【KAC20236】書店員は第六感によって推しのピンチを救う!
宇部 松清
第1話
「ぎゃあああああああああああああ!」
開幕シャウト、失礼いたしました。
私の名前は遠藤
いまのシャウトは、二次元の推し、『
今日はもう色々と散々なのだ。
朝から茶碗は割れるし、某お絵描きサイトで入手した『金剛×黒曜』の二次創作本(もちろんえっちなやつ)にちょっとコーヒー零しちゃうし、前髪切るのは失敗しちゃうし、アイブロウ(眉毛書くやつ)と間違えてアイライナーで眉毛書いちゃうし、リップクリームだと思ったらスティックのりだったし。それで、極めつけに推しのアクスタ落下、というわけである。
この短時間で6つである。
何ちょっと今日。やらかし過ぎでは?
ちょっともーしっかりして、遠藤芽理衣。私はいつだって
さて、こんな馬鹿なことばかりしてもいられないのである。本日は弟と会う約束があるのだ。そう、私に二次元の推しを与えてくれた、この界隈においてはどうやら先輩らしい我が弟、
これはもう行くしかねぇ。そうだろ、マイブラザー?!
というわけで、車を出させた次第である。
初陽はブーブー言っていたが、うるさい黙れ。迎えに来い。我は姉なるぞ。
それに今日は何となく胸騒ぎがするのだ。私の第六感が、「今日は弟に車を出させると吉」と私に訴えかけてきているのである。さんざんアンラッキーに遭遇させといて、何が『吉』だと思わないでもなかったが、自分の内なる声に耳を傾けるのも重要だ。そう思い、ずーっとブーブー言ってる弟に、多少スピリチュアルな気持ちで「私の第六感がそう告げているの」とインキチ宗教の教祖っぽく言ってみた。すると彼は、そんな私を笑い飛ばすでもなく、また、いよいよイカレたかと憐れみの視線を向けるでもなく、「そういうことあるよな」とやけに真剣な眼差しを返して来た。えっ、お前何があったの? 数年前推しの壁になったとか言ってたけど、それ以外も何かあったの?!
弟の身に何があったかはわからないが、それはさておき。
とにもかくにも食事なのである。
今日はお姉ちゃんが奢って進ぜよう、とリーズナブルな価格がウリの『サイデンナ』に来た。2,000円OFFクーポンもあるし、どんどん頼みなさい!
そこでもう目についたものを片っ端から注文し、それをつまみながら近況を報告しつつ、三次元の推しについて語っていた時のことである。
「姉ちゃんの言うその二人なんだけどさ、もしかしたら俺の高校時代のクラスメイトかも」
弟が驚くべき発言をしたのである。
驚きのあまり、ついついナイフを弟の首に突き立て、「詳しく」と、ドスの利いた声が出る。
「オーケイ、一旦そのナイフを置こうか」
いっけない。ついつい取り乱しちゃった! てへぺろ!
「えっと、ちょっと待って。いま写真を……」
そう言いながら、スマホを操作する。探しながら語ってくれた情報によると、彼らは家が隣同士の幼馴染みで、具体的にいつからかはわからないが、初陽の推測では恐らく小学生からお互いに片想いを拗らせまくった後、高校二年の文化祭でやっと恋人同士の関係になったのだという。
あーハイハイハイハイ。ご馳走様です。家が隣同士の幼馴染み且つ両片想いって都市伝説じゃないんだ! 実在するんだ! もうそれだけでこのナポリドリア三杯イケそう。いまの私は火傷なんか怖くない。
それで、その二人のカップル成立の陰にはこの愚弟の活躍があったのだとか。さすがは我が弟。ナポリドリアもう一つ頼むわね。
「おお、あったあった。ほら、この二人だろ?」
そう言って、差し出されたスマホ画面には――
「あばばばばばばばばばばばばばばば!」
「ちょ、姉ちゃん、落ち着いて! ここ店内!」
「こっ、これが落ち着いていられますかってんだいっ! おま、お前これ! 国家機密だろ!」
「国家機密なわけないだろ! ただの友人だ!」
「盗撮か、この犯罪者ァ!」
「盗撮じゃないって! 本人の了承も得てる! 盗撮だったらこっちに向かってこんなしっかりピースするわけないだろ!」
「だ、だとしても! あーもー何これ! はいはいえっちですね!」
「おいやめろ、そんな不健全なものみたいに言うな! 所持してる俺がヤバいやつみたいだろ! 俺の思い出を汚すんじゃない!」
王子と姫なのである。
確かにこの二人が当推しで間違いはない。
だけれども、まさかそんな当推しーズが王子と姫のコスプレをしてるなんて思わないじゃない? 心の準備が出来てないじゃない? こんなのまだスキー板装着してないのに背中どーんって押されてジャンプが始まっちゃうようなものだからね? 死ぬって。
そんなことより。
「ゴホン、うん。この二人で間違いないわ。あとでこの画像送ってちょうだい。誓って悪事には使用しないから」
「さっき国家機密とか言ったくせに。漏洩させんなよ」
「それはそれ、これはこれよ。にしても、ハー、何? この二人が? 高校時代はそんなこんなでとにもかくにもすったもんだでくんずほぐれつしてたわけ?」
「くんずほぐれつはしてないな。むしろくんずほぐれつはしてない」
嘘でしょ。くんずほぐれつしてないの? いや、くんずほぐれつってなんか厭らしい響きがするけど、これもうほら、ちゃんとした意味の方だから。取っ組み合ったり離れたりして激しく争うことの意味の方だから。それにしたって、ないか。まぁ、スペシャル仲良しだもんな彼ら。しかし、何だろ。この厭らしい響き。そういう意味の方のくんずほぐれつもしてないんだろうな、あの子達は。駄目だ。最近読んだR18の薄い本の影響で、くんずほぐれつの厭らしい感じのやつが次々と脳裏に浮かんでは消えていく。波のように押し寄せて来る。くんずほぐれつの厭らしいやつが!
