第4話 鳴見さんの恋と、史緒さんの恋と、私の恋

 夕方になると、私は鳴見さんと会うために支度を始めていた。

 自分は複数の女の子と遊んでるくせに、私には嫉妬する、そんな史緒さんのわがままが、ここには居られないという気持ちに私をさせていた。

 物音で起きてしまったのか、史緒さんが目をこすりながら私にたずねた。


 「紫乃、どこ行くの?」

 「どこかです。そのうち帰ります」

 「そう……」


 引き止められなかった。もうダメなんだろうなと思った。

 引き止めて欲しかった。わかっているくせに……。


 「疲れました」


 そう言い残して、私は玄関の扉を閉めた。




 夜の公園はけだるい暑さが残っていた。人のいない静けさといっしょに、その熱が、暗闇と混じり合っていた。

 時計の下にある薄暗いベンチに座ると、鳴見さんを待った。しばらくスマホを見ていると、ひょっこりと鳴見さんが顔を出した。キャラ物のパーカーにミニスカの組み合わせは、ちょっとかわいいって思う。

 ベンチに抱えていた大きな袋をどさりと降ろすと、鳴見さんはその中から包みをひとつ取り出した。


 「紫乃先輩。いっしょに花火がしたかったんです」


 鳴見さんは嬉しそうにそう微笑む。

 それから私達は無邪気に遊んだ。


 手にした花火を持って、鳴見さんは踊るようにくるくると舞った。光が流れていく。とてもきれいだと思った。この光景はずっと死ぬまで思い出になるかもしれない。


 暗闇にさまざまな色の光の軌跡が走る。パチパチ、シューシューという音と、火薬の匂いが私達を包み込む。鮮やかに飛び散る火花を見つめながら、私は鳴見さんへの返事を決めていた。


 少し疲れたのか、鳴見さんがベンチに座る。私もその隣に座ると、鳴見さんの手を握りながら、ゆっくり話し始めた。


 「話したかった。私は鳴見さんが思うほど、いい人じゃないんだ。だからね。私の話を聞いて欲しい。それでも好きでいられるか考えて欲しいんだ……」


 それから私は話した。

 中学の時に女子の先輩にふられたこと。高校に上がると、いろいろな女の人に抱かれようとしたこと。史緒さんはそのひとりだということ。親とのこと。史緒さんのこと。史緒さんとの暮らしのこと……。


