五・思い出は消える
「ハルちゃん、ナツさんが服を買ってくれたよ。サイズ聞いといてよかった!」
先生とアヤメさんが、買い物から帰って来た。
ここに来てから、一週間経ったくらいから、部屋に鍵をかけられなくなった。私はアヤメさんの部屋で眠る事が増えたし、ご飯を作るのを手伝うようにもなった。
服を買ってもらえたのは、十日目の事だった。それまでは、だぼだぼのTシャツと半ズボン。夏だから良かった。外出しないからそれでも良かったんだけど、私の服というのは、やはり嬉しいものだった。
「ナツさん、この服着たハルちゃんとお出かけしたいな。だめ、だよねぇ……?」
先生は、はあ……と溜め息をついた。それから俯いて、少し何かを考えている様子だったので、
「いいよ。私は、この部屋でアヤメさんと話してるだけで満足」
「じゃあ、遠くにドライブするか?」
と、私の言葉にかぶせ気味に言った。
「ちゃんと化粧して、少なくとも小学生に見えないようにしておけよ」
「大丈夫! がんばって変身させるから!」
一時間ほどかけて、私は別人のようになった。
「海は、人が多いだろうから。山だな」
アヤメさんは助手席、私は後部座席に乗り込んだ。この日のドライブは、三人での最初でさいごの思い出になるなんて、思ってもみなかった。
どれくらい車に乗っていたかわからない。お昼過ぎて、お腹すいたくらいの時間には、山道を走っていた。
石灰岩があちこちに見える。この景色は、先生が持っていた旅の雑誌に載っていた。地名はよくわからないけど、青空との対比がすごくきれいだった。緑の草原が見え始めると、牛が何頭か見えてくる。
「牧場あるの?」
「とれたてミルクのアイスが美味いらしいから、食べるか?」
小さな建物に、アイスの看板。その前に車を停めて、私達はアイスを食べた。お昼ごはんはコンビニ弁当だったけど、青空の下だと、いつもよりも、美味しく感じた。
高原の駐車場から、アヤメさんと、走ったり歩いたり、牛を探したり。はしゃぎ過ぎて疲れたくらいで、帰る時間になって車に乗った。
帰り道は、アヤメさんは熟睡していた。自然がいっぱいのおいしい空気の場所が初めてだったらしく、疲れたらしい。
「先生は、アヤメさんとずっと一緒に暮らすんですか?」
「どうだろうな」
「アヤメさんは、学校行けないんですよね。住民票がないから無理だって言ってたから。それだと、先生がアヤメさんと居なきゃ、アヤメさん、さみしいよね?」
「心配すんな。いろいろ考えてる」
夕焼けの逆光で、先生の表情は、よく見えなかった。
車から降りると、二人組の男の人が先生のマンションの前に居た。
「先に入っとけ」と、先生はアヤメさんに鍵を渡す。
「だ、だめ。やだよ。なんか、いやなかんじがする。ナツさんも一緒に部屋に戻ろ?」
先生の手を握って、涙を流すアヤメさんを見て、私は何で泣いてるのか分からず、困惑していた。
「大丈夫だ。すぐどうこうなるはずはないから」
先生がアヤメさんの頭を撫でて宥める。
「ちゃんと戻ってよ?」
アヤメさんは先生に抱きついた後、私の手を取り、部屋に一緒に入った。
「あの人達が、何かあるの?」
「わからないけど、ナツさんが大丈夫って、言うんだから、信じようね」
アヤメさんは言い聞かすように応えた。
その日は、何事もなく先生は、帰ってきた。
それから三日後の昼──。
玄関のインターホンが鳴り、先生がそれに応えた。話し声は聞こえにくい。アヤメさんは、私に部屋に居るように言った。
「絶対、出ちゃだめだよ」
アヤメさんのその言葉通り、私は部屋の中で、膝を抱えて、時折怒鳴る先生の声を聞きたくなくて、耳を塞いでいた。
「ナツさん! だめだよ! ちがうんです。この人はあたしを助けるために!」
リビングの方から何かが割れる音が聞こえた。それから何人かの足音──こんなに大きな足音は初めて聞いた。
「不法滞在と未成年の……」
監禁? 今は、違うのに! 誘拐でもない。
私はドアを開けようとした。鍵がかかっている。
「開けて、アヤメさん!」
「ここに、もう一人いるんだな」
ドアが開いた瞬間、私は男の人に行く手を阻まれた。
先生が床に押し付けられていて、アヤメさんは尖った何かを持って、押し付けている男の人に向けているところが、見えた。
「ハルちゃん! だめだよ」
阻まれていたけど、屈んでその隙間をぬって、私はアヤメさんに向かい、走った。アヤメさんの手にあるのは、工具用のカッターだった。
アヤメさんは、先生を押さえつけてる男の人の肩を何度も刺し、先生を助けていた。血が、アヤメさんの洋服に飛び散っている。
男の人が痛みで蹲った時、先生がアヤメさんを抱きしめていた。アヤメさんの手にあったカッターは、男の人に向けて振りかざしていた時だったから、それは、先生の首元に刺さった。
「いやあああッああああああ」
アヤメさんは、自分がしてしまったことに声を荒らげ、先生の首あたりから溢れ出る血をなんとか止血しようとしていた。
でも、何を思ったか、アヤメさんは、自分のお腹めがけて、カッターを、刺した。
「なんで?」
私は、足の力が抜けて、床に手をついた。這うように二人のそばに近寄ると、
「ごめん、あたしたちのこと、忘れて。ハルちゃんは、家族、だいじに、してね」
──扉は、開かないままが良かったのだろうか。
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