【KAC20233】書店員はドラッグストアで異能に目覚めるか?

宇部 松清

第1話

 私の名前は遠藤芽理衣めりい。最近急激に腐り始めた自覚のあるJD女子大生だ。それもこれも、バイト先(『WALL BOOKS』という小さな書店)にたまに来店される推し客①と②のせいである。あんな尊いもの見せられたら、どんなに採れたてフレッシュでも瞬く間に腐り始めるだろう。私に罪はない。かといって、推し客①と②にも罪はない。それだけは声を大にして言いたい。


 さて、先日、癒しを求めて行ったコラボカフェで癒しどころか致死量の萌えを時速160㎞/hの剛速球で顔面に投げつけられた私は、半死半生、這う這うの体で帰路に就いた。だが、後悔はしていない。例えそれが、顔面が陥没するくらいの剛速球だったとしてもだ。むしろ向こう一年分くらいの萌えを一度に摂取出来たのは僥倖である。何せもうこれだけで、何があっても自動的に一年は戦えるってこと。いまの私は無敵だ。最弱なのは懐だけである。


 さて、そんなヨワヨワな懐事情でも、買わねばならぬものはある。

 それは、日用品である。

 食料は実家からの救援物資とモヤシでなんとかしのげるが、こちとら腐っても女子。もっと言うと、花の女子大生である。美を諦めるわけにはいかない。だってほら、いつ何時推し客が来店するかわからないし。私は壁に徹するとは言っても、その壁が汚ったねぇコンクリート打ちっぱなしのやつよりは、そりゃあぴかぴか真っ白の方が良いでしょうよ。そっちの方が盛り上がるでしょうよ。


 え? コンクリ打ちっぱなしの感じもイケる? 未印良品みじるしりょうひんのシンプルな家具と合いそう? お前の好みなんざ聞いてねぇんだよこっちは。あの二人はな、未印良品じゃないんだ。IKEYAイケヤなんだよ。北欧テイストのオシャレ系なんだよ! ていうか私の言うコンクリート打ちっぱなしはあれだからな? 高架下のやつだからな?

 

 さて、見えざる敵に喧嘩を売っている場合ではない。

 私は日用品を買わねばならないのである。

 

 少々軽くなってしまった財布を片手にいざ行かんドラッグストア!



 勇んで足を踏み入れた『マッキヨ』こと、『コトイゼヨ』である。入店10秒で、私はその場で『考える人』になった。正しくは、『考える人』のポーズで固まる結果となった。


「まずは、ピアスホール用の消毒の予備だな」

「これって、付けたり外したりするの?」 


 推し客①&②――! また! また会えたね! こんな職場外アウェーの地でね! 


 ていうか仲良いな!

 君らマジで仲良いな!?

 待って待って待って。

 もうね、だいたいわかったよ?

 まず君達は恋人同士ですね? ほんとありがとうございます。もうそれだけで私の心の4分の1くらい救ってるからね? 救世主メシアって呼ぼうか?

 そんであれね、同棲してるのよね? ハイハイハイハイほんとありがとうございます。これでさらに4分の1、つまり半分救ってるから。私の心の半分、あなた達に救われてる。リアルに命が助かってる。


 だけどね、同棲してるカップルったって、そんなそんなべったり行動するかな? もうここ最近君らセットでしか見てないからね? えっ、何? 売り出し中のアイドルユニットでした?


 いやもうね、何だろ。何で言うんだろ。この世の春がここにあるのよ。彼らの周りがね、なんていうのかな。もう全体的に桃色っていうのかな、桃源郷っていうのかな。なんならふんわり桃の香りがするっていうか。あっ、ここ芳香剤コーナーでしたか。そりゃあリアルな桃の香りもするわな。そうじゃなくて。そんな現実味のある話じゃなくて。もうね、推し客②の茶髪君のね、全体的に緩みっぱなしの口元とかね、あんなのもう絶対に「俺らカップルっぽい」とか噛みしめてる顔だからね? そんで推し客①の黒髪君はね、買うものリストと思しきメモとその彼氏君を交互に見てるんだけど、そのとろけるような笑みね。成る程これがメルティーキッスってわけね。あれ冬季限定じゃなかったんだ!


 何だろもうね、内なる力に目覚めてしまいそう。

 二年くらい前、弟の初陽はつひが、何かしらが開眼して推しカプの部屋の壁になったとかわけのわからないこと言ってたけど、いまならわかる。お姉ちゃんいまならわかるよ! ていうか、何それ! どうやってやんの?! 私だって彼らの壁になりたいっつーの!


 どうせ目覚めるなら壁化する能力でありますようにと、ありとあらゆる神に祈りまくった。日本には八百万の神がいることで有名だから、そんな『推しカプを見守るために壁になる力を授ける神』だっているはず。いないとしたら何のための八百万だよ! そうだろ、オーディエンス!?


 などと、祈ったり怒ったりしていると――、


「あっ、あと僕、ワセリンも買ってこうっと」

「ワセリン? ワセリン?!」


 ワセリン!?

 ワセリンって言った? しかも黒髪君!? ユーが?!


 あーららららら!

 えっ、だって、そういうことでしょ?!

