ダンケ堂

律華 須美寿

ダンケ堂

 私、言永ことながひかるはこの町に住んでそれなりに長いけれど、すべてを知っているなんて思ったことは一度もない。むしろ知らないことの方が多いと思っている。

 例えばお隣のおじさんは何をして過ごしている人なのか。私が小学生の頃から存在するあの空き地には小さな祠があるがアレは何なのか。知らないことだらけだ。多分この先、高校を卒業して大学進学のためこの町を出るまで、私の中に積もり続けるこの『知らないこと』は増え続けていくのだろう。

「え……?」

 しかし、だ。

「何……ここ……?」

 流石に自宅の近くにこんな店があることぐらいは、事前に知っていて然るべきではなかろうか。

「…………本屋?」

 日もどっぷり落ちた時間帯。塾の帰りに近道しようと通った小道。大通りから一本外れたこの道は狭く暗いが、同時に車通りも少なく歩いて移動するには格好の抜け道である。

 道の方を向いて建っているのはどれも古くて大きな家々。若干朽ちた木材が醸し出すホラー映画じみた空気感は嫌いだし、どう見ても廃屋! って感じの建物なんかはもうとっとと取り壊して欲しいものなのだが、流石に私の一存でそんなことができるはずもない。一市民として大人しく、ここを通り抜けさせていただいているのが日常である。

 しかし、何度も通ったこの道に、こんな店があったことなんて一度もない。周りの家と同じくらい古ぼけているが、周囲の雰囲気とは明らかに違った佇まいを見せるこんな書店を見たことなんて、一度も。

「……ん~……?」

 何と言ったらいいのだろうか。周りの家が昭和チックで典型的な『昔の家』だとするならば、ここだけは明治期の空気が流れていると言うか。どことなく感じる小洒落たニオイが『レトロな建造物』といった言葉を想起させるのだ。古くて汚れているが、決して古臭くて不潔だとは感じない。むしろ、祖父母の家に感じるなつかしさのようなものさえ見出し始めている。完全に始めて見た異様な建築物なのに。可笑しい。

「……名前……なんて読むんだ……?」

 入口であろう両開きの扉の上には巨大な木の看板が掛けられている。横に長い長方形のその板には黒いインクででかでかと文字が記されているが、看板自体がこげ茶色に変色しているせいで肝心の店名がほとんど読めない。辛うじて見える文字を私なりに解読し、つなぎ合わせ――

「……だ……んけ、堂…………。 ……ダンケ堂……?」

 いやそんな。いきなりドイツ語で感謝なんて述べられましても。

 明らかに読み間違えているが、ほかにどうとも読めないのだから仕方ない。店主がドイツ好きなんだ。と勝手に解釈しておいて、納得する。納得して、考える。

「…………入るべきかな……」

 そう。問題はそこだ。

ここに興味はある。スゴく気になる。中にどんな本があるのかとても見てみたい。

だが同時に、こうも思う。ここに入ってはいけない。不用意に知らない場所に行ってはいけない。特にこんな、意味不明で怪しい場所になんて、絶対。

「……どォ~しよ…………」

 頭を掻きながら呟く。とりあえず、手元の携帯端末でここのことを検索してみようか。通学鞄の中に仕舞ったままのはずだ。その場にしゃがみ込み、鞄の口を開ける。スカートの裾がずり落ちてくる嫌な感覚がするがまあいいだろう。ここは誰も通らないし、そもそもすぐ立ち上がれば何の問題もない。

 そんな余計な思考を展開しながらも、目当ての物を指先に見つけた丁度そのとき。

「いらっしゃいませ」

「うえっ!?」

 唐突に、目の前から声がした。

「…………」

「…………」

 目の前の扉が、開いている。

「…………え~、とぉ…………?」

 ダンケ堂の中から上半身だけを出した若い男性が、こちらを見下ろしていた。


「……しかし驚きましたよ。 あなたのような若いお方が、まさかこの店に興味を示されるなんて……」

「いや……興味持つなって方がムリですって……こんな……」

 入るか否か考えているうちに店主が出て来てしまった。これではもう無視するわけにもいかないだろうと『ダンケ堂』への入店を決めた私だったが、あながちこの選択は間違っていなかったようだ。

