「キモオタくん」の愛
芦原瑞祥
俺のアイドル
何のために生きるのか、なんて贅沢な苦悩を頭の中でこねくり回していた二十四歳のとき、交通事故で親兄弟を一度に亡くした。
ショックのあまり俺は会社を辞め、「こんな状態でも腹は減るんだなぁ」などと考えながら食っちゃ寝生活を一年ほど続けていたら、高校時代のオタ友達が気分転換にと地下アイドルのライブに連れて行ってくれた。
そこで、俺は
彼女の名は
他のメンバーと違ってまだ照れの残る歌い方、振り付け通りに踊るのに必死なダンス、『古事記』や『万葉集』のことを楽しそうに話す姿、その飾らなさがたまらなく尊く思えた。
「あー、はいはい、俺でも手が届きそうな『普通っぽさ』がいいってやつね」
オタ友は言ったが、そうじゃない。うまく言えないけれど、出口がわからなくて真っ暗闇の中にいる俺にとって、おはなちゃんは本当に後光が差して見えたんだ。
その日から俺は、おはなちゃんの追っかけをはじめた。
前売り券のまとめ買いはもちろん、グッズもすべて購入、一枚千円のチェキもたくさん頼んだ。親の遺産や事故の保険金で、お金だけはたくさんあったから。
地下アイドルの追っかけ連中にはよくない奴もいて、月数十万で推しに愛人契約をもちかけたり、使用済みパンストを二万円で売ってくれとか言い出したりもする。俺はそういう奴らとは違うんだと、おはなちゃんに安心してほしかった。だから、決してボディタッチはしないし、長々と引き止めたりもせず、良客として振る舞っていた。
おはなちゃんが放つ後光のお陰で、暗闇だった俺の周りが少しずつ照らし出されてきた。
いつものようにライブへ行こうと鏡を見たら、無精髭に伸びきった髪のだらしない男がそこに映っていた。俺は慌てて床屋へ行き、清潔に見えるよう身なりを整えた。
といってもよれよれの古くてダサい服しか持っていなかったので、次の日にはイオンでマネキンが着ているのと同じ服を一式を揃え、翌々日には百貨店のブランド店で服や靴、鞄、財布などを買った。
不摂生ばかりしていた俺は、腹が出て体型が崩れただけではなく、なぜだか足が痛んだり、だるさが抜けなくなっていた。俺は自炊を始め、毎日筋トレとジョギングを欠かさないようにした。
おはなちゃんに会っても恥ずかしくない自分でいられるため、おはなちゃんのライブに通い続ける体力をつけるため。俺の世界はおはなちゃんによって広がり、おはなちゃんのために周り始めた。
おはなちゃんに入れ込む俺に、オタ友は「SNSのプライベートアカウント特定だけはするなよ。罵詈雑言しか書かれていないからな」とアドバイスしてくれた。けれども俺は、おはなちゃんのすべてを知りたくて、日々アカウント特定に精を出した。
頭のいいおはなちゃんは手がかりを残さないだろうから、同じ吉笑天女のメンバーの特定から始めた。センターのユリちゃんのアカウントから、他のメンバーも芋づる式に出てくる。
どうやら吉笑天女の他のメンバーから、俺は「キモオタくん」と呼ばれているらしい。まあ、初期の俺は無精髭にペタッとした長髪にヨレヨレ服と、かなりアレな状態だったから無理もない。あだ名は酷いがおおむね「いい太客」「おはなちゃん以外にもお金落としてほしい!」と、嫌われてはいないようだった。
そしてようやく、俺は本命のおはなちゃんのプライベートアカウントを特定した。
他のメンバーの投稿が、ライブの嫌な客の愚痴や、他のアイドルへの嫉妬、不平不満に満ちているのに対し、おはなちゃんのアカウントは大学の研究や小説の感想、景色の写真などが主で、アイドル活動のことはほぼ書かれていなかった。もちろん俺のことを「キモオタくん」と呼ぶこともない。
ただ、まったく愚痴がないわけでもない。
おはなちゃんは金銭面で苦労しているらしい。地下アイドルなのも「勉強をしながら短時間で稼ぐため」で、本当は塾講師と家庭教師バイトだけにしたいようだ。なんでも第一志望の企業が「TOEIC800点以上」「英語はビジネスレベルで話せること」が条件だから、イギリス留学の費用をコツコツ貯めているとか。
おはなちゃんの、つましい手作りご飯の写真を見て、俺は胸が締め付けられる思いだった。いっそのこと金銭援助を申し出たい。けれども良くも悪くも普通の感覚を失っていないおはなちゃんは、愛人契約を持ちかけられたと思って逃げるだろう。最悪、アイドル活動をやめてしまうかもしれない。