 ワセリンの用途なんてそれ以外にないでしょ?! いやあるけど! あるけどこの場合の、って意味でね!? 何よもー! 黒髪君ってば意外とアレなの?! そういう子なの!? 大丈夫、お姉さん、R18も予習してきてます!


「僕、冬になると結構手荒れが酷くてね。唇も割れやすいし。ハンドクリームとかリップクリームでも良いんだけど、それよりも白色ワセリンの方が合うんだよね」


 ごごごごめんなさ――――いっ!


 健全なやつだった!

 健全な方のワセリンだった!

 私ったら、最近急激に腐り始めたものだから、一刻も早く世の腐女子たちに追いつかねばと焦って勉強しすぎたのかも! もうワセリンったらアレの時のアレとしか!


 恥ずかしい!

 うおおおおおお! 恥ずかしすぎる――――!!


 両足を肩幅に開いて腰を軽く落とし、両拳を強く握りしめて天を仰ぎつつ、髪を逆立てんばかりの勢いで心の絶叫が声帯を通過して口から出ないようにと踏ん張って堪えていると、そんな私の何かが作用したのか、近くの棚からシャンプーの詰め替えがバラララララ! と雪崩のように落ちてきた。


 えっ、私?

 私のせい?

 待って。目覚めたの、これ?

 こんなポルターガイスト的なやつ?!

 これがBのLにとってどんな旨みがあるっていうの?

 BのLっていうか、ズバリ私にどんな旨みがあるの? ないよ、いまのところ! 初陽! お姉ちゃんには出来なかったみたい!


 もう旨みどころか、店員さんの仕事を増やすだけじゃん。

 こんなの同業者として、申し訳なさしかない。本屋でこんなこと起こってみ? 地獄絵図だから。そりゃね? 漫画本にはシュリンク(ビニールカバー)をつけてますよ? だけど文庫コーナーでこんなこと起こってみなさいよ。もう死ぬから。本じゃなくて、私達が。


 駄目だ、この場にいたら、私の力が暴走してお店に迷惑がかかっちゃう。さっさと買い物を済ませて帰らなくちゃ。突然強大な力を得てしまったヒーローの気持ちがいまならわかる。ヒーローっていうか、悲しきモンスターの方かもしれないけど。


 そして推し達よ、願わくば次はウチの店でイチャついてくれ。そしたら脳内の『私・オン・アイス』だけで何とかなるから。私が脳内で氷上のプリンセスになるだけで事足りるから。おい、誰だ「プリンセス?! プークスクス」って笑ったやつ! お前もお前もそこのお前もまとめて脳内BLの刑に処すぞ? ああ?!


 多少よたよたとふらつきつつも、シャンプーとコンディショナー、そしてボディソープの詰め替えをかごに入れ、レジに向かって歩く。目の毒と思っていてもついつい彼らの後ろを歩いてしまう。いや、ここをまっすぐ行ってもレジには行けるしね? 別に、ギリギリまでこの尊さを味わっていたいとか、そういうわけでは!


 って、言い訳を並べながら歩いていて気が付いた。


 ここ、生理用品並びに避妊具コーナーやんけ……。


 なぜ突然関西弁になったのかはわからない。人間、自分のことが案外一番わからなかったりするのだ。それは仕方ない。いや待って待って。健全なワセリンをお求めになる黒髪君よ。君にここのコーナーは無縁なのでは? 何か間違えちゃった? 代わりに店員さん呼ぼうか?


 そんなことを考え、気を利かせて店員さんを呼ぼうかと思った瞬間。


「あの、僕も、一応考えてるからね」

「いや、え、あの、夜宵?」

「萩ちゃんの心の準備が出来たら、いつでも言って」

「お、おう……」

「僕の方はいつでも大丈夫だから」


 くぁwせdrftgyふじこlp;@:「」


 大丈夫じゃない! 大丈夫じゃないです! 私が!

 何か出たもの! 古のインターネッツの表現が出ちゃったもの! えっ、これ脳内でどう発音したの、私?!


 眼鏡君! 眼鏡君、君! えっ、何?! 実はそういうキャラなの!? 全然ばっち来いの人なの?! ていうか何?! あなたがキャッチャー(意味深)ってこと? 一見ピュアッピュアな黒髪眼鏡の男前受けってこと!?


 ああああああああありがとうございま――――す!


 落ちた! 落ちたよここに微笑みの爆弾が落ちた! 爆心地はここ! ヒア! ハイ、無理! 本日も無事尊死とうとしです! 仰げば尊死、我が推しがWin――――!


 あまりの尊さに、拳を振り上げた状態で後方にぶっ倒れた私は、ポルターガイストとかそういう特殊能力とかそういうことではなしに、もう完全な物理攻撃で後ろの棚の商品をなぎ倒した。ダラララララララ! と商品が私の身体に落ちて来る。


「お客様ァ?! 大丈夫ですかァ?!」


 薄れゆく意識の中、かすかに聞こえた店員さんの声に、私はサムズアップして、大丈夫です、の意を示した。これはもうあれですから、推しの過剰供給のやつですから。ただただ、売り場をぐちゃぐちゃにしちゃってごめんなさい。


 また来ます。

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