 導かれるままに執事風の男性について扉を潜った私を出迎えたのは、本の壁だった。いや、そう形容するよりほかない、圧倒的な『壁』だったのだ。扉の左右からして既に本棚しかない。どこの通りを見ても本棚。上を向いても天井までひたすら本棚。梯子をちょっと昇って向こう側まで見てみても、どこまでも続く本棚しか見えないのだ。この店こんなに広かったっけ? そう思わないでもないが、何分こちらはつい先ほどまでこの店の存在すら知らなかった身分だ。もしかしたら、この通り一杯に敷地を拡げた本屋である可能性も捨てきれない。そう思って無理やり納得することにした。可笑しなものを強引に受け入れるのはもう慣れた。

 それでも理解できないものはなくならない。

「でも……背表紙、これ見たことないものばかり……日本語もあれば英語も……これは何語……?」

 そう。どこの本棚にもぎっしり本が詰まっているのだが、そのどれもが見たことのない書物なのだ。合皮と思しき立派な表紙に記されているのは、どれ一つとて同じもののない作者の名前。それもどうやら法則性も何もないようで、日本語の名前の横に、イニシャルも一致しない外国人の名前が並んでいたりするのだ。タイトルも含めて表記されているのならジャンル分けの推測も立ちそうなものだが、本当に作者の名前しか書かれていないのでそれも分からない。不思議だ。

「不思議ですか? そうでしょうね。 どうやら本のことを勘違いされているようだ」

「勘違い……ですか?」

 背表紙に向けていた視線を傾ける。薄笑いを浮かべた顔立ちのいい男性に向き直る。背も高く、スタイルもいい。近寄れば良い香りもしてくる。良い男であることは間違いいないだろう。この上ないほど不気味ではあるが。

「まずそれ……あなたが作者の名前だと思ってらっしゃるそれは本のタイトルです……。 二つとして同じもののない、この店のオリジナル……。 毎晩私が丹精込めて記しあげた、私の著書です」

「えっ!? この本屋の中、全部お兄さんの作品ですかッ!? すご!!」

 思わず喉から声が飛び出す。店の中だと言うのに。本の壁を反響した声はぐわんぐわんと遠くのほうまで消えていくが、私の動揺は一向に消え去りはしない。当たり前だ。これほどの量の書物をすべて一人で書いたなどと、そんな話を聞かされれば。

「そんな……無理でしょ、フツーに考えて!! ……時間足んないって! それに、中身は何書いてるんですかッ!!」

 先の叫びで吐き出しきれなかった分の動揺も声に乗せる。まだまだ言いたいことはあるがこれだけはどうしても言わざるをえない。

 しかし男性の方は、至ってクールなまま、小さく口を開くのみ。

「簡単です。 ただ本に書き記すだけのことですし、時間もいくらでもあります……あなたたちが有効に使えていないだけのことなのです。 それに内容だって、待っていても無限に湧いて出てくるものですから……」

「へぇ~、作家先生は言うことが違いますな~」

「先生だなんてそんな……ここに来れたんです。 あなたにもあるはずですよ。 後悔するような何かが」

「後悔? ……何を言って…………あっ」

 何だか煙に巻くような変なことを言われた気がするが、それどころじゃなかった。言われて気がついた。私は今、ここに来たことを最大級に公開している。

「帰らないと! 今すぐッ!! ……お母さん怒ってるよ~ッ! もう夜は早く帰るって約束したのにィ~!!」

 そう。度重なる夜遊び――ただ友達とコンビニ前で駄弁ったり、塾の先生を質問攻めにして遊んだりしてただけである――のせいで、我が母親は私の放課後の行動に非常に敏感になっているのだ。塾からはまっすぐ、寄り道しないで帰る。そう誓ったはずなのに。トホホ、これでまた拳骨確定である。