おはなちゃんは俺の世界を照らしてくれるけど、俺はおはなちゃんの世界に入ることはできないんだな。他の子みたいに「あたしの小さい頃の写真、いくらで買ってくれます?」なんて言ってくれたら、十万でも二十万でも渡せるのに。
そんな折、吉笑天女センターのユリちゃんが自殺未遂を起こした。幸い命は取り留めたけれど、精神的にかなり不安定になっていて、復帰の目処はたたないという。
そして公式から、一週間後のおはなちゃん誕生日ライブを最後に、吉笑天女は解散する、とアナウンスがあった。
呆然となった俺は、日がな一日おはなちゃんのプライベートアカウントを眺めた。垢消しに備えて、投稿も写真もすべて保存済みだ。
おはなちゃんの新しい投稿があった。もうアイドル活動は辞めて、新しいバイトを増やすのだという。
俺は泣いた。一晩中泣いた。
俺の世界は再び暗黒になってしまった。
誕生日ライブが、恐らくおはなちゃんと今生で会える最後になってしまう。
俺は、用意していた誕生日プレゼントを捨て、別のものを仕立て始めた。
一週間後。センターを欠きながらも吉笑天女のライブは大いに盛り上がった。俺は、おはなちゃんの姿を目に焼きつけようと、一瞬も見逃さないよう心のシャッターを切り続けた。
ライブ後のメンバーとファンの交流は、これが最後とあってみんな別れを惜しんでなかなか帰らなかった。おはなちゃんへの誕生日プレゼントは山のようにあり、長机からこぼれ落ちそうになっていた。
ずっと後ろの方で控えていたから、俺が最後の客だ。
この日のために新調したスーツ姿で、俺はおはなちゃんの前に立った。
「お誕生日おめでとう。……どうか、お元気で」
もっと他に伝えたいことがあったのにそれだけ言って、俺は紙袋から取り出したプレゼントをおはなちゃんに渡した。
二十㎝くらいのテディベアのぬいぐるみ。首のリボンは、おはなちゃんの担当カラーの水色だ。包装はあえて透明で、中身が見えるようにしている。
「わあ、ありがとうございます! ……大輔さんも、お元気で」
まぶしすぎる笑顔で、おはなちゃんが言う。
おはなちゃん、俺の名前、覚えててくれたんだ……。
涙が込み上げてきて顔をあげることができない俺は、深く一礼した後、逃げるように会場を去った。
廊下に出ると、他のメンバーが「おはな、ぬいぐるみとかマズイよ」「カメラとか盗聴器とか仕込まれてるのよ。ほら、お腹のとこ、ちょっとほつれてる」と言うのが背後から聞こえた。おはなちゃんがぬいぐるみを持ち帰ってくれることだけを願って、俺は地下のライブハウスをあとにした。
一ヶ月半後。おはなちゃんは念願のイギリス留学が決まったらしい。彼女のプライベートアカウントによると、今日が出発日だ。
その投稿には、テディベアのぬいぐるみの写真が添えられていた。「Dさん、ありがとうございます!」というメッセージとともに。
俺が渡したテディベアのぬいぐるみ。
両の瞳を取り外して代わりに嵌め込んだのは、大きなブルーサファイア。首のリボンの中央には、ブリリアントカットのダイヤモンド。そして、わざとほつれさせたぬいぐるみのお腹の中には、これらの宝石の鑑定書。
ぬいぐるみをそのまま捨ててしまわないかは賭けだったが、おはなちゃんはひとまず手に取り調べてくれたらしい。「キモオタくん」呼ばわりも役にたったな、と俺は苦笑する。
宝石を三つとも売れば、イギリス留学してもお釣りがくるぐらいのお金になるはずだ。
おはなちゃんは律儀な子だから「受け取れません」と返しにくることも予想して、俺は連絡先がわかるものを一切残さなかった。
おはなちゃんのSNSの投稿には、「いただいたものの一割はNPO法人に寄付しました」と、一部をマスキングした領収証がアップされていた。
全部使ってくれたらよかったのに、本当にいい子だな、おはなちゃんは。
君を推すことができて、幸せだったよ。
「……お金もなくなったことだし、そろそろ就職するかな」
求人情報誌でも買いに行こうと、俺は本屋へと向かう。
見上げた青空を、飛行機が横切っていった。
「キモオタくん」の愛 芦原瑞祥 @zuishou
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