四・幸せな思い出もあった

「お化粧、してみたい」

 アヤメさんの暇つぶしに付き合うというより、私の好奇心もあった。

「買い物してくるから、二人で好きにしてろ。分かってると思うけど、外に出るなよ」

 先生の言葉に、私とアヤメさんは元気に「はーい」と、返事した。

「じゃあ、前髪あげとこうね」

 アヤメさんは、私の前髪を慣れた手付きでピンで留めた。

 それから魔法みたいに、アヤメさんが、いろんな道具で私の顔を作っていく。その時間は穏やかで、くすぐったくて、心がうきうきしていた。

「ほら、出来たよ。鏡、みて!」

 鏡にうつる別人のような私は、高校生といって良いくらいの、大人な雰囲気だった。

「髪の毛も可愛くしちゃう?」

「お願いします!」

 どうせなら、メイクに似合った髪型で、先生を驚かせたい。

 いつか、自分でもこんな風に出来るようになりたいから、ちゃんと教わろう。

 アヤメさんは、にこにこしながら、私の髪をコテでゆるく巻いていく。肩につくくらいの私の髪が、ふわふわになっていった。

「かーわーいーい! ハルちゃんは、髪を伸ばしてこんなふわふわにしたら、もっと可愛くなるよ」

 アヤメさんの言葉に、頬が綻ぶ。

「服のサイズが違うから、着せ替えまで出来ないのが残念だな。今度、ナツさんとお出かけした時に、ハルちゃんのそのメイクに似合った洋服、買ってくるね。って言ってもお金はナツさんが出すんだけど」

 ふふふ、と、アヤメさんが笑う。私もつられて笑う。

 幸せだと、思った。家に居る時より、穏やかに過ごせる。お姉ちゃんだからって、緊張しなくて良い。アヤメさんの妹になれたらいいな……。

「すっかり馴染んでるな。そうしてると姉妹だな」

 先生が帰ってきて、私の顔を見た。

「へえ。ハル、そういうの似合うもんだな。まだ早いけどなあ」

 ははっ、と先生が笑った。

 褒められた? 私は嬉しくなって、アヤメさんにありがとうを何度も言った。


   ✳  ✳  ✳


「大丈夫ですか? 起き上がらない方が良いと思いますよ」

 エスカレーターに乗る前に気分悪くなって、倒れた?

「ここは?」

「従業員の休憩室です。私はここのテナントに入ってるショップで、店長してる門脇と言います。まだ、ご気分悪いでしょうか?」

「いえ。今は、もう大丈夫です」

 休憩室の椅子に横たわっていた私は、ゆっくりと起き上がる。

「さっき、アヤメって聞こえたんですが、偶然でしょうね。私が今つけてる香水の名前、アヤメって言うんです」

 心臓が跳ね上がった。

「ショップで、オリジナルの香水を販売していまして、これは一番最初に作ったオリジナルなんです。花の名前なんですが、花の菖蒲あやめのにおいとは違うんですよね」

 香水は苦手ですかと、問われて私は首を横に振る。苦手ではないはず。避けてきただけで。

「アヤメの名前の由来は?」

 まさかと思いながら聞いてみる。そんな偶然があるわけない。

「昔、隣に住んでた女の子の名前なんです。とても可愛くて、私に懐いてくれて。お別れの挨拶出来ずにいたから、どこかで気づいてもらえたらなんて、ありえないんですが」

 苦笑いをする門脇さん。たぶん、そうだ。アヤメさんの好きな人が、門脇さん。

「ふんわり甘くて、でもさわやかで、良いにおいだと、思います」

 アヤメさんとの思い出は、良いものがあった。さっき見た夢がそうだとしたら、幸せな日々だったはずだ。

 でも、どうして苦しさもともなうのか。

「気づいてもらえたら、素敵ですね」

 私は靴を履いて立ち上がり、門脇さんにお礼を言い、従業員の休憩室を出た。

 全部思い出して、アヤメさんを探そう。門脇さんと再会できるように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る