第3話 鳴見さんとのキスと史緒さんとの嫉妬と


 それから熱帯魚、深海コーナー、クラゲの水槽……と、あちこち巡っていたら歩き疲れてしまい、カフェで休むことにした。明るい水槽が見えるところにみんなで座る。緑と青を散りばめた大きな魚が、ガラス越しにふわりふわりと泳いでいた。


 史緒さんはすっかりくたびれた声で、私達に言う。


 「悪い。なんか買ってきてくれる?」

 「私、行きます。紫乃先輩は何がいいですか?」

 「アイスコーヒーかな。史緒さんもそれでいいですよね?」

 「うん、頼む」

 「ふたりでコーヒーなんですね……。仲いいな」


 鳴見さんはくすくす笑いながらカウンターのほうへ歩いて行った。


 そうして鳴見さんがいない間に、史緒さんが私へ話し出した。


 「紫乃。あれじゃ鳴見ちゃんがかわいそうだよ」

 「そういうのじゃ……」

 「見てりゃわかるよ。前に言ってた告白してきた子って、鳴見ちゃんでしょ?」


 私は手をぎゅっと握る。

 黙ってうつむいていたら史緒さんが言葉を続けた。


 「返事ぐらいはしてあげなよ。健気過ぎて、こっちまで泣いちゃいそう」


 そんなこと言われても……。


 どう返事をしたらいいの?

 付き合えないって言っていいの?


 自分の中の想いが、水槽にいる小魚の群れのようにぐるぐるとまわりだす。


 ……史緒さんは私のことをどう思ってるの?


 どうしたらいいんだろう……。

 よくわからない。よくわからないよ……。


 「もう。またですか。そんな顔しちゃだめですよ、紫乃先輩」


 アイスコーヒーのカップを両手に持ったまま、鳴見さんが心配そうに私を見ていた。


 「名瀬先生、ちょっと紫乃先輩を借りてもいいですか?」

 「うん、行ってきな。ここで休んでるから」

 「ありがとうございます。ちょっとショップまで行ってきます」


 テーブルにカップを置くと、「行きましょう、紫乃先輩」と私と手をつないだ。

 私は引っ張られるように歩きながら思った。鳴見さんはもう手をつなぐことに躊躇しなくなった。恋は人を強くするのかも知れない。それなら私のこの想いは恋じゃなくて……。




 出口近くのショップは少し広く、壁際の戸棚にはぬいぐるみがたくさん置かれてた。その一角にペンギンコーナーがあった。イワトビ、ジェンツー、コウテイ……。大きさも様々だ。そんなペンギンのぬいぐるみ達を見ていたら、つい「ここは天国かな」とつぶやいてしまった。それを聞いた鳴見さんが、嬉しそうに言う。


 「良かった。ほら、紫乃先輩。これ、かわいいですよ?」


 それは手のひらサイズのペンギンのぬいぐるみだった。まだ子供のペンギンを模したもので、グレーの毛並みにつぶらな瞳が映えている。私はそれを手に取り、だいじそうに撫でた。


 「ここだけ毛がふさふさしているのって、いいね」

 「紫乃先輩。これ、いっしょに買いませんか?」

 「いいけど……」

 「やった。お揃いです!」


 鳴見さんが笑う。きらきらと光っている。それから泥にまみれた私の手をぎゅっと握る。


 「私、幸せです。好きな人とこうしていられて」

 「……私もだよ」


 それは告白への返事のように聞こえてしまったかもしれない。私にはただ史緒さんへの寂しさが少しにじんだだけだったのに。


 「そうなんですか? 嬉しいです。嬉しい……。紫乃先輩、ちょっとこっちに来てもらえますか?」


 また手を引っ張られる。そこは棚と建物の柱の間で、ショップの売り場から少し陰になるところだった。


 何をされようとしているのかは、わかっていた。

 私はそれを拒めなかった。


 鳴見さんの唇が、私の唇にぎこちなく触れる。当てるだけの軽いキス。でも、これは鳴見さんにとっては一大事だった。体の震えがつないでいた手から伝わっていた。


 鳴見さんの少し照れた顔がゆっくりと離れていく。


 「嬉しいです。だから……。私は、あんな顔させません」


 何かを決意するように、そう言われた。

 私はそれをうつむいたままで聞いていた。




 帰りの電車では、ひたすら寝ている史緒さんを横に、鳴見さんと私は手をつないだまま流れる車窓を眺めていた。ふたりで何も話さなかった。話してしまえば、いまこうしていることが壊れてしまうとわかっていたから。

 私達は夏の夕焼けに赤く染められる。つないだままの手も、この想いも……。


 駅に着くと、改札口を出たところで、鳴見さんと別れた。彼女は「また連絡します!」と大きく手を振ると、走っていった。私はその元気な後ろ姿を、少しうらやましく思った。


 あくびをしながら歩く史緒さんのあとについていく。ふいにスマホが震えた。手に取る。画面に『明日夜7時に公園まで来てください。待ってます』と鳴見さんからのメッセージが映し出されていた。


 私は顔を上げる。前を歩いていく史緒さんの背中をずっと見つめていた。



 ★



 マンションの部屋に帰るなり、史緒さんは椅子にだらしなく座った。


 「疲れたなー。現役女子高生の体力、ハンパないわ」

 「楽しかったですね。はしゃぎすぎました」

 「あれって、デートだよね」

 「そういうんじゃないですから」

 「私は紫乃のこと、わかってるよ」


 その言葉はずっと溜まっていた私の気持ちを吹き出させた。


 「わかってるなら! わかってるのなら……」


 自分の叫んだ声の大きさに驚いた。もう止められなかった。涙がぽたりぽたりと下へ落ちていってしまう。こんなに自分の気持ちがわからないのに、史緒さんはわかると言う。それなら、教えて欲しい。自分がどうしたらいいのか……。