 自分を知って欲しかった。好きな人に自分というグロテスクな中身を知って欲しかった。


 鳴見さんは黙って聞いていた。話し終えると私を安心させるように微笑んだ。


 「私もいい子じゃないんです。最近は紫乃先輩の裸のことばっかり考えてるし」


 そう言いながら私の手を両手で握り締めた。


 「私の好きは伝わりましたか?」

 「うん、伝わっている」

 「どうしたらいいんです、私? 過去なんてどうでもいいんです。私はいまの紫乃先輩に好きになってもらいたいんです。どうしたらいいんですか、私は……」


 鳴見さんの手が動く。私の手を自分の胸のほうへ持っていこうとする。私に触らせようとしていた。

 ……いいの? 本当にこれで……。

 それは鳴見さんの光が私のせいで消えていくようにも思えた。


 「待って」


 史緒さんがいた。暗闇の中に立っていた。続けて「だめだから」と焦った声をあげていた。

 私は少し呆れたように言う。


 「史緒さん、なんでここに……」

 「あちこち探したから」

 「用事は?」

 「行かないことにした」

 「もう……史緒さんは……」


 鳴見さんがきつく声をあげる。


 「紫乃先輩と別れてあげてください。かわいそうじゃないですか」


 史緒さんが私の前にやってくる。私の腕をつかんでベンチから立たせると、震えながら言う。


 「やだ」

 「なんでですか?」

 「やだから。私が」

 「子供ですか。だから紫乃先輩があんな表情に……」

 「それでも一緒にいたいんだよ!」


 泣き出しそうになるのをぐっとこらえている史緒さんを、厳しい表情で見つめている。

 ふたりを見ながら、私は声をあげる。


 「……恋ってなんですか? 好きってなんですか? 教えてください……。私にはぜんぜんわかりません……」


 私の泣きそうな声で聞いた質問へ、先に回答したのは鳴見さんだった。ベンチから立ち上がると、私と史緒さんに、しっかりと自分が信じている恋について話し出した。


 「この沸騰するような感覚。好きな人を笑顔にさせたい。そのためにがんばりたいと思ってしまう。それが恋だと思います」


 私は腕をつかんだままの史緒さんへ話しかけた。


 「史緒さんはどう思うんです?」


 しばらく黙ったままだった。史緒さんの手が震え始めた。それでも史緒さんは答えてくれた。


 「……恋なんてわからない。でもね。いっしょにいたい。そばにいたい。離したくない。そう思えるんだ」


 鳴見さんが私のほうへまっすぐ向いた。


 「紫乃先輩はどうなんです?」


 どうって……。

 ふたりの言葉が私の中に駆け巡る。


 もし恋がそんなことでいいのなら、私はもう恋に落ちていたのだろう。

 だとしたら……。


 ……どうしてこんな人を好きになっちゃったのかな、私。


 私はひとつだけため息をつく。それから鳴見さんへ伝わるようにはっきりと話した。


 「鳴見さん、私のことを嫌いになって欲しい」

 「え……?」

 「そのほうが気が楽になれるから」

 「どうして大好きな人のことを嫌いになれるんですか?」

 「あなたがくれる好きは、史緒さんがくれる好きとは違うから」

 「どういうことです?」

 「まだ鳴見さんにわからないと思う。わからないままでいて欲しい。鳴見さんは光るように恋をして欲しいから」

 「何を言って……」


 史緒さんが私の手を引く。その手はまだ震えていた。ここから私を遠ざけようとさらに手を引く。


 パシン。


 鳴見さんの手が、史緒さんの頬を思い切り叩いた。


 「紫乃先輩! その人といっしょになったら、絶対に幸せになんかなりませんよ!」


 そう強く叫ぶ鳴見さんをどうしたらいいのか、私にはわからなかった。


 ただ、ひとつだけ思った。

 幸せにならなくても、いっしょにいたい気持ちは変わらないって……。


 史緒さんが叩かれた頬をさすりながら言う。


 「お願い、紫乃。家に帰ろう」



 ★



 家に着くなり、史緒さんに「おいで」と言われて抱きしめられた。少し様子がおかしかった。ずっと震えている。しばらく抱きしめていたら史緒さんは落ち着いたのか、ようやく口を開いた。


 「怖かった。ここから紫乃がいなくなると思った」

 「そんなことはしませんよ」

 「きっといつか紫乃が私を捨てるって思ってた」


 もう。そこまで私と同じじゃなくてもいいのに。

 私は返事の代わりに史緒さんの体を強く抱きしめた。


 「あのね、紫乃。鳴見ちゃん、私と同じにしちゃった。私も高校のとき、大好きな先輩にふられちゃってさ。なんかそれからいろんな人とするようになっちゃった。何しても満たされないんだよね。それがつらくて……」


