あとがき

 今回はGender - Sexismをお読みくださり、ありがとうございました。本作は執筆者である僕が日常で感じた疑問を基に、「性」に関する世間の理解促進に貢献できないものかと思い立ったことで生まれた作品です。


 それにしても難しい問題ですよね。確かに性的少数者への配慮は必要ですが、彼らの立場を慮るあまりにその主張を全面的に支持する勢力が生まれた結果として、風呂やトイレといった究極的なプライベート空間においてが異なる人間を見かける機会が発生してしまうため、他の利用者に不安や不快感を与えてしまうかもしれない。


 例えば営利目的で運営されている民間公衆浴場があったとします。当然ながら、彼らも客商売なので沢山のお客さんにお風呂を楽しんでほしいと考えている。そこに性的マイノリティのお客さんが来て、外見とは異なる性のお風呂に入れてくれと言う。その人にも気持ちよくお風呂を楽しんでほしい番台さんは悩みます。「この人の要求を呑んであげたい、けれど身体と心の性が異なる客が入れば他の客を驚かせてしまうだろう」と。そうなれば、その公衆浴場からは客足が遠のくことになるかもしれないので、番台さんは一先ずその場では性的少数者の入浴を拒否せざるを得ないでしょう。こんなエピソードをSNSなどで見かけたら、貴方はどう感じますか?


 こういう問題はタトゥーにも言えますよね。外国人観光客の増大によってタトゥーへのイメージは大幅に改善しましたが、未だにタトゥー=罪人や暴力団の象徴といったイメージが日本人の間には根強く、日本においてはタトゥーが入っているというだけで様々な公共機関の利用を拒否されます。この問題の悲しいところは「誰も何も悪いことをしている訳ではない」というところに尽きると思います。


 スポーツ界においては、この問題はより顕著に表れていますよね。誰も悪くないのに、誰かが悲しい思いをしなければならない。最近の議論の趨勢を換言すれば「誰に諦めてもらうか」を決めているといっても過言ではないかと思います。純粋に競技として切磋琢磨している既存の選手を保護するのか、コンペティションに参加したいトランスジェンダー選手を保護するのか、どちらを切り捨てるかといった側面でしか考えられないのは大変悲しいことですね。


 貴方はジェンダー平等についてどう思いますか?何が「差別」として排斥されるべきか、何が「区別」として許容されるべきか、その境界をどこに求めるのか、貴方のご意見をお待ちしております...。

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Gender yokamite @Phantasmagoria01

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