本屋がないなら、つくればいいじゃない
やなか
本屋がないなら、つくればいいじゃない
「本屋はあった方がいい」
「いや、なくてもいい」
本が好きな人にとって、本屋はなくてはならない大切な存在だ。でも、そうは思わない人も世の中にはいる。
これはかつて、わたしの故郷の町で実際にあった話だ。
山間部のその町には、本屋がなかった。以前は文具屋とタバコ屋を兼ねた町で唯一の本屋があったのだが、店主が高齢になり廃業したのだ。
子どもたちは漫画雑誌が読めなくなり、大人たちは女性誌やクロスワードパズルなどの趣味の本が買えなくなった。
そこで誰かが言い出した。
「本屋がないなら、つくればいいじゃない」
声が町役場に届き、町議会に伝わり、やがて「町営の本屋をつくる」プロジェクトの検討委員会が立ち上がった。そう、声というのは出してみるものなのだ。
わたしはその頃、東京で編集の仕事をしていた。故郷で起きたムーブメントを友人から聞き、興味を持った。出版文化の端くれに関わっている自負もある。手伝えることがあるかもしれない。
事務局の町役場に連絡すると、二つ返事で了解が得られた。ちょうど翌週に初会合が予定されているという。わたしはオブザーバーとして出席することになった。
そして、当日。半日がかりで故郷に帰省したわたしは、町役場に赴いた。
初夏のむせるような草いきれを久しぶりに味わう。町の中心部でありながら、緑豊かな景観は田舎ならではだ。町役場別館二階の会議室に関係者が顔をそろえていた。
発起人のひとりは、若い町会議員の男性だった。
「これは民度の問題です」
彼が声高らかに語る。民度という聞き慣れない単語を使って、まるで選挙公約を説明するみたいに。「町に一軒も本屋がないなんて、恥ずかしくないですか。町民の民度の低さを示していると思いませんか。ぜひ町で本屋を実現してほしい」。そんな趣旨だった。
同調したのは、青年会議所の役員だ。
「町には憩いの場がありません。だからこそ本屋をつくってほしい」。そう言うと、彼は「本屋のほかにも、この町には欠けているものがあります。何だかわかりますか?」と皆に問いかける。
わたしはしばらく考えたが、答えが出ない。欠けているものがあまりに多くて、どう言っていいかわからなかった。
男性が明かした解答は「コンビニ」だった。「書店やコンビニのように、ふらりと立ち寄れる場所が必要なのです」。
わたしはそれぞれ一理あると思ったが、本質的な論点からズレていると感じた。
そのとき、若い女性が挙手した。
「わたしは反対です」
彼女は静かに言う。落ち着きのある口ぶりと物腰だ。
なぜ反対なのだろう。本が好きではないのだろうか。わたしは疑問に思ったが、理由はすぐに明らかになった。
「本屋ができたら、図書館を利用する人がますます減ってしまいます」
わたしは打ちのめされた。彼女は町立図書館の司書だったのだ。本に関わる人が本屋を否定する、皮肉な構図だった。
質疑応答が交わされる。
「本屋ができたら、どうして図書館を利用する人が減るのですか?」
「それは、いま図書館を利用している人の多くが、新刊やベストセラーなど売れ筋の本ばかり借りているからです」
続いて町役場の関係者が説明した。
「仮に町営の本屋をつくった場合、黒字を出すことを考えなければならない。当然、売れ筋の本を置くことになるでしょう」
すると彼女が言う。
「同じ本が図書館で読めるのだから、図書館があればそれでいいのでは」。そして淡々とした口調で、「本屋をつくるお金があるなら、もっと図書館に予算を回してください」と付け加えた。
議論は平行線だった。
終盤になって、わたしは求められてもいないのに手を挙げた。我慢できなかったのだ。そしてこう話した。
「町営の本屋ができたら、売れる本を置くべき、という考えはわかります。でも、売れる本しかない本屋さんに、魅力はないですよね。個性がないというか、まるで新幹線の駅の売店みたいですよね」
会議室を見渡すと、皆が黙っている。あまり良い感触ではないが、わたしは言葉を続ける。
「それから、読まれる本ばかり置いてある図書館にも魅力はないと思います。むしろ普段はあまり読まれそうにない、郷土史とか学術書とかを置くのが図書館の役割ではないですか」
話し終えると、空気が明らかに凍っていた。皆はおそらく「偉そうに訳知り顔で言いやがって」と苦々しく思っただろう。
わたしは後悔した。でも、内心では、もっと言いたいことがあったのだ。
「そういう魅力的な本屋がなかったから、魅力的な図書館がなかったから、わたしはこの町を出たのです」
本当はそう言いたかったが、とても言えなかった。
さて、町営の本屋のプロジェクトは、それから一年近く議論を続けた末に、頓挫した。
理由はいくつかあった。
やはり予算と収支予想の問題が最大のネックだったようだ。一方で、本をめぐる環境の変化も大きかったと思う。
あの議論の後、本屋がなくても、田舎であっても、本が自由に手に入るようになったからだ。南米の大河の名前を冠した通販サービスの普及によって。
現在、公営の本屋は、青森県八戸市などでわずかに事例があるそうだ。本屋を軸にしたまちづくり——。すばらしい響きだ。おそらく様々な議論があっただろう。実現にこぎつけるまでの関係者の苦労は想像に難くない。
わたしは、今でもたまに考える。
もしも、あのとき、あの町に、町営の本屋ができていたら、と。
そうしたら、わたしは今ごろ故郷に帰っていたかもしれない。
本屋がないなら、つくればいいじゃない やなか @yanaka221b
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