しあわせ書房3~備えあれば、憂いなし~

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備えあれば、憂いなし。

 学校が春休みを迎え、僕は杏樹と一緒に、鎌倉へデートすることになった。理由は彼女がドラマ「鎌倉殿の13人」にを見て、その世界にどっぷりはまってしまったことである。僕も少しだけドラマを見たけれど、特段面白いと感じなかったので、どうしてそんなにはまってしまったのか、いまいち理解に苦しんだ。


 昼下がり、商店街をさまよい歩く僕の足は、古びた看板のかかる「しあわせ書房」の目の前で止まった。入り口に置かれたラックには「旅行読売」や「旅の手帖」などの観光雑誌が並び、さらにその隣のラックには、全国各地の名所ごとに編集されたガイドブックが並んでいた。

 普通のデートならば、観光雑誌やガイドブックを読んで、あらかたコースを決めておけばそれでもう十分なのだが、文学好きである杏樹の気持ちを惹きつけるためにも、鎌倉に関する小説を読んでおきたいと思った。それに、ドラマにはきっと基となる原作本があるはずだし、それさえ読んでおけば、杏樹との話も弾むに違いない。

 そう考えた僕は「鎌倉殿の13人」と書かれたタイトルの本が無いか、店内をくまなく歩いて探した。しかし、ドラマのガイドブックはあるものの、同名の小説はどこにもなかった。

 頭を抱えて焦りだしていた僕は、少し遠くから誰かの目線を感じ取った。


「あの……また何か探してるんですか? 」


 透き通った声、揺れるポニーテール、ゆるやかに広がったフレアジーンズ。

 さっきから視線を投げかけていたのは、椎菜だった。


「いや、あの、ドラマで話題になった『鎌倉殿の13人』の原作本が無いかなって……」

「無いですよ」

「え? マ、マジで? 」


 椎菜はきょとんとした様子で、慌てる僕を見つめていた。


「あれは、ドラマ用に書き下ろされたものですから」

「そ、そうなんだ。じゃあ、いくら探しても無いですよね」

「でも、きっと原作の参考にしたんじゃないかって思える本はありますよ」


 そう言うと、椎菜はちょこまかと走りながら一番奥にある本棚へ向かい、タイトルを慎重に確かめた後、一冊の本を抜き出した。


「この本です。『鎌倉燃ゆ』っていうタイトルですけど、何人かの作家がそれぞれ鎌倉幕府について書いたエピソードを収録してるんです」


 椎菜から渡された本を僕は何ページか読んでみたが、ドラマの主人公・北条義時の生涯や、梶原景時など家臣たちのエピソードなど、ドラマに繋がる話が何篇か収録されていた。なるほど、これならば何とかいけそうかな?


「じゃ、この本を一冊ください」

「ありがとうございます。お客さん、あのドラマにはまってるんですか? 」

「そうです。今度鎌倉に行って、ドラマの舞台を見てこようかなと」

「うわあ、羨ましいなあ……私も昔は良く行ったんですけど、最近この仕事を始めてから、あまりお出かけしてないんですよね」


 椎菜は目を輝かせながら、花柄の包装紙で丁寧に包んだ本を手渡した。


「あ、そうそう。この時期の鎌倉はスギの花粉が多いですよ。ちゃんと対策していってくださいね」


 椎菜の気持ちはとても嬉しいが、僕はスギ林に囲まれた山間部で育ったせいか、耐性があり、花粉症にそれほど苦しめられたことは無かった。

 でも、椎菜のあのかわいい表情で言われてしまうと、素直に対策して出かけなくちゃダメだと、思わず身が締まる想いになった。



 デート当日、僕は杏樹とともにJR鎌倉駅で下車し、若宮大路を北へと歩いていた。

 杏樹は白いコートを着込み、ちょっとヒールが高めのブーツを履いて僕のすぐ隣に並ぶように歩いていた。化粧は相変わらず派手めで、濃いアイシャドウとばっちりとカールしたまつ毛を見て、ちょっと気合入れ過ぎじゃないか? と思わず突っ込みたくなった。

 今日はとても暖かく、真っ青で抜けるような空がとても気持ち良かった。しかし、時折吹きつける西からの風が強く、砂埃があちこちで舞い上がっていた。そのたびに杏樹は顔をしかめ、コートに付いた砂埃を必死に払っていた。


「やだなあ、今日は風が強いよね」

「そうだね……埃、大丈夫? 払ってあげようか? 」

「だ、大丈夫だよ。それよりもさ、健斗、歴史詳しいよね。健斗と話してるうちに、もう一度ドラマを見たくなっちゃった」


 僕は椎菜から薦められた「鎌倉燃ゆ」を読んで知識を蓄えていたおかげで、杏樹との会話は大いに盛り上がっていた。

 今回のデートにぴったりな一冊を紹介してくれた椎菜には、心から感謝の意を伝えたかった。

 やがて二人の目の前には、大きな鳥居が姿を現した。

 僕たちは手を繋ぎ、大きな階段を一歩ずつ踏みしめた。階段を上るにつれて徐々に朱色の大きな神殿が姿を見せ始めた。

 階段を登りきり、僕たちは後ろを振り向くと、眼下には鎌倉の市街地、その向こうには黄金色に光り輝く相模湾が見えた。杏樹はうっとりとした表情で、しばらくの間景色を見続けていた。


