春風に影と踊る

悠井すみれ

第1話

「なんか、変わったスポーツされてます? 筋肉のつき方が、あんま見ない感じで」


 新社会人としての日々が間近に迫る、春。スーツを買いに行った店の、更衣室で。ジャケットのフィット具合を見てくれていた店員さんの言葉に、私は少し驚いた。さすがプロ、分かる人には分かるらしい。


「ええ、まあ。ちょっと珍しいかもしれません」

「え、待ってください。当てさせて」


 彼女は、接客のプロでもあるのだろう。気さくに笑うと、私の全身を眺めて目を細め、首を傾げた。


「……弓道? 背筋と、肩回りについてるから。テニスとかにしては、日に焼けてないですよねえ。体育館でやるような──卓球……新体操とか? あ、ダンス!」

「ですね。競技ダンス……社交ダンスというか、Shall Weシャルウィダンス? のやつです。大学で、部活でやってるところも結構あるんですよ」


 とても大雑把な括りながら、私は正解、ということにしてあげた。頷きながら、ホールドを張る。

 軽く曲げた右手を宙に掲げ、左手は男性リーダーにそっと添える形にする。首筋からのテンションを感じながら、ネックを引く。店員さんが変わったつき方、と評した筋肉は、踊っている間、この形を美しく保つためのもの。腕の力だけだと肩が上がってみっともないし、男性リーダーにも負担がかかってしまう。鍛えた腹筋と背筋と、側筋そっきんと俗に呼ぶ脇腹の筋肉に意識で、ホールドを支えながら踊るのだ。


「わあ、素敵……!」


 学生時代を捧げただけあって、それなりの形にはなっているだろう。それこそ筋トレのハードさも、そこらの体育会系部活に負けていないはず。そのおかげがあってか、店員さんはまんざらお世辞でもなさそうにはしゃいだ声を上げてくれた。──私の胸には、じわりと痛みを伴う自嘲が広がるけれど。


 大して試合も出ていないのに。男性リーダーと組んでいない、シャドーに過ぎないのに。ダンスをやっています、なんて言えるのかどうか。


 シャドー──学生競技ダンスにおいて、カップルになっていない者のことをそう呼ぶ。男女のカップルでなければ成立しない競技である以上、そして試合には固定のカップルで出場する以上、あぶれる者はどうしようもなく出てくる。相手がいない、ひとりでシャドーと踊ることしかできない、私のような。

 後輩の指導や試合の補助、練習会の運営に同期の相談に──できることはあるから最後まで続けたけれど。


「社会人になっても続けるんですか?」

「どうでしょう……相手を見つけるのが大変なので」


 その気になればいくらでも道はある。それは承知で、それでも私はそうしないだろう、と思った。踊ること自体だけではなくて、応援してもらって試合に出る、結果に皆と一喜一憂する──そんな中に、もう少し踏み込んだ形で関わりたかった、というのが本音なのかもしれない。


「もったいないですね。身体、仕上がってるのに」

「そう、かもですねえ」


 楽しいだけではない思い出の数々をぐっと飲み込んで、私は笑って相槌を打った。まあ、それでも。総括すれば楽しい時間だっただろう。初見の他人に言い当てられるくらいの筋肉、それはちょっと自慢しても良いかもしれない。


 精算を終えて店を出ると、ちょうど良く辺りには人がいなかった。これなら、少しくらいは。スニーカーの足を、ヒールから踏み出す。足裏全体でアスファルトを掴んで、ナチュラルターン。舞い落ちる桜の花びらを散らして、ささやかにワルツを踊る。相手がいない私だからこそ、影を相手に気儘に踊っても良いはずだ。

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春風に影と踊る 悠井すみれ @Veilchen

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