僕は本屋で夢を買う
秋待諷月
僕は本屋で夢を買う
「物書きさん、歓迎し
そんな文句が流麗な手で記された貼り紙が目に留まり、つられて僕が足を止めたのは、人通りの無い路地裏に佇む、小さな建物の前だった。
仕事帰りの気まぐれで、営業先から大きく遠回りして駅に向かう途中のこと。知らない道を地図も見ないで歩いていた僕に、少しばかりの冒険心が湧いていたことは否定しない。
しげしげと外観を眺めてみれば、蔦が這った煉瓦造風の赤茶色の壁と、青緑色の木製の枠に小さなガラスが嵌まった玄関扉というレトロな装いに、自ずと心引かれるものがある。
玄関の上に掲げられた「取り置き専門書房」という看板からは、ここが本屋であることがかろうじて判じられた。
わざわざ「取り置き専門」を自称するということは、よほど本の仕入れに自信があるのだろう。売り文句からして、作家の参考資料になりそうな、珍しい書籍に通じているのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、気付けば僕はノブを回して扉を押し開け、店の中へと足を踏み入れていた。
ガランガラン、と、頭上のベルがこれまた古風な音を響かせて来客を告げる。
もう夜が迫る刻限だが、照明は灯っておらず、僕を追いかけて背後から入店してきた斜陽が薄暗い店の中を橙色に照らし出した。
想像していたよりも、店内は広い。僕以外の客が見当たらないせいかもしれない。
とは言え、左右と奥の壁は天井ぎりぎりの高さまで書架で埋められ、中央にも二対ずつが背中合わせにされた木製書架が六本も立ち並ぶ店の中は、床面積の割には窮屈にも感じられた。
懐かしさを覚えずにはいられない、いかにも昔ながらの「本屋さん」といったその光景に、しかし、僕は心底驚き、そして呆れ返る。
店内に並ぶ大層な書架の中には、その実、一冊の本すらも収められていないのである。
本棚はいずれもスカスカだ。丁寧に掃除されているらしく、棚板の上には埃こそ積もっていないものの、それ故余計に、がらんどうの棚の空虚さが悪目立ちする。
いや――薄闇に目を凝らしてみれば、あちらこちらの棚の中に、平たい箱のようなものがぽつぽつと並んでいるように見える。
僕は無意識に息を潜め、入り口から見て右手の壁際にある書架にそろそろと近寄っていく。視線の高さの棚に収まった、箱の一つに手を伸ばそうとしたところで。
「いらっしゃい」
不意に左手から声を掛けられ、僕はその場で飛び上がりそうになる。
激しく心臓を跳ねさせながら首を回せば、玄関からは窺えなかった店の最奥に据えられたレジカウンターの奥に収まる老人が、僕を見つめて楽しげに微笑んでいた。
「そいつには触るのは構わんが、動かしちゃあいかんよ」
鼻の上に乗った小さな丸眼鏡を指先で押し上げながら、店主と思しき老人はやんわりと牽制する。
すっかり狼狽してしまった僕は、伸ばしかけた手を引っ込めながら店内をきょろきょろと視線を彷徨わせた挙げ句、ようやく気まずいままに頭を下げた。
「お、お邪魔してます。あの、ここは本屋じゃ――?」
「あんた、物書きさん?」
僕が言葉を最後まで紡ぎ切るより前に、店主から唐突に被せられた問い掛け。
今度は小さく、僕は心臓をどきりと鳴らした。
「――いや、そんなんじゃないです。ただの会社員ですよ」
ほら、と言葉を添えながら、コートの前を広げて背広姿の半身を披露する。スーツを着た作家がいないなどとは思っていないので、照れ隠し半分だった。
店主もまた、それで得心した様子は無さそうで、しかし、あっさり「そうかい」とだけ返すと、それ以上は深掘りしてこなかった。
「それで、ここ、どういう店なんですか? 『書房』って看板が出てたので、てっきり本屋だと」
周囲の書棚を指で示しつつ、僕は改めて尋ねる。店主の反応は、相変わらず飄々としたものだ。
