04-ブラック・ホール・ラン



 衝突による減速で超重力に捕らわれかけたカバルリィが再び複素加速コンプレックス・アクセラレーションをかける。砲撃が来る。空間を直接刈り取る神威の榴弾。俺は半ば狂乱しながら雨のように注ぐ殺意の間をくぐり、瓦礫デブリを盾にして直撃を避け、砲門の死角へと潜り込む。だがそうと知るやすぐさまデュグラディグドゥは進路を変え、俺を押し潰そうと三度みたび迫ってくる。

 避け、きれない。

 と絶望しかけたその時、別方向からの衝撃が俺のケツを蹴り上げた。白く輝く美しいマシンが超光速で追突し、俺のカバルリィを跳ね飛ばしたのだ。おかげで圧壊を免れた俺。その俺を庇うかのように立ちはだかる純白のマシン。デュグラディグドゥは一瞬躊躇ためらい、やがて俺達から離れて競走ランのコースへ戻っていった。

 助けられた、のか……

 だが俺は安堵するより、感謝するより、なぜか猛烈な反発心に突き動かされ、衝動的にダッシュボードに拳を叩きつける。

「どういうつもりだ……。エヴォニッツァ」

 エヴォニッツァ、誰より綺羅らかに輝く女神。彼女は体当たりで俺を救い、救ったくせに一顧だにせず、俺を置いて飛び去ってしまった。

 もたついてる間に後続機が続々と俺を追い抜いていく。ヘルメス、オニャンコポン、グナー。張果老ヂァングオラオに至っては、わざわざ接近してきてハーハーホッホウホウ嘲笑あざわらいながら通り過ぎてく。これで最後尾からやりなおし。沸々と怒りが煮えたぎる。いや、これは本当に怒りなのか。分からない。そうだ、分かってない。ブルの気持ちもエヴォニッツァの気持ちも分からないってだけじゃない。俺は俺さえ分かっちゃいない。自分が何にこんなに震えてるのか。自分が何を求めてるのか。俺は分からず、だからどうしていいかも見えず、でも胸の中の衝動だけは酷く強烈で、そんなものに引きずられてブラックホールで暴走ランしてる。

畜生God damnッ」

 俺は再び走り出した。複素速度コンプレックス・ヴェロシティの内臓をえぐり回す感触にもいい加減慣れっこで、胃液の酸い臭いも麻痺した嗅覚なら気にならない。もう嘔吐を止める努力すら放棄して俺は加速に加速を重ね、実測実験ですら到達したことのない速度域へと我が身を運んだ。速いぜ。見ろよ、張果老ヂァングオラオのクソジジイを抜き返した。ヘルメス、レグバをゴボウ抜き。オニャンコポンには故意に幅寄せをかまし、瓦礫デブリ衝突コースに追い込んで減速を強いてやる。

「失敬」

 天罰ものの無礼千万だが今更罰当たりなんか怖くない。そのまま前方のデュグラディグドゥを悠然と抜き去り、グナーと並んだ所で前にエヴォニッツァの機影が見えた。右へ左へ尻を振り、紙一重の正確さで瓦礫デブリ中の最短コースを潜り抜けている。だが俺にはその神業が妙に危うく見える。他の道もあるのに無理に最短ばかり選んで、わざと危険に身を晒してるような。

 付き合ってやるよ、エヴォニッツァ。

 さらなる加速をかけ、俺はエヴォニッツァを追い始めた。最も濃密に瓦礫デブリが集まる危険領域に二人で突っ込む。他の神々は誰も付いてこない。自殺まがいの愚行を選択する馬鹿はいない。そう、俺と彼女を除いては。

「なぜだ……」

 俺は操作盤コンソールにせわしなく指を走らせ、ヘルメットの中で脂汗を垂らし、喘ぐように問を口にした。無意識だ。答えを期待などしちゃいない。そもそも電磁波が超重力で歪んで通信なんか繋がらない。だがそこは女神。神威で俺の心の声を聞き、俺の脳に直接言葉を送ってくる。

〔何が……〕

 8ヶ月ぶりに聞いた女神の声は、昨夜セックスしたばかりのように何気ない。それがますます気に入らなくて、俺はヘルメットの中へ唾を散らす。

「なぜ助けた……」

〔攻撃的言動を見かねたからだ〕

「なぜそんなマシンで出走ランしてる……。なぜ別のメカニックを雇わない……」

 いつの間にか、俺は涙を浮かべていた。何かが俺の中で限界に達していた。虚次元泡に崩れかけた俺の肉はどうしようもなく無防備で、もう魂を守ってくれない。不意にブルの言葉が脳裏をよぎる。『お前がひどく重苦しいものに引きずり込まれてるように思えてならん』エヴォニッツァが胸へ刺した棘がチクリと痛む。『人間の作ったものが私達にはちょうどいい足枷なのさ』俺は何に捕らわれ、何に引きずられ、何に足を縛られてるのか、それすら分からない俺の耳に、女神は鋭く一喝した。


