KAC20231  「本屋」

小烏 つむぎ

KAC20231「本屋」

 あの街灯のふちに見えた小さな虹は、花粉光環かふんこうかんというものらしい。花粉濃度が高いと光源の周りに出来るとのこと。それを知ったのは「本屋」で流れていたニュースで天気予報のAIお姉さんが言っていたから。「本屋」へ来るまでの二か所で見えてキレイだなと喜んだのに、あれは悪魔のサークルだったのか。


 いつのころからか花粉症は人類全体の病となり「花粉の無毒化」を繰り返した結果、反動のように植物の花粉という花粉にはみんな毒が出来てしまった。今では防護服なしに外出は出来ないし、昔で言うところの「自然な食物」は複雑で高度で高価な無毒化システムを通さないと口に出来ない。だからフツーの人は自宅の自動キッチンが作る人造食物を食べている。


 住宅の気密性は否応なく高まり、ついには外出する機会は極端に減ってしまった。

歯の治療も手術も出産も遠隔操作で自宅で出来る。もちろん勉強も仕事も、みんなリモートだ。出会いは?それは心配ない。バーチャルな空間には出会いもたくさんある。


 その日、

「本が読みたいなぁ。」

ワタシは久しぶりにそう思った。


 カーテンを開けて窓の外を見る。春のこの時期はとりわけ花粉がひどくて、空は薄い黄色だ。他の季節がマシってわけじゃないけど、春より少なくとも強毒な花粉は少ない。ま、花粉以外にも有毒なものが飛び回るから外出なんて出来ないんだけどね。


それでも3年も家の中では嫌気が差す。今日はやっぱり「本屋」まで「リアル」で行ってみよう。そう思った。


 減圧してある玄関に入り、廊下に繋がる分厚いドアをしっかり締める。それからスイッチを押すとワタシの体に合わせたごく薄い膜で出来た防護服が柔らかい玄関ドアに現れた。これに手足をと頭を入れると自然に背中が密着して玄関から切り離される。面倒だけど、こうしないと外でまともに動けないのだ。透明なヘルメットに映る数値の確認。うん、フィルターは機能している。


 一人だし、今日は自転車で行こう。車庫から自転車を引き出してよいしょとまたがった。うちから「県立本屋」まで、約30キロ。まあ、近い方。自転車のスイッチを入れて、行先をモニターに打ち込んだ。風を感じることはないけど、流れる風景を楽しむ。


 「県立本屋」は昔で言う「図書館」と「本屋」を足して割ったようなものだ。

紙の「本」は今や貴重品。特にビンテージものは「国立本屋」一か所に集められ、データ化されて私たちはそれを有料で利用している。「県立本屋」は各県の県庁所在地で一番大きな施設だ。「市立本屋」も「私立本屋」もあるけどやっぱりデータ数が格段に違う。特にちゃんとした「本」を手に入れようとしたら、おおきい「本屋」に行くに限る。


 なんて言っていたら「県立本屋」に到着だ。縦長のチャックのような所が入口。

そのチャックに背中をピッタリ合わせると、自動で防護服の背中が開く仕組み。便利よね。入口には10人分ほどのの防護服が並んでいた。風の集塵機を通って「本屋」エリアに。リアルな利用者とバーチャル利用者が入り交じってけっこう混雑している。


 受付で読みたい「本」を申請して、レトロな紙媒体かデータかを選ぶ。「県立本屋」になければ「国立本屋」からデータを買うことも出来る。


 データで読んで気に入って、何度も読んで、どうしても手元に形として置いておきたい「本」をワタシはこうして「本屋」に買いに来る。だから「本屋」まできてデータはないわ。もちろん紙で。ただ、原寸大だと高いので1/2モデルでお願いしよう。


 紙の本は高価だし受け取るまでに少し時間がかかる。何せデータを紙に印刷しないといけないからね。でも、本物の紙を触りながら読書をするって最高よ。執筆した人編集した人と、読んでいる自分が直接繋がっているって気持ちになれる。

 

 こだわる読書家は印刷する紙にも凝るんだって。本が書かれた時代の紙まで再現するらしい。その本一冊で家が一軒建つのだと聞いて、ひどく驚いた。でも紙に凝りたい気持ちはわかる。画面をスクロールして読むのと、紙のページを指で繰るのとでは脳の中での物語の進み方が違うのだもの。


 「お渡し口」と書かれた棚の上の掲示板にワタシのナンバーが浮かんだ。


 ワタシのために作られたワタシの「本」。指に触るリアルなざらつきすら愛おしい。ワタシは生まれたばかりのワタシの「本」をそっと抱きしめた。






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