株式会社ぐちゃぐちゃ

Shiromfly

こうして、ひとりずつ

「いいかげん、働け!!」

 悲報。

 ニート歴三年、ついにキレた母親が俺氏の大切な漫画コレクションを遺棄。

 

「うああああ!何するのおおお!いやだあああ!」

 

 散々泣き喚いて縋りつくも、母(55)による俺の部屋の撤去作業の阻止は叶わず。「親父!母さんを止めてよお!」なお父にはグーで殴られた模様。



 それから半年が経ち、生来の自堕落ぶりを存分に発揮する俺の求職は未だ実らないまま、いよいよ憔悴してきた父親が何処から持ってきたのやら、とある会社の求人案内を手に「頼む!もう限界だ、良い加減受かってくれ!!」と涙ながらの土下座。流石に胸が痛くなった俺は、どうせまた御健闘を祈られるのは明らかでも、やはり父親の祈りには一応、応えることにする。


 そうして俺は、殆ど何も判っていないまま、株式会社ぐちゃぐちゃの面接を受けることになり、というか既にもう、株式会社ぐちゃぐちゃの本社ビルの前に立っている。


 都内某所のオフィス街。まさかとは思ったが一等地のど真ん中にそびえ立つスマートな社屋の一階には、しっかりとぐちゃぐちゃの社名入りの看板。


 親父さあ、いくらなんでも立派すぎだろ。こんなトコ、俺が受かる訳ないだろ!

 大体なんだよ、ぐちゃぐちゃ、って社名。どうせ受かるつもりもなかったから下調べなんて全くしてなかった。せめて企業サイトくらいは目を通しておくべきだったか。


 凄まじい場違い感に委縮しつつも、まあ、約束は約束。とりあえず面接を受けた、という事実さえあればいい。俺は不慣れなスーツにぎくしゃくしながら、立派なガラス扉を抜けて、社内に足を踏み入れた。


 一階の吹き抜けロビーには社員らしきスーツ姿の若い男女が行き交い、中には白衣を来た者も居る。

 

「あのう。今日、面接を受べっ……受けに来ちゃ者なんすけど」

「安藤様ですね?お待ちしておりました。今、担当の者が参りますので少々お待ちください」

 やたら美人の受付にどぎまぎして噛み噛みの俺に、にこやかな笑顔が返ってくる。

 

 建物といい、社員といい、雰囲気といい。如何にも一流企業!というオーラに満ちたこの空間に圧倒されていた俺に、やがて、どうやら人事らしい男が声を掛けて来た。


「こんにちは、多賀山です。本日は遠路ご足労痛み入ります。早速ですが、面接は上階のオフィスで行いますので、こちらへどうぞ!」

 

 俺と同じ歳か、もしかしたら下かもしれない好青年だった。

 イケメンというかハンサムというか、とにかく完璧に決まった髪型と、整った顔が眩しい。そして何よりも、満たされている人生を謳歌する者特有の、自身に満ち溢れる笑顔。それは、社員たちや受付にも共通する何か、を感じさせるものがあった。


 どこぞの高級ブランドのものであろうグレーのスーツの多賀山に、手ごろな価格の量産品、しかもよれよれの紺のスーツの俺は、ただ、着いていくばかり。


 ガラス張りのエレベータに乗る社員たちに混じると、その見すぼらしさが一層際立って、みじめな気持ちになった。何がぐちゃぐちゃだ。その適当な社名に全然見合ってねえぞ、お前ら。


 上階に着くと、ワンフロアを丸ごと利用し、ガラスで区切られたオフィスが広がっていた。「さ、こちらです」多賀山はカードキーを取り出して、それぞれのブロックを仕切る認証扉を抜けていく。ここまでセキュリティを徹底しなければならない様な業務を扱っているのか……。


 埃一つも落ちていないオフィスに、整然と並ぶデスク。快適な室温、微かに香る良いにおい。そこで働く人間も、誰も彼もが美男美女。多賀山と同様の、生き生きとした表情でパソコンに向かったり、電話したり、書類に目を通していたり。