 「紫乃、鳴見ちゃんとキスした?」

 「……していません」

 「ごめん、見てた」


 毛が逆立つ感じがした。私は史緒さんのそばに来ると怒りを吐き出した。


 「どうしてですか! どうして止めてくれなかったんですか! ひどいです……。ひどいです!」

 「うん。だからね。これからひどいことするよ」


 史緒さんが立ち上がる。顎をつかまれて、強引に私の口を吸う。こじ開けるように私の中へ舌を入れられる。舌と舌がこすれる少しこそばゆい感覚が、私の想いとは見当違いの快感となって体を蹂躙していく。


 それは鳴見さんのとは違う、爛れた大人のキスだった。


 抱いて欲しいという欲望が体からふつふつと湧き上がる。口の中を舐め合う音が、もっと違う水の音を連想させる。何度もされたあの音に……。


 私は抗った。こんなのは嫌だった。鳴見さんのまっすぐな気持ちを見たあとでこんな……。鳴見さんにとっては初めてのキスをされたのに、私は……。


 振りほどいて離そうとするのを史緒さんは許してくれなかった。腕をつかまれて抱きしめられる。そのまま首筋に舌を這わせられる。反応しちゃだめなのに「……んっ」と声が漏れる。


 「紫乃は本当に首が弱いね。耳をかまれるのも好きだし」

 「違い……ます……」

 「違う?」


 史緒さんのマニキュアをしていない指先が、私の胸のふくらみをやさしくなぞる。


 「左胸をいじられるのが好きだよね」


 私はそれから身をよじる。そんなことない、そんなことは……。


 史緒さんの手が離れると、私の太ももに触れる。ゆっくり感じさせるように、その指先を上へ滑らせる。


 「もう、すっかり中の方も好きだし」


 それを聞くと、与えられている快感より怒りが勝った。


 「史緒さんは、ひどいです!」


 振りほどこうと、私はでたらめにもがく。史緒さんは荒い息をさせながらそれを許してくれない。何度逃げようとしても、腕を捕まれ、無理矢理抱きしめられる。


 史緒さんは怒っていた。なぜ……。


 「紫乃。私が上書きしてあげる」


 私は力が抜けたように床に座り込んだ。そのまま史緒さんは、かぶさるようにして私を押し倒す。


 「なぜ自分で動いたの? なぜ自分で止められなかったの?」


 史緒さんが耳元でささやく声に私は答えられなかった。罰を与えるように首筋を噛まれる。体に走る疼痛が、私の快感を新しくする。


 「や……。待って……」

 「やだ。待たない」


 ブラウスのボタンを外される。ブラを器用に外す。あらわになった胸を指先で触られると、体がびくんと反応した。

 さすがに我慢できなくなって声をあげると、それを塞ぐように史緒さんが唇を重ねる。舌がまた私の中に入ってくる。私が弱いところをずっと責められる。何度も舌先でこすられる。くちゅりとした水の音が頭の中へいっぱいに広がってくと、もう何も考えられなくなる。

 史緒さんの片方の手が、私のスカートをまくし上げる。布越しにだいじなところを触られる。押さえるのでもなく、こするのでもなく、ただ指先を触れさせている。


 「いじわる……です……」


 私は体を抑えることができなくなって、史緒さんに抱きついた。漏れる淫らな自分の声に気持ちが高まっていく。もっと声を出させて欲しいと史緒さんに願ってしまう。


 「感じて……。もっと……。あんな子よりもっと……」


 史緒さんが怖いぐらい真剣な顔で私を見ていた。なぜ怒っているのか、私はようやくわかった。


 嫉妬しているんだ……。


 私を感じさせようと必死になっている史緒さんがそこにいた。鳴見さんより私のほうがずっといいでしょと言わんばかりに指先を動かしていた。私はそれをなんだかとてもかわいく思えてしまった。いつのまにか私を抱いている史緒さんの頭を撫でてあげていた。




 もうすぐ夜が明ける。うっすらとした紫色の光が、窓辺のカーテンを照らしている。

 私はけだるい気分に浸っていた。裸のままコーヒーを2人分淹れる。ドリップコーヒーのぽちゃんという音を聞きながら、私は椅子に座っている史緒さんにたずねた。


 「明日は家にいますか?」

 「もう寝る。くたくただよ。夕方まで寝てるかな。そのあとでかけるから」

 「仕事ですか?」

 「そうだね……」


 濁されてしまう。帰りには私が知らない石鹸の匂いをさせているのかもしれない。

 やっぱり私がいないほうが史緒さんはいいのかな……。


 「紫乃、どうした?」

 「いえ……。なんで史緒さんは私と一緒にいてくれるのかなって」


 言ってしまったあとに後悔してしまった。

 答えなんか聞きたくなかったのに。


 「なんだろうな。あの雪の日に話を聞いてかわいそうに思ったからかも」

 「……同情ですか?」

 「ちょっと違うかな……。ピチピチの女子高生だよ。肌とかすべすべだし、抱き得だし……。手放すなんて、もったいないから」


 やっとわかった。

 私も史緒さんの数ある彼女のひとりなのだろう。

 私達に見せつけられて、あわてて部屋から立ち去った女の人と、私はそう変わらない。きっとそうなんだ……。


 黙っていたら、史緒さんが裸のままで私を抱きしめた。


 「同じご飯を美味しいと言ってくれる。同じ本を面白いと言ってくれる。同じように体を感じてくれる」


 それでも史緒さんの好きは私と同じじゃない。


 「紫乃。同じだから、一緒にいられるんだよ」


 同じじゃない、もう……。

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