くんずほぐれつから離れろ! 彼らを汚しているのが他ならぬ私自身であることを自覚しなさい、遠藤芽理衣! 推しを厭らしい目で見るのはやめろ!
とにもかくにも、である。
あの時の弟がやんややんやと騒いでいた推しカプとやらが、それこそが彼らだったのである。えっ、てことは何?! 壁になったってのは、つまり、彼らのいずれかの部屋の、ってこと?!
「貴様ァァァァァァ!」
「えっ、ちょ、何?!」
あの二人の室内イチャイチャを壁となって目撃したという事実がいまさら襲ってきて怒りゲージが一気に溜まる。これは必殺コンボが出せちゃうやつ。そしてそれはコマンド入力なしに出てしまったらしい。勢いよく立ち上がると、向かいに座る弟の胸倉を掴んで拳を振り上げた。伝説の右が
5……
4……
3……
とカウントダウンをしていたその時だ。
『芽理衣……芽理衣よ……聞こえますか……? 私はいまあなたの脳に直接話しかけています』
そんな声が聞こえて来た。
え? ちょ、何?! 幻聴?!
『弟を殴っている場合ではありません。その拳は正義のために振るうべきです』
確かに! でもそういえばこないだ警察の方に叱られたばかりでして!
『あなたの推しがピンチです』
な、なんですって!? ピンチって言われても具体的にどういう!?
『いかにもな当て馬ポジのモブにぺろりと食われるところです』
ななななななななんですと――――!!!
当方、
「推しにピンチが迫っている、車を出せ!」
弟を殴ろうとしていた拳を下ろし、そのままテーブルに置いてある伝票を引っ掴んで叫んだ。殴られると思っていたところへ突然の車を出せ発言。さすがの弟もかなり驚いただろう。けれどもそこはさすがマイブラザー。何かしらを感じ取ってくれたらしい。
「推しってどっち?
「そこまでわかるかァ! とにかく車だ! 急げぇ!」
そして、さっさと支払いを済ませ(「クーポンあります。支払いは
それにしても、ここまでやっといてなんだが、ウチの弟の理解度が高すぎる。何でこんなに丸っと信じるんだろう。お姉ちゃんは心配です。
それで、5分後くらいに戻って来た弟は、しっかりと推し①の手を引いていた。でかした! ていうか、そっちの彼でしたか! こないだはストーカー被害、そんで今回は強姦未遂と来たもんだ! きれい系イケメンって大変なのね!
その後、道中で推し①君に、ここに辿り着いた経緯などなどを伝え、そしてもちろん、彼の相方である推し②君にもメッセージを送った(初陽は運転しているので、文面を作ったのは私だ)。
それで、彼らの愛の巣(としか言えないでしょう)に辿り着いたわけだけれども、出迎えた推し②君の表情と来たら! 何あれ。もうそれだけでナポリドリア7杯はイケそう!
これはもう、推し①君の回復を待ってくんずほぐれつかもしれないわね。
高校時代からずっとじれじれもだもだしていたらしい彼らの背中を押せたかもしれない。そう思えば自然と涙も溢れて来るってなものである。
「クッソ……
もう今日の6つのアンラッキーなんてどうでも良い。
今日のこれですべてが浄化された気がする。
幸あれ……二人に幸あれ……。
そうしてとめどなく流れる涙を拭って気付く。
涙にうっすら混じる色がやけに茶色いのである。
これ……アイブロウの色では……?
待って……私、今日アイライナーとアイブロウ間違えて……直したっけ……?
慌ててドアミラーに顔を映す、と。
そこに映っていたのは、やけに眉毛のくっきりした、前髪アシンメトリー女だったのである。
この状態で色々出歩いた上に、推しーズに会ってしまったということをいまさら実感し、めでたく本日のアンラッキーは7つとなったのだった。いっそ殺してくれ。
【KAC20236】書店員は第六感によって推しのピンチを救う! 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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