 どんな仕事なら、ここまで人間を充実させることができるのか、俺は少し好奇心が湧いて来ていた。


――――――――――――――


「では、履歴書を拝見させて頂きますね」


 オフィスの一番奥、ガラス張りの応接室に通された俺は、些か恥ずかしい気持ちで、薄汚い書類鞄から取り出した履歴書を、テーブル越しの多賀山へと渡す。


「ふむ……」

 学歴も職歴も、資格も殆ど埋まっていない。


 しかし多賀山は、何故か感心したように、にっこりと笑顔を浮かべた。

「ああ、素晴らしい。こんなにすっきりした経歴をお持ちの方は久しぶりです。御安心ください、弊社で経験を積めば、すぐにこの履歴書もぐちゃぐちゃになりますよ」


「はあ……」皮肉か?


「本来なら一度、お時間を頂いて検討するところですが……ええ、採用です。詳細についてはまた別の担当者から、すぐに連絡を差し上げますので、近日、正式な雇用契約を交わしましょう」

「はい!?」


 声が裏返った俺を、多賀山は不思議そうな顔で見つめた。「どうされました?」どうもこうもないだろ。おかしいって。もっと他に色々あるでしょ。


「あの……すいません。実は」

 俺は正直になることにした。

「御社……いやもういいや。この会社が何をする会社なのか知らないんだけど。どういう仕事なのかも知らないのに、働けって言われても困るよ」


「……はい?」

 その笑顔は僅かにも崩れずに、多賀山が問い返した。

「と、申されますと?」


 少し気圧された俺は、多少、軌道修正を試みる。

「ええと……失礼しました。不勉強ですいません。その……会社名のぐちゃぐちゃ、ってどういう意味なのかなって思って」


「ぐちゃぐちゃは、ぐちゃぐちゃですよ?」

 それ以上はないと思っていた、多賀山の笑顔が更に歪んだ。

「ご心配なく。初めての方でも大丈夫です。皆さん最初は不思議に思われますが、一度ぐちゃぐちゃになったら、なるほどこういうことか、と納得して頂けております」


「でもですね、その履歴書の通り、俺は仕事も、アルバイトしたこともないんですよ」

「いいえ、むしろ私たちはあなたの様な人材を求めているんです。失礼を承知で申し上げると、私の見る限り、あなたはまだ、ぐちゃぐちゃしていない……」

「だから、せめてこの会社が何の仕事をしてるのかだけでも答えろって!!」


「ええ、だから、ぐちゃぐちゃです。ぐちゃぐちゃすることが目的ですし、ぐちゃぐちゃになること、ぐちゃぐちゃにさせること。私はもうぐちゃぐちゃですし、もっとぐちゃぐちゃになりたい。そして皆もぐちゃぐちゃになってほしい。だから私たちは皆さんへぐちゃぐちゃを真心込めて届けるし、ぐちゃぐちゃにして、ゆくゆくは社会全体、国、世界にぐちゃぐちゃを広げていきたい」


「何言ってんだお前……」

 多賀山は相変わらずの爽やかな笑顔のまま、その口から理路整然と連ねる言葉だけが、ぐちゃぐちゃだ。


 なんか、ヤバい。


 俺は無意識に、自分が入ってきた部屋の出口を、そしてこの部屋に至るまでの経路を思い返す。複雑に仕切られたガラスの壁、いくつもの認証扉……。


 ぞわぞわと背筋が震えた。

 

 ガラス越しのオフィスから、視線を感じる気がしてならない。


 振り返りたくても振り返れない。


 きっと、社員たちが、全員、多賀山と面接の様子を見ている。


 そんな気がする。


 



――――――――――――



 そして僕は採用された。

 


「行ってきます!お父さん、お母さん!」

 今日は勤務初日。こんなに気持ちが晴れやかなのは久しぶりのことだ。


「行ってらっしゃい!」「ああ、頑張れよ!」

 父も母も、素敵な笑顔でにこやかに送り出してくれる。


 ビシッと整えた髪型、スーツで。

 そして何の迷いもない、前向きな意思で。


 さあ、今日も一日、ぐちゃぐちゃしていこう。

 そして一人でも多くの人を、ぐちゃぐちゃに。

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