 史緒さんも私と同じだったのは驚いた。私がふられたのは中学のときだったけれど。


 告白なんて、そんなにうまくいくものじゃない……。

 それでも鳴見さんには、私とではなくても、きらきらと光るような恋をして欲しかった。


 「鳴見さんはそんな子じゃないです。そうなりそうなら私が止めます」

 「うん、止めてあげて。紫乃ならできる。でも……」


 我慢していた涙を史緒さんが落とし始めた。


 「私から離れないで……」


 史緒さんの震える涙声を聞くと、私はあやすようにぽんぽんと背中を叩いてあげた。


 「大丈夫です。大丈夫ですよ」

 「もう私、紫乃以外の人とは縁を切ったから……。今日も相手からコップの水をかけられるつもりだったから……」

 「それならそうと言えばいいのに」

 「信じてって私は言うけど、信じられないというのもわかるし……。だからいっしょにいて。私を見てて……。お願いします……」

 「困った人ですね」

 「愛してる紫乃」


 優しくキスされる。涙が混じっているせいか、少し潮の味がした。私は史緒さんの髪を撫でてあげた。

 史緒さんに思う気持ちが、少しずつ自分の中で変わっていくのがわかった。史緒さんに愛されるより、こんな史緒さんを愛してあげたい。そう思っていた。



 ★



 夏休み明けの学校はにぎやかだった。久しぶりに会った友達へ、夏の思い出を語り合っている。その騒がしさから逃れるように、私は中庭のほうへ行った。

 人だかりが見えた。前に鳴見さんとお弁当を食べていたベンチのところに、5人ぐらいの女子生徒がいた。私はつい心配してしまい、その子たちに声をかける。


 「どうしたの?」


 その声に背の高い女子が振り返る。


 「鳴見がふられたらしくて……。私達、聞いてあげていたんです」


 もうひとりの髪の長い子が怒りながら私に言う。


 「ひどくないですか。鳴見は悪くないのに」


 私はその子にたずねた。


 「ふったのはどんな子?」

 「それが……。2年の先輩だってだけで名前を教えてくれないんですよ」


 見てやってくれと言わんばかりに、その子は体を退けた。

 ベンチに座ってしっかりと私を見上げる鳴見さんと目が合う。こんなことを言っても仕方がないと思ったけれど、それでも私を好きになってくれた人に、私は何か返してあげないといけないと思った。


 「鳴見さん。ふったその子から伝言です。うちでご飯でもどうかなって。ハンバーグ作って食べさせたい。食べたらペンギンの動画をいっしょに見たい。そんなふうに言ってたから」

 「……気持ちが落ち着いたら行きますって言っといてください、紫乃先輩」


 泣き腫らした目のまま、鳴見さんは私に笑顔を返した。




 それからしばらくして、私は誰もいない教室で、新しく出たばかりの本を読んでいた。やさしい風に吹かれながらページをめくっていく。

 恋を知るために、ずっと史緒さんの本を読んでいた。けれど、その本はどうもいままでと違うと書評にはあった。読み進めていくと、確かに違うことがわかった。


 主人公は売れない小説家と家出中の女子高生。小説家はまっすぐにきらめくような恋をしている。でも、それが恋だとはわかっていない。女子高生はそんな小説家との関係に苦しむ。一度は離れようとしたところを小説家が「これが恋かどうかはわからない。でもいっしょにいて欲しいんだ!」と言って引き留める。女子高生は恋のあり方を探すのを止めて、小説家と暮らすようになる。

 最後に小説家は言う。


 ――君をたいせつにできないかもしれない。泣かせてしまうかもしれない。僕は不出来な男だ。でも、この手を離すつもりはないんだ。絶対に離すもんか。だから、君も……。私の手を離さないでいて欲しい……。どうか、そうであって欲しい……。


 私は本を閉じる。目をつむりながらつぶやく。


 「ずるいな……。こんな大きなラブレター……」


 私は恋に落ちていた。自分で気づいてなかった史緒さんへの恋に。

 それを教えてくれたのは、鳴見さんだった。


 閉じた本の表紙には『あの夏のように光るような恋』と書かれていた。



 ★



 私と史緒さんは、あの夏の日から傷つけ合って慰め合って、不器用にどうにか生きている。


 結婚とか、そういう一般的な普通の恋心というものは芽生えなかったけれど、それでもこうして史緒さんといっしょに暮らしている。いまではそれが幸せだと感じられるようになった。


 史緒さんは変わっていった。私がたくさん泣いたせいもあるかもしれない。ビアンバーへ行く代わりに私とご飯を、私と違う女の人を抱く代わりにたくさん旅行へ連れて行ってくれた。


 何年か過ぎたあと、鳴見さんから結婚の報告が届いた。彼女は私の想いを引きづりながら男の人を愛したようだ。旦那さんはやさしそうな顔をしている。そばに寄り添う鳴見さんは、私へ告白してきたときと同じ光がきらきらとまぶしく当たっていた。


 これでいいんだ、きっと……。たぶん……。


 「紫乃、おいで。変な顔している」

 「ごめんなさい、史緒さん。そういうんじゃないんです……」

 「紫乃はやっと失恋したんだよ。失恋って片方だけじゃないんだ。ふったほうにも影響が出なきゃ嘘だよ」

 「でも……」

 「いいよ。認めなよ。何しても、もう紫乃は私のものだから」

 「私が史緒さんを愛してもいいんですか?」

 「私だって思うんだ。紫乃を好きになる資格は、自分にあるのかなって」

 「いっしょですね」

 「そうだよ。私達は違わない。だから……」


 ふいに重ねられた唇には、もう不安はなかった。


 夏の陽射しはきらきらとまぶしすぎて、まっすぐ見ることができない。私と史緒さんは木陰の中から手をかざして見つめている。ずっといっしょにふたりで見つめている。


-了-

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問1: 正しい恋について答えなさい。ただし【A】、【B】のふたりのうち、いずれかを選ぶこと。 冬寂ましろ @toujakumasiro

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