べとべと

ナツメ

べとべと

 月子つきこは、名の通りに月明かりを好む。

 よく、夜に一人で散歩に出る。今はこの辺りにも街灯があるのだから、そう怖くもない。

 カラ、カラとひそやかな下駄の音をさせて月子は歩く。今宵の月はごく細く、ぬいぐるみにじゃれついた猫の爪のようだと月子は思う。

 そうして歩いていると、背後から、ひた、ひたと、草履ぞうりの音が追いかけてくる。

 カラ、カラ。

 ひた、ひた。

 月子の歩く一拍あとに、誰かの足音が重なる。

 ――こんばんは。

 と、振り返らずに月子は声を掛ける。

 ――り、その方がいいわ。

 カラ、カラ。

 ――あんなふうに真っ正面から来られちゃったら、あたしだって頭に血が昇っちゃう。そうして後ろを歩いてるくらいが丁度好いのよ。

 ひた、ひた。

 ――それに、あたしのことなんてスッカリ忘れちゃったような顔してさ。あんたは自分の世界に夢中。昔っからそう。

 カラ、カラ。

 ――あたしを置いて死んじゃったくせに、本当に自分勝手ね。

 ひた、ひた。

 ――でも、もっと可哀想なのは姉さんだわ。あんたが居なくなって、あたしまで死んじゃうんじゃないかって。自分のことを全部放っぽって、あたしの面倒を見てくれた。

 カラ、カラ。

 ――知ってるでしょ、姉さん、結婚するはずだった。

 ひた、ひた。

 ――あの人、いまだにあたしのことすっごく心配するのよ。もう三十五の年増だってのに、まるで十六の娘みたいに。

 カラ、カラ。

 ――本当はこうやって夜出歩くのだっていい顔しないんだ。だからこっそり抜け出してきているのよ。

 ひた、ひた。

 ――それに気付かない振りをしてくれているの。優しくて、可愛いひとよ。

 カラ、カラ。

 ――じゃじゃ馬だったあたしと違って、姉さんはずっと大人しくて、じいさんにたれても謝るばっかり。

 ひた、ひた。

 ――その姉さんがあたしを守ってくれた。だからあたしもあのひとを大事にするの。あたしたち、二人っきりの姉妹なんだから。

 カラ、カラ。

 ――あんたはそうやって、いつまでも未練がましくあたしの跡を追っていればいいわ。追ってくるあんたを振り返らないことで、あたしは今のあたしで居られるんだ。

 ひた、ひた。

 穏やかに微笑んだまま、月子はそう語りかける。

 月子は本当は知っている。ひたひたと追ってくる足音が、死んだ自分の想い人でないことくらい。

 そんなことはどうでも良かった。只、カラカラ、ひたひたと二つの足音が重なって、月夜の闇に溶けてゆく。

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