「そういうことなんで、私これで失礼しますッ! また来ますんで……」

「待ってください」

 大慌てで走り出す私を男性が制す。こんな時に何だ。思わないでもないがとりあえず振り返る。話があるなら早くしてくれ。そう瞳で訴えるために。

「出口はそちらではありません。 正確に言うなら――」

 だが、その必要はなかったようだ。

「――まだ、どこにも出口はありません」

「……えっ?」

 立ち尽くす私には、そんな必要は。

「あなたはまだ見つけていません。 あなたの本を、まだ」

「だから、何言って――――」

 この先語られる、男性の言葉を聞いた私には。

「いいですか、この本は『後悔』です。 ……ここに名の記された人物の、人生の後悔。 そしてこの店は、この世のすべての人間の後悔を記録するための『懺悔室』なのです」

「…………後悔……懺悔……?」

 脳裏にフラッシュバックするのは入店直前の風景。私はあの看板を、何と読んだんだったか。

「そうです。 ここに来た方は誰であろうと、自らの過ちと向き合わなければなりません……。 出る方法はそれだけです。 ご自分の『懺悔の書』を見つけること、それ一つなのです……。 例外なく」

「懺悔……懺悔……」

 読みづらかったあの文字。『ダンケ』と呼んだあの文字。

「それがここ、『懺悔堂』の掟です……!」

「……ざ……んげ、堂…………。 ……ザンゲ堂……!」

 血の気が引いて行く。足元の感覚が分からない。

 感謝なんてとんでもない。私は、後悔させられるためにここへ来たのだ。


「はっ……はっ……はっ……!」

 走る。走る。本の間を走る。

「だからどこにもありませんって……出口なんて……」

 聞こえる。聞こえる。どこまで行っても。

「そんな……そんなことって……こんな…………!」

見渡す限りの本の壁。どこまで行っても本の山。

「……どおおォやって見つければいいのッ! こんな中からっ!!」

 色とりどりの背表紙が、せせら笑うように見下ろしてくる。

「言ったはずです。 後悔と向き合うと。 ……これが懺悔です。 己の罪と向き合うのです」

「知らないよッ! あんたの理屈じゃん!! ……私はまだ人生振り返ったりしたくないのッ!!」

「……しかし現にあなたはここへ来た。 気持ちはわかりますが落ち着いて…………」

「だまれえッ!!」

 いつの間にか背後にまでやって来ていた男に向かって吠える。この場所が普通じゃないイカれた空間であることは疑いようもない。つまりこいつも、普通の人間じゃない。いや。

「……人間でもないあんたなんかに! 判ってたまるかよッ!!!」

 そもそも私の知るどの種類の生き物とも『別』の存在と考えるべきだろう。神様か、悪魔か。妖怪か。はたまた何かの概念の擬人化か。わからないが、とにかくこいつは『人』ではない。本能的にそれだけは理解できた。アニメや漫画にうつつを抜かしていた経験が活きたと考えるべきか。はたまた、それも受験生故の『懺悔』と捉えるべきか。

「…………困りましたね……」

 こちらの事情なんて本当に知らなそうに、男は大げさなため息とともに額を押さえる。そのままヤレヤレと首を振り、通路にへたり込んだ私を見やる。

「……こんなに物分かりの悪い人は初めてだ……。 ……ここに来た人間は沢山いましたが、皆ご自身の後悔と向き合ってしっかりと『懺悔』を果たされたのに……。 時間はあると言ったでしょう? ここは外とは時の流れが違うのです。 ……正確に言うなら、ここにいる限り、あなた達は私と同じように時間を『有効活用』出来るのです。 終われば元の世界に戻れます。 ……さァ、分かったら『懺悔』を始めてください。 決断は早いに限りますよ」