「『取り置き専門』とも書いてあっただろう?」
「それは、まぁ。でも取り置きの店にしたって、本屋に本が一冊も無いなんてことは」
「で、あんた、どれを買う?」
「あり得な――はい?」
またしても最後まで言わせてもらえないまま、僕は店主の突拍子も無い質問に声を裏返らせてしまった。
マイペースな店主はそんな僕にもお構いなしで、カウンターの下へ潜り込んでゴソゴソと物音をさせていたかと思うと、次々と「何か」を取り出して机の上に積み上げた。
「ほら、見本だ」
そう言って、老人が机の上に並べ置いたのは、大小様々な半透明の「箱」だった。
手招かれるままにカウンターへ歩み寄り、僕は首を傾げ、眉間に皺を寄せたまま、それらを順に手に取っていく。
全部で十一、二個ほどの箱はいずれも、大きさ相応の重さがある。外側はアクリルか何かでできているのだろうか。中身が覗けそうで覗けない、紺碧色を帯びた六面体は、深夜の水槽を思わせる。
形はいずれもやや縦長で、平たく、厚みは薄いもので約一センチ、厚いものは十センチほど。大きさは――。
そこで、僕は気が付いた。
これは判型だ。
手にとしっくりと馴染む大きさと重さの箱の縦横のサイズは、文庫判のそれに相違ない。両手で持つと快いのが四六判。最も大きなものは、画集向けのB4判だろうか。
さらに僕は、この店の書架にぽつぽつと収められた箱が、これらの「見本」と同じものであることにも、今さらになって気が付いた。
だが、そこまで分かったところで、この「箱」が意味するものはさっぱり分からない。
回答を求めて、僕は店主の顔を見た。待っていましたとばかり、老人はにやりと口角を上げる。
「ここから好きなのを好きなだけ選んで、それから、好きな『書架』の、好きな『場所』も選ぶといい。そうしたら、その場所はあんたのために『取り置き』しておく。あんたの本が出るときまで、ずうっとな」
「え?」
思わず訊き返した僕は、慌ててぐるりと周囲を見回して、すでに書架に収まっている「箱」を凝視する。
薄闇に目が慣れてきたのか、先まではただ黒っぽく潰れて見えていた「箱」の表面には、いずれも、「売却済」という小さな金色の文字が浮かび上がっていた。
手近な壁際の書棚にぽんと手を置き、店主はゆっくりと、だが、自慢げに続ける。
「この店にいずれ並ぶのは、ここで『書架』の『場所』を、あらかじめ『取り置き』した物書きさんの本だけさ。置けるのは一版につき一冊だけ。もちろん、版元から正規に出版・発行されたものに限る。その代わり、一度ここに並べた本は、例え売れてしまっても補充し続ける。この店が続く限り、そこは永遠にその本の『場所』だ」
老人の話を聞きながら、僕は自分の目が徐々に丸くなっていくのを感じていた。
こんな人通りの無い路地裏の、一冊の本すら並んでいないような本屋で、出版すらされていない自分自身の本の「場所」を買う?
なんという馬鹿げた話だろうか。
だが、現に書架に収められた「箱」――いや、「本」があるということは、実際にここで「取り置き」した客が存在するということになる。
自分の本が、いずれこの世の中に出回るのだと信じて。
あるいは願って。
あるいは――固く誓って。
無意識に、僕は手に持った文庫版の「箱」に目を落とした。
そしてもう一度、まだ隙間だらけの書架をゆっくりと見回す。
カウンターの上に頬杖をついた店主が、意地悪く歯を見せて笑って、再び訊いた。
「あんた。物書きさん?」
まずは文庫一冊から。
そしていずれは書棚を――いや、書架を丸ごと。
僕は、本屋で夢を買う。
Fin.
僕は本屋で夢を買う 秋待諷月 @akimachi_f
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