六・これからを

 エスカレーターを避けて、エレベーターで二階に向かった。あの日は、エレベーターを使っていないのだろう。だから、息苦しくならないんだ。

 そういえば、家族で出掛けると、エスカレーターは使わずに、エレベーターばかりを利用していた。

 両親は、私の体調が悪くなるから避けていたのだろう。

 エレベーターを降りて、本屋の前までゆっくりと歩いた。ふらつきや頭痛がひどくなっていく。

 本屋の前。私は、アヤメさんの言葉を思い出していた。

『あたしたちのこと、忘れてね』

 楽しいだけじゃない、あまりにも辛い記憶が最後にあったから、忘れるしかなかったのだろう。

 今の今まで、このショッピングモールと、本屋を避けてきたのは、単純に苦手だからだけじゃなく、誰かにそう言われたからだった。

 誰だったか。

「お母さんだったかな?」

 高校卒業してから、県外の大学に進学して、そのまま大学がある町の企業に就職した。両親はそれがいい、と言った。弟がいるから大丈夫だと言われて、また心が痛んだけど、一人が楽になっていたから、深く考えるのをやめたんだった。

 ──本屋の中まで入るのは、怖いかな。

 本屋から少し離れて、エレベーター近くのベンチに座る。

 事件として扱われたのなら、検索したら出てくるんじゃないかな。

 バッグからスマホを取り出す。

 【西暦、ショッピングモールの名前、事件】

 先生とアヤメさんが、どうなったか覚えてないし、知らない。少なくとも、二人は刺されて一人は自殺になるはずで。

 検索ボタンを押してから、目を瞑っていた。どんな結果が出ようとも、覚悟しなきゃいけない。詳細は書いていないかもしれないけど、顛末がわかるなら、知っておきたい。

 目を開けて、結果の一覧を見る。


『三人死傷』

『誘拐』

『監禁』

『不法滞在』

『中国国籍の男(三〇)の不法滞在』

『マンションの一室に住んでいた十四歳の少女の死亡が確認され』

『中国国籍の男が誘拐していたとされる児童(一〇)は、無事保護された。なお、心神耗弱しているため、経緯を確認するのが難航している』

『男は少女に刺され意識不明で搬送』


 アヤメさんは、亡くなっている。

 先生が不法滞在って、どういう事?

 先生は、生きてるの? 

 事件の経過を調べていたら、先生は拘置所で自殺したという記事を見つけた。結局、何もわからないまま?

「無国籍」

 アヤメさんの言葉を思い出す。

「アヤメさんは、無国籍だと言ってたのに、記事になってる。もしかしたら、先生が不法滞在というのは、繋がるのかも?」

 それが分かったとしても、アヤメさんは、もうこの世には存在しない。先生も所在不明だ。

 知ってどうするという気持ちもある。知りたい気持ちも、当然。

 最後の日の衝撃で、私はショッピングモールと本屋が苦手になって、楽しかった日の思い出をなかったかのように過ごしてきた。

 それは、違う。

 アヤメさんは、自分たちを忘れて家族を大事にと、言っていた。幼い私には、耐えられなかった場面だったから、忘れていた。

 何気なく、今日ここに来たのは意味があるのだろう。

 真実を知るタイミング。

 あの日々を受け容れるタイミングなんだ。

 

 私は、連絡帳から『母』を選び、通話ボタンを押す。何度めかのコールで、お母さんの声が聞こえた。

「お母さん、元気? 今、地元に帰ってる。あのね、ショッピングモールに来てるんだけど。聞いてくれる? 私、あの頃の事、きちんと知りたいと思えるようになったから、お母さん、協力してくれるかな。もちろん、お父さんも。それと、弟の……明良あきらもね」




〈了〉

 



 

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あの日を超えて 香坂 壱霧 @kohsaka_ichimu

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