「……………………」

 苛ついてはいるようだが、それでも淡々と事実のみをこの男は語っている。それが余計に事の深刻さを私に伝え、脳みそを掻きまわす混乱の渦を加速させていく。時間の流れが違うということは、少なくとも私はお母さんには怒られなくて済むということか。いや、どのみち帰宅が遅くなったことについては怒られてしまう。そしたらまた後悔が増えちゃうな。せめてこいつみたいに勤勉に生きていればよかった。そしたらもっと、お母さんに恩返しできたかも――

「……ここに来たこと自体を後悔したのですか。 ……やめた方が良い。 後悔が増えるほど、懺悔は困難なものになりますよ」

「…………けんな……」

「えっ」

「ざっけんなって言ったんだッ!」

 男の言葉を遮って立ち上がる。湿っぽい空気はここまでだ。もう悩んでいられない。こうなったら見つけてやる。何が何でもその『懺悔の書』とやらを。

「ようやくその気になりましたか……これで私も自分の仕事を…………って、えっ!!?」

「このやろおおおぉぉがあああぁぁぁっ!!!」

 本棚に飛びつき、片っ端から本を引っこ抜き、床に放る。段の一つが空になったら次。その又次。手ごろな所が空になったら、隣の本棚も同じ目に合わせる。

「何してるんですか! やめてください! それ直すのも私なんですよッ!!」

「知るかッ! 後悔するなら……」

 高らかに、一冊の本を掲げる。

「……ンなとこに私を入れたことを後悔しやがれえええッ!!!」

「な――――!」

 ビリビリビリ。音楽も何もない空間にはショッキング過ぎる悲鳴が上がる。それは男の喉から出たものか、それともページを破かれた本があげたものか。

「――ッ!! ふざけるなよッ! これもまた『懺悔の書』に書き加えてやるからな! ……これでその分だけ、お前と本の距離は遠くなる……!」

「あ――!」

 冷静さを完全に失った男が叫ぶ。そうして虚空に突き出した手の中には、一冊の本が現れる。

「後悔するなら……自分の愚かしい行動を後悔なさいッ!!!」

 ペンを突きたて、向き直った先にいる私は、さぞ屈辱と公開に苛まれた顔をしていたことだろう。

「…………見つけた」

「…………え…………?」

 こいつの頭の中では。

「お前言ってたもんな……ここにある本は全部、自分で書いたって……。 時間を有効に使えば可能だって……。 でも、それって実際どうなの……? この世の全ての人間の後悔を書き込むのに、いちいちチマチマ本を探して書き込んでるってことになるよね…………?」

 つまり。男の真ん前で腕を突き出しながら言葉を続ける。男の体が、震えている。

「もっとカンタンにさぁ……出来るんじゃないの? ……例えば『自分の所に本を引き寄せる』とかさ…………!」

「ンの女……!」

 男の腕が引っ込む。遅い。私はすでに掴んでいる。この男を挑発して本を。ただ手元の本に書き記す為、無防備に広げて見せた『言永光の懺悔の書』を。

「本は見つけたぞッ! 出してもらうよ、外にッ!!」

「……っ、この…………うわあああッ!!!」

 屈辱と公開に歪んだ男の顔が見える。しかし不鮮明だ。段々とピントが合わなくなっていき、次第に空気がひんやりしてくる。

「この……! 後悔させてやる……! ……一生分の後悔を……書き加えて…………!」

「いいよ。 エンリョしとく」

 くるり。振り返りながら言葉を続ける。こいつの顔を見る必要は、もうどこにもない。

「……もうだいぶ後悔したから。 ……あんたのお陰で」

 ばたん。戸の閉まる音がしたような気がした。辺りは夜の静寂の支配する小道に戻っていた。

「…………」

 振り返った場所にはもう、何の建物も存在してはいなかった。

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