安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 時々、意味もなく、深夜に散歩に出掛けることがある。


 特に、酷く降った雨が上がった後には。


 気ままに出掛けるから、行き先は特に決めてはいない。でも、何となく繁華な場所へ出向くことが多い。


 鏡のようになった水たまりに、派手な電光装飾が反射して、とても綺麗で。まるで世界と世界の狭間に立っているような気持ちになるから。


 日付変更線を回って少し経った頃に雨が上がった。そのことをしばらくしてから知った私は、寝付けない夜を潰すために今日もフラリと外へ出る。


 傘はもういらない。電線から落ちかかる雫は、上に羽織ったパーカーのフードで十分に防げるだろう。


 私は手ぶらで、スマホもサイフも持たないまま、フラリと足を繁華街の方へ向けた。パシャリ、パシャリと、足元から小さく水音が上がる。幾つも形作られた水溜りはきっと、明日の朝には消えてしまうだろう。そんな浅い水溜りでも、色とりどりの光を跳ね返してキラキラと周囲を照らす。


 そんな光景の先に。


 は、立っていた。


 その光景に気付いた瞬間、私は思わず足を止めていた。


 電光が落とす色とりどりの光と、その光によって際立つ闇。深い藍色の着物と、白い帯。そんな上品な格好をしていながら、彼女が差し掛けているのは安っぽいビニール傘だった。透明なビニール傘の下で、結い上げられた髪の先が微かに揺れている。


 酷く幻想的な光景だった。それでいてサイケデリックのような禍々しさも感じる。


 私が、そう感じたのは。


 彼女の右手とその足元に、ドロリと凝った茶褐色を見たからなのかもしれない。あるいは、雨の雫だけでは掻き消せない、生臭く鉄臭い臭いを感じ取ったからなのか。


 血臭。


 左手に安っぽいビニール傘を持った彼女は、右手に血にまみれた刺身包丁を携えていた。もしかしたら、短刀ドスと呼んだ方が正しい物なのかもしれない。


 思わず私は息を詰めたままその場に立ち尽くす。気付かれる前に逃げ出すべきだと分かっているはずなのに、足がその場に縫い付けられてしまったかのように動かない。


 不意に。


 そんな私に気付いたかのように、あるいは私の息使いを感じたかのように、彼女はフワリと顔だけで私を振り返った。視線がかち合ったと分かった瞬間、桜色の唇がフワリと笑みを浮かべたのが分かる。


 ひどく、淡い色彩の、顔。


 周囲は電光と、水溜まりの反射で、目がチカチカするくらいに色鮮やかなのに。淡雪のような肌も、春の宵のように朧気な藍色の瞳も、桜色の唇も、なぜか酷く輪郭線が淡く思えて。


 それなのに。


 それなのに、彼女がこちらを見て、クッキリと笑みを浮かべたことだけは、分かった。


 血塗れの刃が握られた手がゆっくりと持ち上げられ、伸ばされた人差し指がそっと、唇の前に伸びる。


 そう思った、瞬間。


 空気が収縮した、と感じた瞬間、辺りは空が裂けるような豪雨に見舞われていた。呆然と目を見開いていた私の視界は一瞬で白いノイズに呑まれる。眼球を守るために瞼を閉じるという基本的な動きさえ取れない。


 取れないまま私は豪雨に打たれ。


 取れないまま、雨は唐突に上がった。


 再び鮮明になった視界の中に、すでに彼女の姿はなかった。一瞬、歩きながら夢でも見たのかと思ったくらいに、辺りはユラユラと揺れる水溜まりと、鮮烈な電光しかない。


 だというのに、私の足元に広がった水溜まりには、ドロリと茶褐色が滲み出ていて。


「……ヒッ!!」


 そこで私はようやく引き攣れた悲鳴を上げると、来た道を脱兎のごとく引き返していた。


 ……それでも私はきっと、またいつかの雨が上がった夜に、呼ばれたようにあの場へ行ってしまうのだろう。


 記憶の中でおぼろに崩れた彼女の輪郭を必死になぞりながら、私はなぜかそんなことを思っていた。




 ──私が出会ってしまったは、


 一体、ナニモノだったのだろうか。




【了】

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