ボクはピンク
葎屋敷
それはピンク
ボクはボク。名前はないよ。かなしいけれど、お母さんから名前をもらう前に、ボクは谷原っていう男に捕まったんだ。谷原はボクをお母さんから引き離して、ずっとこの部屋にボクを閉じ込めてる。
しかも、ボクだけじゃない。ボクの他にも捕まっている子はたくさんいる。みんなは諦めてるみたいだけど、ボクはどうしてもお母さんに会いたいよ。ここから逃げなきゃ。
……でも、部屋の壁は厚くて、ボクだけじゃとても脱出なんてムリ。諦めるしかないのかな? ……そんな風に思っていたある日のこと、ボクに“てんけい”ってやつが下りてきた。
“てんけい”は谷原が持ってるラジオからやってきた。谷原はこの部屋でご飯を出す時も掃除をする時も、いつもラジオを聴いてる。当然、ボクたちにも聴こえてくる。ボクが外の世界を知るたったひとつの方法だ。
ボクはご飯を食べながら、ラジオから聞こえる声に耳をすました。
「――ですから筋肉は全てを解決するわけです!」
「好きですね〜、筋トレ! でも私、運動神経悪いから、続けられる自信なくて」
「簡単なところからでいいんですよ! 例えば、腕立て伏せが出来なくても、膝をついた状態でやるとか。それか日常に運動を取り入れてみるとか。最寄りの一駅前で降りて、そこから走ったりとかは初心者でもできるでしょう? とにかく身体を動かすことが大事なんですよ。いいですよ、筋肉! 筋肉があれば、どんな壁もぶち破れます! 筋肉は嘘をつかない!」
ボクはラジオの話を聴いて、ぴーんときた。そっか、ボクに足りないのは筋肉だ!
それからボクはここから逃げるため、筋トレを始めた。みんなもボクに賛同してくれて、一緒に走ってるんだ!
谷原はボクたちを見て、「あしたしゅっかなのに」って言ってる。なんだか困ってるみたいだけど、知ったことか! ボクは高らかに叫んだ。
「コケコッコー!」
筋肉があれば、どんな壁もぶち破れるってね!
*
ある日の夕飯時、父が立ち上がって演説を始めた。
「何故鶏肉がピンク色か知ってるか?」
興味が持てないので、特に答えなかった。父は私の態度には慣れており、返事の有無にかかわらず話し続けててうるさい。
「いいか、我々が食べている鶏肉はほとんど筋肉なんだ。じゃあ、他の鳥の筋肉はすべてピンク色かといえば、それは違う。大体の鳥の筋肉は赤色なんだ。ではそれらと鶏の違いはなにか。その答えは、運動するか否かだ。筋肉にはミオグロビンという酸素と結びつき貯蔵する赤い色素が入っている。野生の鳥の肉にはこれが多い。彼らが飛ぶためのエネルギーには酸素が必要だからな。つまり、赤い筋肉は運動する証だ、素晴らしい!」
「……」
「一方、鶏は狭いところに閉じ込められる上、太らせるため運動もほぼしない! だからピンクなんだ、可哀そうに! でも、そんな彼らの尊い犠牲の果てに、我々の筋肉がある! 命が、筋肉が繋がっているんだ。自然の広大さ、食事のありがたさ! 何より、筋肉の素晴らしさを感じるだろう! さあ、菜々美も筋トレの重要性が分かったら、一緒に筋トレを――」
「あのさ」
「うん?」
「今、私鶏肉食ってんじゃん。なんで人が食ってる最中にそういう話すんの? デリカシーないの? 脳みそ筋肉まで出来てんの? 食事中くらい黙っててよね。あと、家畜で自然の広大さ語んな」
「……す、すみません」
私からの説教により、父は巨体をシュンと枯れた花のように萎ませ、大人しく席につく。そして鶏モモ肉のタルタルソースがけをチマチマと食べ始めた。
私の父は悪い人ではないが、筋肉のことになると、タンパク質だの、アミノ酸だのとうるさい。
まぁ、マッチョを売りに芸能活動している人なので、仕方ないだろう。そう自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。
私はナイフを入れた肉の断面を見ながら、
「確かにピンクだわ」
と呟いた。
ぱくりっ。うん、美味しい。
ボクはピンク 葎屋敷 @Muguraya
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