僕らはサンドイッチ

七雨ゆう葉

三日月の夜に

「流石に……ヤバい」

 見下ろした先に完成されている醜き小高い丘。自身の腹部に向けピシッと手を放つと、僕は最近全く体を動かしてないことに気づいた。

 とはいえ季節は夏真っ只中。古びたワンルームに蝉の声が響き渡る。

 今季、連続して更新される真夏日。そんな中、僕が思いついた日課。

 それが深夜の散歩だった。


 誰もいない夜道。不安定にゆらめく街灯。それらがどこかスリルで、かえって体温を冷やしてくれるようで気持ちが良かった。

 何気ない普段のルーティーン。時刻は既に夜の十時四〇分を過ぎている。僕は帰り道の道中、いつもの場所へと向かう。そこは散歩を始めてから知った、深夜十一時まで営業しているスーパーマーケット。閉店間近でもあり、従業員も来店客も数えるくらいしかいない。けれど僕には、ある目的があった。

 煌々と貼り付けられた赤いシール。陳列棚に取り残された総菜や弁当、パンなどの商品。それらは夕方五時以降に二割引き、さらに夜十時以降には六割引きになる。

 大学生で一人暮らし。すっかり深夜のオアシスと化していたそのスーパーに、僕は散歩がてら通うようになっていた。


 そんな中で、一番のお目当て。多様な具材にボリュームもしっかり備えられた、クラブサンドイッチ。定価は650円。夕方に値下げされても500円以上で売り切れることは少ない。だが深夜割引だと300円を切り、破格の値段でゲットすることができた。

 その日も訪れた僕は、視界の奥に残り二つとなった例の商品を見つける。

「今日の夜食と明日の朝飯にするか」

 咄嗟とっさの考えから、僕は二つとも買い物かごに入れた。

 そして、立ち去ろうと歩みを進めた直後。

 すぐ傍で、慌ただしい靴音が床を鳴らす。


「そっか……」


 バイト終わりだろうか。彼女のステップは、悲しさを含みながら終わりを告げた。おそらく、同じくお目当てだったのだろう。彼女は背を向け、仕方なしに他の商品群へと視線を流していた。

 そおっと吐いた彼女の吐息に、胸をキュっと締め付けられる。傲慢ごうまんさを恥じながら、僕は彼女にわかるように。わざと「ガシャッ」と音を立て、かごから一パックを陳列棚に戻す。

「あっ……」

 再び灯し出す、彼女の瞳。きっと、僕のことをチラッと見ただろう。だが恥じらいをにじませた頬を隠すように、僕は一直線にレジへと向かった。




 数日後。

 少し日を開けて、僕は再び入口のドアを通り過ぎる。

「マジか……」

 今度は僕の番とでもいうかのように。

 お目当ての場所は空っぽになっていた。

「……これ、よかったらどうぞ」

「え?」

 すると、ピョンと巣穴から顔を出した小動物のように。白く細い指の上に置かれた目的の割引商品。

「この間の、お返しです」

 彼女はそう言って、ウインク交じりに笑みをして見せた。



 ◆



「――というわけであの日、偶然にも言葉を交わした僕たちは、一緒に帰ることになって……」

「その夜は大きな三日月が輝いていて……彼女が言ったんです」

「“月がきれいですね”って」

「僕は自意識過剰に舞い上がって、勘違いをして」

「それで勢い余って、つい」

「告白なんて、しちゃって……」


「でも彼女は」

「笑顔で……返してくれたんです」


 互いの馴れ初めに、歓声と拍手で湧き立つ会場。たどたどしいスピーチを終え、緊張から解放されぐったりと腰を降ろす僕の肩に、隣に座る彼女が優しく手を添える。


 その後。二人にとって、一生に一度の華やかな儀式は終了。帰宅した僕はソファへと沈み込む。幸せを噛み締めながら、先程からキッチンで何やら作業をする彼女に声を掛けた。

「何してるの?」

「ん? ああ、小腹でも空いたかなと思って……」


「ほら、あなたの大好物でしょ?」


 香ばしく、均整の取れた美しい三角形。

 彼女は笑顔でそう言うと、あの時のようにサンドイッチを差し出してくれた。

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僕らはサンドイッチ 七雨ゆう葉 @YuhaNaname

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