〔誰にでも縛られたがる私だと思うのかッ〕


 無音。

 宇宙は、静寂。

 そこには何もない。空気もない。水もない。だから外からの音は伝わらず、聞こえるのは内から湧き出る声だけだ。そんな中でも魂は届く。神がかり的な叫びは響く。俺は超重力真空の羊水に呆然と揺蕩たゆたい、女神の言葉の真意を空っぽの腹で受け止めようと喘いでいた。

 そうだ。確かに感じる瞬間がある。束縛こそが生命だと。どうせなら一番好きな縄に縛られたいと。やっと分かった。俺は、俺は――

〔答えろグレイ。なんで私をひとりぼっちにして消えた……〕

 エヴォニッツァのささやきは、どの夜のそれより切なくて、俺は一筋、涙を零す。

あいIあいI愛してI love――いるからyou,so――お前にI wanna――勝ちたいwin youっ」

 瓦礫デブリ群を抜けた。

 いきなり開けた視界の中に、見えた機影は2位韋駄天カールティケヤ、1位ハスター。ショートカットは成功、トップ集団についに並んだ。

 エヴォニッツァがハスターを抜き去り先頭に躍り出る。俺もまた再再々加速でそれに続く。無理な加速で既に俺の手足は骨までグズグズに溶けかかっている。それでも加速をやめない。極超光速の更に上、邪神ハスターすら呆れて張り合うのをやめる領域へ己を持ち上げる。今や1着争いは俺とエヴォニッツァの二人だけ。シュヴァルツシルト面はもはや目の前。最後の直線150AUを残すのみ。

 あと120。100。90。追いつけない。

 80。70。追いついてやる。

 差が詰まっていく。60。50。尻に食らいつく。42。

「エヴォニッツァ」

 命も要らない。俺は走るラン

「好きだあーッ」

 抜いた。

 ランアップ

 ランアップトゥホライゾン



   *



 その瞬間に俺は死んだ。というか少なくとも、生きているか死んでいるかで言えば常識的には死んだと診断される状態になった。俺の肉体はとっくに限界を超えていて、手足どころか心臓も肺も虚次元泡でズタズタに引き裂かれている。脳味噌がどうにか機能してるのが不思議なくらいだ。俺のカバルリィもまた度重なる無茶な加速で完全にぶっ壊れており、せっかく動態保存されていた骨董品アンティークの名機なのに、もう完全なスクラップになり果てている。俺は壊れたマシンの中で動く力を全て使い果たして呆け、マシンもまた超重力に引かれて再びシュヴァルツシルト面の中へ引きずり込まれつつある。ああ、これで終わりだ。ブルの警告したとおり、無限に遅くなる時間の中で死ぬこともできないまま永遠に死に向かって落ち続けることになるんだろう。でも、それでいいと思えた。俺は為すべきことを為した。今なら安らかに死んでいける。

「冗談じゃないな」

 突然マシンの天蓋キャノピーが軋み始めたかと思うと、音を立てて上下に引き裂かれた。何者かが外から腕力で天蓋キャノピーをこじ開けたのだ。おいおい。冗談じゃない。人間の筋力でできる真似じゃねえ。そもそも外はブラックホール近傍の超重力真空だぜ。

「大番狂わせで上位神どもが阿鼻叫喚なのに、この痛快事を肴にせずして死ぬつもりか」

 エヴォニッツァ。

 彼女が俺をマシンから外へ引きずり出す。貪るような激しいキスをくれ、唇の隙間から神気アムリタを含んだ唾液を流し込み、その不思議な力によって俺の体を癒やしていく。みるみるうちに健康を取り戻していく俺は、また劣等感を刺激されかけたけど、その痛みも多分、生きているという証。

 それに今は、エヴォニッツァのキスの甘やかさに酔い痴れるほうが先だ。

「おめでとう、グレイ。

 ありがとう。私も、愛してる」

 ようやく動き始めた腕で、俺は彼女を抱きしめた。抱いているのか、抱かれているのか、分からないくらいに。その区別がどうでも良くなるくらいに。

「エヴォニッツァ」

「うん」

「話をしよう」

「うん……」

「話し合おうよ。一晩ひとばんでも。二晩ふたばんでも。ひとつの部屋で、寝て、起きて、洗濯物を干したり、同じカップからコーヒーを飲んだりしながら」

「いい考えだ」

 女神が微笑む。いつだって俺に向けてくれていた、あの、慈愛と好意の眼差しで。

「最初の議題は」

 くすぐったさに耐えかねて、俺は道化みたいにおどけてみせる。

「借金返す方法」

〔お前は本当に馬鹿だな〕

 と、これはブル。見上げれば、上下逆さまになったタグボートが、ゆっくりと俺たちを迎えに来つつある。

〔優勝賞金でお釣りが来らぁ。だろ……。奇跡の馬鹿野郎〕



THE END.

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ブラック・ホール・ラン 外清内ダク @darkcrowshin

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