「ねえ、健斗」

「何だい」

「今日は一緒に来てくれて、ありがとう。私のワガママに付き合ってくれて、本当にありがとう」

「そんなこと気にすんなよ。さ、あとはお参りして、どこかで旨いメシでも食べようか」

「私、鎌倉野菜の美味しいお店調べてきたんだ! 一緒に行こうよ」


 僕と杏樹は肩を並べて参道を進み、本殿の前にたどり着いた。

 賽銭箱の目の前で両手を合わせ、願い事をしようとしたその時、


「クシャン!」


 杏樹は顔をしかめながら両手で口を押さえ、大きなくしゃみをした。


「だ、大丈夫か? 」


 僕は杏樹の両肩に手を当てたが、杏樹はうつむいたまま何度もくしゃみを繰り返した。


「花粉症かな? 今年はまだ症状出てないし、大丈夫かと思ってたけど」

「花粉症? 確かに今日はカラッとしてるし、風も強いし、花粉が飛んでもおかしくないけど」

「私、一度かかると結構ひどく症状が出る方なの。このまま外にいたらひどくなりそうだから、早くお店に行こうよ、ね?」


 杏樹は僕を急かすように上着の裾を引っ張ると、参道を一目散に駆け出していった。ついさっきまで、ゆったりと僕と肩を並べて歩いていたのに。



 鶴岡八幡宮を後にし、僕たちは繁華街から少し離れた所に建つ小さなレストランで昼食を食べた。鎌倉野菜をふんだんに使ったサラダや煮物、しらすご飯……少し値が張るけれど、一品一品がすごく美味しかった。

 一方の杏樹は、どこか浮かない顔をしていた。そしてまだ食べている途中なのに、ハンカチで目頭を押さえ、何度も拭い始めた。


「ねえ杏樹……何で泣いてるの?」

「な、泣いてるわけないでしょ? 花粉症……まさか、こんなに酷くなるなんて」


 やがて二人の目の前に、温かい味噌汁が並べられた。


「おお、今日は冷えるから、味噌汁は最高だな」


 僕はさっそく味噌汁をすすった。うん、具の一つ一つが大きくて、味噌もちょうどいい濃さですごく美味しい!

 杏樹も僕と同じように、お椀に口を付けてゆっくりと汁を飲み干そうとしていた。

 その時、杏樹は突然お椀から手を離した。


「クシャン!」


 杏樹は全身を振り絞るぐらいの勢いで、大きなくしゃみを放った。

 目からは涙がじわじわと流れ、鼻からは透明な鼻水がとめどなく滴り落ち、くしゃみの勢いで飛んだ汁がテーブルに散乱していた。

 さらに恐ろしいことに、杏樹のばっちり決めてきたメイクが涙でものの見事に崩れ、目の周りがパンダのように真っ黒になり、見るに堪えない顔になっていた。


「杏樹……お前、顔が……」


 杏樹は慌ててバッグから鏡を取り出すと、「ギャアアア!」と店中に響き渡るほどの声を上げた。


「顔がこんなにぐちゃぐちゃになっちゃった……どうしたらいいの? 」

「杏樹、落ち着くんだ。他の誰かに見られないように、すぐにトイレで直してきた方が……」

「こんなひどい顔見られて……私、もう二度と健斗に合わせる顔がない」

「僕が? 僕は全然気にしてないよ! 」

「帰ってよ! これ以上顔を見られたくないから、今すぐに帰って! 」


 杏樹は全身を震わせ、声は次第に凄みを増してきた。杏樹のメイク崩れの顔も相まって、僕はこれ以上杏樹のそばにいるのがだんだんと怖くなってきた。


「わ、わかったよ。お金は僕がちゃんと払っていくから、ちゃんとメイクを直して帰るんだぞ」


 僕がそう言うや否や杏樹は椅子から立ち上がり、「早く帰れ! 」と一喝してそのままトイレへと一目散に駆け込んでいった。


 精算を済ませて店から出た僕は、すぐ近くの森から大量に粉のようなものが舞い上がっているのを見かけた。

 考えてみると、鎌倉は市街地の周りが鬱蒼とした山林に囲まれていた。今日のような風の日には、花粉が市街地にどんどん飛散してきても不思議ではなかった。だからあの時、椎菜は僕に花粉対策しろって言ってくれたのか……。

 僕は椎菜の助言を守って普段よりしっかりしたマスクを用意し、十分すぎる位に対策を講じてきた。そのお蔭か、鼻水も咳も出ず、快適に鎌倉を楽しむことが出来た。


 僕は店を出た後、ひょっとしたら杏樹が僕の元へ戻ってくるかもしれないという淡い期待を持って、店の外でしばらく待っていた。しかし杏樹はその後も店から出てくることは無く、僕もとうとう待つことを諦めた。

 杏樹との仲は、これから一体どうなるのか……照り付けるまぶしい太陽の下、僕は背中を丸めて、賑やかな小町通りを一人とぼとぼと歩いていた。


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