詭弁

冴木さとし@低浮上

最終話 最後まで言わないであげたんだからな?

 俺は犬猿いぬざる雉太郎きじたろうというフツメンの書苦世夢カクヨム大学4年生。本日締め切りの課題を部室で必死に専門書と格闘している哀れな奴だ。ほんとに涙がでそうだ!

「犬猿先輩、これって知ってます?」

 と聞いてきたのは鬼怒川きぬがわ赤五郎あかごろう


「なんだ?」

 と俺は短く答える。コイツは俺の後輩の鬼怒川。ぼさぼさ頭で牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけたお笑い好きの大学3年生。俺と同じく実験用の白衣を着ている。頭をぽりぽりかきながら鬼怒川は続ける。


「えーっとですね。線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。トロッコっていっても今でいう普通の電車らしいんですけどね。で、この電車が暴走して前方で作業中だった5人を猛スピードでひき殺しそうになったらしいんですよ」

「ん、それがどうかしたのか?」と俺はその問題は特に興味ないなぁ、と考えながら答える。それでも鬼怒川は聞いてくる。


「この時たまたま線路の分岐器のすぐ側にいたとして、電車の進路を切り替えれば5人は確実に助かるんです。でも進路を切り替えた先にも1人が作業中で、進路変えたらこの人が電車にひかれて確実に死んじゃう。この時に進路を変えるべきかどうか? という問題。これを『トロッコ問題』っていうらしいんですよ」


「だからどうだっていうんだ?」と、課題を提出するため1分1秒が惜しい俺は、思ったままを答えた。鬼怒川は

「この『トロッコ問題』から、何か良いとっかかりを僕と犬猿先輩との共同論文に何か得られないかな? と思って」

 と答えた。なるほど。そういうことかと思った俺はちょっと聞いてみるかと考え直す。


「電車の進路を変えるか否か? って聞かれたらどう答えます?」と鬼怒川は聞いてきた。どうって言われてもなぁ、と少し考え「どうでもいいな」と俺は答えた。 


「えー、なに言ってるんですか。どんなテストにだって答えがあるじゃないですか。犬猿先輩にはこの問題に何か思うところはないんですか? 5人か1人がこのままだと確実に死んじゃうんですよ!?」

 鬼怒川は引き下がらず問い詰めてくる。んーっと考えてから「じゃぁ、例えば電車に飛び乗ってブレーキをかける」と、ぶっきら棒に俺は答えた。


「現代の電車が猛スピードで走ってたら無理じゃないですか? 飛び移るだけで死んじゃいますよ!? 他に良い案ってないんですか?」

 鬼怒川は反論してくる。確かにそうなんだがな。とはいえ、素直に応じるのはなんか納得がいかないんだが、まぁ仕方ないか。共同論文のためだもんな! と俺は割り切った。


「他にか? んー、線路を切断して脱線させて電車を止める」

 これならどうだと俺はグッと親指立てて手を握る。

「真面目に答えてくださいよ! 線路を切断するなんて短時間にできる訳がないでしょう? 工具もないし。それに電車に乗ってる人が大ケガして大問題になっちゃいますよ!?」

 鬼怒川はまたしても反論してくる。


 真面目に答えたんだけどな。そんな突っかかってこられても、俺はちゃんと答えているつもりなんだが。俺は課題で忙しいのに答えてるだけマシって思ってくれないかなぁ。コイツには俺の隣にそびえたつ、エレベストみたいな専門書の山脈が、見えてないとでもいうのだろうか!? 


「他になにか案はないんですか?」と察しの悪い鬼怒川は食い下がってくる。共同論文のためって聞いたのに、コイツ自分で何も考えないじゃないか。

「お前の興味関心にバカ正直に答えたとして、俺に何のメリットがあるんだ?」

 鬼怒川の顔を見ながら、なんでこんなに答えてもらって当たり前みたいな態度で聞いてくるんだろう、と思いながら話す俺。


「……今日のお昼は僕が買ってきますよ?」

無料飯タダメシか!? じゃぁ、電気を切って電車を止める」

 ご機嫌になった俺はブラックコーヒーを飲みながら答える。貧乏学生はつらいよな!


「やっぱり適当じゃないですか! そんなの緊急時にすぐできる訳がないでしょう! 間に合いませんよ! そもそもレバーの操作以外は出来ない設定なんですから!」

 勝ち誇る鬼怒川。そして反論する俺。


「死人がでるような選択肢しか、初めからないんだろ? そんな問題には『分からん』で充分な答えだろう」

「『分からん』じゃ答えになりませんよ。だって『はい』か『いいえ』で答えろって問題なんですから!!」

 俺の弱点を突いたかのように鬼怒川はドヤ顔で言ってくる。俺は本当に心の底から面倒だと思った。


「今更なに言ってるんだ? お前が『他に、他に!』ってノリノリで聞いてきたんじゃないか。たった1回の無料飯だけじゃ、まともに答える気にもならん。それにもう3つも答えただろう? あっちにいけ! 俺はこの課題を今日中にまとめないといけないんだから!」


 頭を掻きむしりながら、シッシッと手を振って鬼怒川を追い払おうとする俺。だって面倒なんだもの。少しは自分で考えろ! と優しい俺は心の中で文句を言う。気が小さいからじゃ、ないんだからな!


