場所にするだろうか。日が高いうちならまだしも、夜10時に男子が3人も4人も集まってくれば、家の人もさすがに苦言を呈するはずだ。

 それに『縁起がよさそう』と言っている。社寺仏閣の可能性もあるが、近隣にトモエと呼ばれる神社も寺もない。

「来なかったらお前、明日分かってるだろうな?」

「ちょ、待って!」

 男子のうちの3人は制止の声も聞かず店を出て行ってしまった。後ろ姿をちらりと見ると高校指定バッグが見えた。近隣高校のものだ。

 年齢から考えても集合場所は生活圏内、つまりこの辺り一帯だろう。

「…………」

 私はしばらく考えあぐねていたが、よし、と顔を上げた。

 給金が発生しないのに首を突っ込んでも仕方がない。だったら今晩の散歩に備えて、ハチのおもちゃでも仕入れに行った方がまだ現実的ってものだ。

 私はレジでプロテインの代金を支払うと、ペットショップを探すべくドラッグストアを後にした。

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