 鬼怒川は不満たらたらで話す。

「『トロッコ問題』は道徳的にどうかっていうところが大きい問題なんですよ!?」

 鬼怒川は今度は道徳問題だと騒ぎだした。ほんとに今更だなぁ。そもそもでいったら宗教の教義が絡んでくるんだから、純粋な道徳ってことでもないんじゃないかな、と俺は思うんだけどなぁ。


 まぁ、いいや。そこら辺は俺もよく分からんし。コイツは適当に煙に巻いて課題をしよう。これ以上話しても時間の無駄だ。妙案なんてでないだろうと俺は思った。


「お前は道徳の問題だと思うのか? その解答用紙には当然『はい』か『いいえ』で答えるんだよな? 俺なら記入しないで白紙でだすさ。それとな、お前は5人が死ぬのと1人が死ぬという解答のどちらが正しいと思ってるんだ? どちらも正しくないと思うなら、それは分からないってことじゃないのか? それなら『答えない』という選択肢が俺の答えだ。それだけの話だろう」


「そんなの……詭弁ですよ、ずるいですよ!」


 俺は鬼怒川のおでこにデコピンをする。

「いった~い。何するんですか!?」

 鬼怒川は涙目で抗議してくる。この程度のデコピンでなにを騒いでいるんだ。今日提出しないといけない課題は俺の単位に直結するんだぞ!? 


「この問題って衝突が避けられない状況で、AIによる車の自動操縦の判断基準をどのように設計するか? という問題をどう考えたらいいかってところにつながってくるんですよ」

 鬼怒川は不満そうにまたしても話を続け、俺の課題作成の時間を奪っていく。納得いかないらしい鬼怒川は声を大にして主張を続けてくる。


「これから先の未来でAIが適切に判断できないときは、誰かが死ぬかもしれないってことなんですよ? 倫理の問題なんです。犬猿先輩は問題の大きさが分かってないんじゃないですか!?」

 答えて当然という態度で鬼怒川は聞いてきた。


「お前な。衝突が避けられない状況でAIの判断基準をどう設計するかというのが問題の本質だというならさ。別に映画でよくみる緊急停止装置でも自爆装置でも電車に取り付けておけばいいだろうが。『トロッコ問題』の電車には誰が乗ってるとか周りに何があるとか、電車がいる位置もタイムリミットすら書いてないんだろう?」


 ほんとにもう少し自分で考えろよ。人に聞かないとなんにもできない人間になっちゃうぞ? と思いながらも丁寧に答える俺。


「要は電車が暴走した時に、電車を止める手段をなにか作っておけって話じゃないのか? 倫理なんて難しいこと考えなくても電車の停止手段を、1つで心配なら2つでも3つでも、それこそいくつでも作ればいい話だろうが」


 鬼怒川は黙った。自分で考えろ、そんなややこしい問題と俺は思った。両頬を膨らませて拗ねる大学3年生の男。可愛くない! 抗議の意味も込めて鬼怒川の膨らませた両頬を、俺は両手の人差し指で「おりゃっ!」と同時につぶす。


「何するんですか! それにそんな言い方、どう考えてもずるいですよ!」

 両頬をさすりながら抗議してくる鬼怒川。じゃぁ、面倒だけど別の切り口から話してあげよう。


「そうか? そもそもどういうものかよく分からんAIという新しいものを設計に入れるなら、今ある仕組みだけで考えないといけない問題なのか? って気が俺はするけどな」

「でも……」 

 何か言いたそうな鬼怒川に畳みかけるように俺は追い打ちをかける。


「それにな、そんな胸くそ悪い問題で満点取ったって、俺は少しも嬉しくないんだよ。俺にはよく分からんけど、0点とった方が道徳的にはいい人なんじゃないのか? それともお前にとっては人を殺す理由を、バカ丁寧に書くのが道徳的にいい問題だっていうのか?」


 黙りこくった鬼怒川を見る。トロッコ問題の話はで、AIの自動操縦はのお話。この論点の条件をすり替えたんだ。AIは車の話なのに電車という設定で話を展開させたりしてな。ちょっと意地悪だったかと俺は反省した。下を向いてしょぼくれてる鬼怒川を見て、しょうがないなぁともう1つ付け加える。


「言い過ぎたよ、悪かったな。でもな、これだけは勘違いするなよ? 何も選択できず行動もできなかったほうがいい人だ、なんて言うつもりもないからな。仮にそんな状況になったとしたら、周りをみてタイムリミットまで足掻きつづけろ。そんな状況をなんとかできる可能性があるとしたらそれだけだ……まったく。ほら! 元気だせ! お前は元々めげない奴だっただろう。それに正解がないのが『トロッコ問題』の本質だろう?」


 ブラックコーヒーを飲み、ニヤリと笑って俺はそう答えた。とうとう最後まで少しは自分で考えろ、と言わなかった俺はどこまでいっても優しい先輩だ。


 鬼怒川はいつもみたいに、ひょろひょろの上腕二頭筋を俺にみせつけて「悔しいです!」と叫んだ。俺は「課題するか」と言って鬼怒川のおでこに、もう1回デコピンしといてやった。



 終

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